42.一方その頃、侯爵の甥はほくそ笑む

 その日、密かに王都を離れる魔術師の姿があった。


「何が『ランディスブランド』だ。俺のほうが強いに決まってるのに、くそっ」


 宰相の義理の甥にして王都守護魔術師団長、ヨーシャ・ガンドル。魔術師団の制服の上にみすぼらしいマントをかぶり、人の目を避けながら王都の外……まず誰にも見られぬ林のそばまでやってきた。


「エークリール。出番だぞ」


 ぴゅうい、と口笛を吹く。ややあって、林の中からのそりと姿を現したのは漆黒の毛並みとコウモリのような翼を持つ虎……の姿をした魔獣であった。虎の姿ではあるがその大きさは二回りほど大きく、軍用の馬車と並んでも遜色ない迫力である。

 ヨーシャが、遠縁であった宰相ジェイク・ガンドルの弟の養子となった理由の一つは、このエークリールと呼ばれた獣のような魔獣を操る能力である。

 魔術師の中に極稀に発現する、魔獣使い。

 ヨーシャは、身内以外にはこの能力を秘匿している。万が一のときにこの能力を使い、味方を勝利に導くために。


「ぐわう」


 主たるヨーシャに深々と頭を垂れ、エークリールは服従の態度を取る。その頭を撫でてやりながら、ヨーシャは口の端を引き上げた。そうして、まず伝えるべき事柄を言葉にする。


「お前の倒すべき敵は、神獣だ。雌のようだし、何なら屈服させて番にしてもいいぞ」


「ぐるる」


 なんとも下品な内容の言葉ではあるが、それをヨーシャもエークリールも当然のもの、として考えているようだ。もっとも、雄と雌の獣として考えれば意外さのない結論なのもしれないが。

 少なくとも、ヨーシャが神獣という存在に対して何の敬意も払っていないことははっきりしている。


「これより、俺とお前でここから北のブラッド公爵領に向かう。お前の背に乗っていけば、二日もせずにたどり着けるだろう」


「がお」


 ヨーシャが指差す先に、エークリールも視線を向ける。王都の北、遠く微かに見える山脈はゴルドーリア王国とベンドル王帝国の国境を構成しているものであり、その手前側にブラッド公爵領は存在している。

 どうやら、王都守護魔術師団長の地位にあるはずのこの男はその任を放棄し、全く別の『任務』を自身に課したらしい。


「雌の神獣……システムといったか、やつはそこにいる。お前の力でそいつを打ち倒せ。できるな?」


「ぐおう!」


「よし。伯父上や王太子殿下が進軍しておられるはずだが、その前で俺たちが神獣を打ち倒してしまうのだ。このヨーシャ・ガンドルとエークリールこそがゴルドーリア王国の新たなる護りであり、神獣と『ランディスブランド』の力などは不要になるのだと奴らに教えてやろう」


 自身の言葉に対する魔獣の吠え声が、全て肯定であると信じて疑わないヨーシャ。彼にとって神獣システム、そしてキャスバート・ランディスを始めとする『ランディスブランド』の者たちはあくまでも古く、存在意味のないものという認識である。


「ふふふ……神獣とは言え、城の地下で結界張っていただけのやつに、俺のエークリールが負けるわけがない。神獣に魔獣の仔を産ませて、それも俺が使ってやる」


 にいと自信満々の笑みを浮かべ、ヨーシャは無造作に魔獣の背にまたがる。首筋にしがみつき、「行け」と低く命じた。


「うがおおおおおん!」


 一声高く吠えると、エークリールは滑るように走り出した。翼を羽ばたかせ、やがて地面を蹴って空へと舞い上がる。ばさ、ばさという羽音はその作りの違いから、鳥の羽ばたきとは異なる乾いたものだ。


「……ふう、やれやれ」


 ある程度の高度まで上がり、魔獣の状態が安定したところでヨーシャは小さくため息をついた。

 偉そうなことを言った彼だが、その本意は少々違うところにあった。要は、王都の守護結界の展開を他の魔術師たちに押し付けて逃げてきた、のである。


「結界の展開なんて地味な上に面倒くさいこと、この俺がやってられっか。下っ端の魔術師たちが、死ぬ気で頑張ればいいんだよ」


 ガンドル侯爵家の遠縁、小さな男爵家に生まれたヨーシャには出世欲があった。魔術師にとっての出世とは、王都にて王家直属の魔術師となり華々しく活躍すること……田舎で育った彼にとっては、そういうものだったらしい。

 幸いというか生憎というか、ヨーシャには中央より注目されるだけの魔力と能力……そして魔獣使いとしての素質が存在した。それを、本家であるガンドル侯爵家の当主ジェイクに認められ、取り立てられたのだ。

 特に認められたのは、ガンドル侯爵領に潜み魔物と恐れられていた魔獣を確保し自らの使役獣としたことだ。それがこの、エークリールである。


『よいか、ヨーシャよ。お前の魔獣使いの力はここぞというときにのみ、発揮されるべきものだ。最初からこの力があると知られていれば、敵に警戒されるからな』


 王都に呼んだ義甥に対し、宰相はそう言葉を贈った。その言いつけに従い、ヨーシャは王都近くの林にエークリールを住まわせ時折契約の更新を行っていた。故に今なお、魔獣エークリールはヨーシャの支配下にある。

 この魔獣を支配できる自分であれば、神獣システムも支配できる可能性があるとヨーシャは信じている。そして、その妄想を現実とするために彼は、ブラッド公爵領へと降り立った。

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