56.一方その頃、元宰相と甥は疲れていた
ゴルドーリア王国、旧王都。
いくつかの部署を先行して新王都に移した後も、数多くの役人は未だにかつての王城で仕事をこなしている。
現国王ワノガオスがまもなく住まいを新王都に移すというお触れが旧王都内に広まっており、それに応じて居を移す者は多いだろう。
「うぬぬぬぬ……」
「はあ、はあ……」
だが、場所を移せない任務というものは存在する。今、ジェイク・ガンドルとヨーシャ・ガンドルが脂汗を流しながら務めている『結界への魔力注入』もその一つだ。
旧王都の地下深く、かつて神獣システムが座していた結界設備室のそのまた下に存在する、『神なる水』の湧き出し口。室内の中央に謁見の間と同等レベルの広さをもつ池と、更にその中央に造られた翼を持つ獅子をかたどった放水口を見ることができる。
その池を挟むようにジェイクとヨーシャが立ち、手を掲げていた。池全体は淡い光で覆われており、二人はその光に向かって自身の手から放つ光を流し込んでいる。
「お疲れ様あ、お食事の時間よお」
部屋に続く扉が開き、アシュディ・ランダートがメイドを二人連れてやってきた。メイドが押しているワゴンには、それぞれ一人分の食事が載せられているようだ。
「や、やっと、ですか……」
「く、くそっ! なんで、こんなこと!」
アシュディの声を合図に、二人はその場にへたり込んだ。二人のメイドはそれぞれのもとに歩み寄り、一度ワゴンから離れると池に向かって祈りを捧げる。そうしてコップに水を汲み、それぞれに手渡した。
「んぐ、んぐ……ぷはあっ!」
ヨーシャはそれを一気に飲み干し、生き返ったとでも言うかのように顔を綻ばせる。
「なんで、なんでこんなことに……」
一方、ジェイクはコップをぐっと握りしめてひとりごちる。そちらにちらりと視線を向けて、アシュディは「自業自得でしょ」と誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
そうして、今度は二人にもはっきり聞こえる声で言葉を紡ぐ。
「どうかしら、お二方。結界の維持って、大変でしょ」
「た、大変だあ……」
「こ、こんなに魔力を吸い取る結界なんて聞いてないぞ!」
アシュディの言葉に、ヨーシャは素直に頷いた。だがジェイクの方は、どこに気力が残っていたのか不満の言葉を大声で叫ぶ。
もっとも、結界維持のための魔力消費量など、本来ならば彼が知るわけがない。このような事情になったのは、それこそ自業自得である。
「そりゃあそうでしょう。『神なる水』を守るための結界ですもの」
目の前に存在する放水口と池を眺めながらアシュディは、かつてこの国の宰相であった男の不満に答える。そうして、彼らが犯した愚かさについても。
「キャスくんと神獣様はね、このちっぽけな結界と同じ威力の結界で、王都全部を守っていたの」
「あ、あれは神獣の力だろうが!」
「結界を張ったのは、ね」
怒りをぶつけるジェイクと、それをさらりと受け流すアシュディの会話を、ヨーシャは食事に手を伸ばしながら見ることにした。この後、夜中まで自身の『務め』は続く。食事を取らなければ、とてもやっていけないのだから。
「だけど、結界の維持にだって相当の魔力が必要なのはご理解いただけたでしょう? ねえ、ヨーシャ殿?」
「あ、ああ。既に張られている結界を維持するだけなのに、必要な魔力がかなりの量なのだな……」
そこで話を振られて、正直に頷いた。
『神なる水』を守るための結界は悪意や魔力、悪意がなくとも害ある存在などをそこに近づけないために高度なものが構築されている。
本来の展開者であった神獣システムが去ったため、バート村に設置されたものと同様の基石が造られ、据え付けられてこの場の結界を形作っている。その発動に携わったアシュディや王都守護魔術師団の魔術師たちは、アシュディを除き数日ほど役に立たなかったという。
「キャスくんは五年間、それを一人でやり遂げたの。どこのどなたかがおかしなことをしなければ、今でもそうだったのにねえ」
結界展開後、ちょうど一日を魔力の回復に費やした現魔術師団長は、白い目で元宰相を見下ろす。ぐ、と息を呑むジェイクに軽く鼻を鳴らし、ヨーシャに視線を投げた。
「あと一ヶ月ほどで、『神なる水』は出なくなる。アタシたちの調査では、そういう結論に至ったわ」
「あとひとつき……」
ほんの数日、しかも自分たちについて来てくれた魔術師たちと交代だというのにもう、ヨーシャは疲れ果てている。流し込んだ魔力を回復し切る前に、次の務めの日が来るからだ。
これを、あと一ヶ月続けろと目の前の魔術師は言う。そして、自分と義理の伯父に逃げることは許されないだろうということを若き魔術師は理解している。
長い長い間、元は砂漠であった土地に水と恵みをもたらしてきた『神なる水』。それは今、自分たちの愚かさにより終焉を迎えようとしている。その終わりを自分たちの目で見届け、そこまでこの場を護り続けるのが愚かさに対する罰、なのであろう。
「『神なる水』が出なくなるまで、頑張ってねえ? そのくらいは一応、守ってさしあげますから」
「冗談じゃない! 追加の人員をよこせ、このままでは死んでしまうだろうが!」
しかし、ジェイクはヨーシャと違い不満を叫び続けている。横についているメイドが呆れ顔で、軽く拳を握ったことには気づかずに。
「あら、嫌だ。もともと、キャスくんの代わりに自分の甥っ子にやらせようとしたお仕事じゃないのお。きっちり肩代わりしていただきますわよ?」
「ランダート」
「ほどほどにお願いしますわね? リコリス様」
「はい」
そのメイドに対してアシュディが呼ばわったリコリスという名に、ガンドルの名を持つ二人が同時に固まった。
リコリス・ドヴェン。ドヴェン辺境伯家の末娘、プラチナブロンドのポニーテールも鮮やかな十三歳の若き彼女はメイド姿のまま、ジェイク・ガンドルの襟首を軽く掴んで引き上げた。
「父上から、よくも面倒事を増やしてくれたなと言伝を預かっております。それと、婚約はなかったことにすると」
「あ、あわ、あわわわわ」
「り、リコリス嬢?」
義伯父を片手で持ち上げた少女の名を、慌ててヨーシャが呼ぶ。ジェイクを下ろすこともせず、リコリスはにっこりと笑みを浮かべてみせた。
「まあ、そういうわけですのでヨーシャ様、わたくしとジェンダがしっかり見ていてさしあげますのでお仕事がんばってくださいね?」
「ああ、そちらのメイドさんがリコリス様専属メイド兼護衛のジェンダさんよ。素早さと勘の鋭さならアタシより上だから、逃げられると思わないでね」
ヨーシャの隣にいるメイド、ジェンダが無言のまま深々と頭を下げる。ただでさえ元王城の奥深く、多くの人が知らぬ場所にいるヨーシャたちであったが、これでもう逃げることはほぼ確実に不可能であろう。
『神なる水』がかれるまで、がんばって生きられればいいな。
ヨーシャのその言葉は声に乗ることもなく、彼の胸の中にストンと落ちていった。
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