51.地図と準備
不意に、テムが首を持ち上げた。同時に、セオドラ様の横でお茶を淹れているメイドさんが視線を扉の方に向ける。
「マスター。シノーペだ」
「姫、シノーペ様です」
二人がそう言った直後に、扉をノックする音が響く。「どうぞ。開いてるよー」と声をかけたら、開いた扉の向こうからシノーペが入ってきた。
普通は使用人さんとかが開けてくれるんだと思うけど、家の場合おばちゃんは掃除と料理と庭の菜園で忙しいのでなし。テムが警戒してくれてるから、まあ大丈夫だと思う。
それに一応、セオドラ様の護衛で数名がこの家の中にいる。今、シノーペに気づいたふわふわピンク髪メイドさんもその一人で、テム曰く「結界がなければ、かの守護騎士団長と同等レベルで強いぞ」だそうだ。ものすごく強くないですか、それ。
なお、メイドさんの「姫」呼びは昔からとのこと。まあ、一応王族みたいなものだし公爵家の令嬢だしな。
「失礼します。バート村の全体地図、何とかできましたー」
「ありがとう、シノーペ」
「いえいえ。もともとの地図に修正入れただけですから」
シノーペがもってきたのは、工兵部隊の人たちに協力してもらって作成した村の全体的な地図。
魔獣や敵勢力から村を守るのには、こういうしっかりとした地図が必要なんだよね。逃げる方向とか、どこを固めれば迎撃しやすいかとか。あと、田畑の収穫量の予測も立てやすくなるからなー。
いや、テムの力を借りなくても、人の力だけで村くらい守れるようになりたいじゃないか。俺やシノーペで結界を展開すればそこそこ行けるはずだけど、もしかしたらそれもできない状況になるかもしれないし。
それにしても、もともとの地図……って、何枚か重なっているうちの一番古いやつか。これ、俺が子供の頃に見たことある気がするんだけど、いつのだっけなあ。
「もともとの地図って、何年前のだっけ」
「日付は十年前になっていますね」
独り言のつもりで呟いたら、シノーペが答えをくれた。そうか十年前か、だったら俺は八歳だから見てるな、うん。
「十年前ね。その頃にはもう、あんまり人住んでなかったんじゃない?」
「耕作地が、人いなくなってただの荒れ地になってたりしてました……」
「人がおらぬと、たとえ水があっても荒れるのだな」
セオドラ様の疑問に俺が当時を思い出しながら答えると、テムが呆れたように伸びをした。ああうん、多分テムは『神なる水』が湧き出す前の王都、その荒れた様子を知ってるからそんな感じで考えているのかもしれない。
「水があって人がいないと、草木がどんどん生えまくるんだよ。家は人が住まないと、空気の入れ替えとかしなくなって傷むし」
「このランディス邸は、そうならないように姉上が定期的に人を派遣していたんですよ。王都に出仕した特務魔術師の実家、ということで」
「ほほう、なるほど。荒れる、にしてもいろいろな荒れ方があるということか」
テムは変なところに感心しているんだけど、これは城の外での経験がとにかく少ないから、ということに尽きるらしい。
昔のことを詳しくは聞いていないけれど、テムが神獣として世界に出てきてから王都の地下にこもるまで一年……どころじゃない短さだったらしい。なので、俺が外の話とかしてやるとすっごく喜んでいたんだよな。あと、サンドラ亭のお弁当も。
「それと、ファンランがノースグリズリーとノースボア仕留めて解体してましたよ。皮も丁寧に剥ぎ取ってました」
「は?」
地図を眺めていたところに、シノーペが何かえらいことを言ってきた。いやちょっと待て、ファンラン、マジか。
ノースグリズリー、ノースボア。共に、ここらへんを南限として寒い地方に住んでいる獣だ。魔獣じゃなくて普通の獣なんだけど、特にグリズリー……人の二倍以上の身長をもつ熊の方はちっこい魔獣なら捕まえて食べてしまうレベルの凶暴さだ。
ノースボア、猪の方はそこまででかくないんだけど、とにかく突進力がすごい。下手すると軍用の馬車が当たり負ける可能性すらあるとかなんとか……そこまで大きく成長したやつは、さすがに百年に一頭いるかいないかだとか。
で、その両方を仕留めて解体とか。いやまあ、ファンランだしなあ……とは思うんだけどさ。
「あ、本当?」
セオドラ様が、目を輝かせて身を乗り出してきた。何に興味津々なんだろう、と考えるまでもないな。多分、ノースグリズリーの毛皮だろう。
「セオドラ様。革なめせる人、いますよね?」
「それは工兵部隊に渡せば喜んでやってくれるから、安心なさい」
尋ねてみてあっさり即答される。工兵部隊が喜んでなめし革にしてくれる素材、それがノースグリズリーの毛皮だ。
革鎧やすね当てなど、防具の素材として使えるんだよね。特にここから北……例えばベンドルの国内とかだと金属鎧って冷えすぎて身体に張り付いたりとかで、とても使いづらいらしい。そのせいもあって、魔獣やノースグリズリーの毛皮を使って防具を作っている。
今でも金属のパーツでカバーできないところ……関節とかにはよく使われる。そのこともあって、軍の一部部隊にはその加工ができる者が配属されてたりするんだ。
「シノーペ、行って来てくれる?」
「はい、分かりました。工兵部隊ですね」
ブラッド公爵軍の工兵部隊にもそう言った人はいるので、ファンランの採った毛皮を渡せばちゃんと加工してくれる。シノーペはセオドラ様の指示に頭を下げて、いそいそと出ていった。
……肉は血抜きして、焼いたり干したりして食うぞ。内臓も、急いで処理すれば食えるところもあるし、ものによっては薬になるらしいし。骨は武器とか、家建てるときにも使うことがあるとか何とか。
ま、あとはプロにおまかせするとしよう。うん。
「……しかし、シノーペもファンランもすっかり馴染んでいるのう」
出ていくシノーペを見送って、テムがごろごろとソファの上で転がる。エークは相変わらずおすわり中だな。後で膝に乗せて撫でてやろ。
「一応、二人とも正式にこちらへの派遣ってことになったし」
「魔術師のシノーペは分かるのだけれど、ファンランは近衛騎士でしょう?」
「ゼロドラス殿下の継承権が剥奪された以上、メルランディア様やセオドラ様にも王位継承の目が出てきた、ってことらしいです」
セオドラ様にお答えしつつ、やれやれと肩をすくめる。
一ヶ月前、ゼロドラス元王太子殿下以下の処分が決まった後。ま、第一王位継承者がその地位を剥奪されたってことで、他の王族やら何やらが次の国王になる可能性が出てきた。
順位から行くと他の公爵家が上なんだけど、ゼロドラス殿下の『反乱』を収めたのがブラッド公爵の配下、ということになる俺だったので、その功績でこちらに来るかもしれないということらしい。
でまあ、その辺りの収拾つけたりあと警備だの何だのと理由をつけて、シノーペとファンランはそれぞれの団からバート村への派遣、ということになったわけだ。王都守護魔術師団のトップには、しれっとアシュディさんが返り咲いている。
「王位継承権はともかく……ここらはある意味、対ベンドル最前線ですものね。情報源として、近衛騎士の一人も置いておきたいってことかしらね」
正直面倒くさいから王位なんて継ぎたくねえ、と一家の意見が一致しているブラッド公爵家の次女姫は、どちらかと言えば自分が得意な戦に向けての準備説を取りたいらしい。
うん、ファンランが得た情報をマイガスさんに流せば速攻、部隊を動かしてくれそうだもんな。
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