35.一方その頃、公爵の妹は絵本を読む

 ゴルドーリア王国を中心とするこの世界には、一つの昔話がある。

 大概の国には絵本のかたちを取って伝わっており、民はそのほとんどが概要を知っている、昔々の物語。


「大地の神様は砂の地に住まう民を哀れに思い、平地の真ん中に水を湧き出させることにしました。民だけでなく獣や鳥、魔獣たちが健やかに暮らせるようにたくさん、たくさん湧き出させました」


 小さい頃から大切にしているその絵本を、セオドラ・ブラッドは自室で読んでいた。ソファに座って背を正し、声に出して文章を読むのは、幼い頃姉とともに読んで以来だろう。

 一年もせずに生まれてくる、甥か姪か。そのどちらでも、セオドラは姉が自分にしてくれたように絵本を読み聞かせてやろう、そう考えて読み始めたのだが。


「自分こそが神であるとのたもうた悪い王様は、せっかく大地の神様が民のために湧き出させてくれた水を独り占めにしようとしました」


 読みながら、その内容には思い当たる節があった。ありすぎた、というかあまりに身近な話だったために共通点に気づいていなかったことを、セオドラは知った。


「その時、一人の王様と一人の魔法使いが立ち上がりました。神様が遣わした獣とともに、悪い王様の軍勢に立ち向かったのです」


 ここまで読んで、セオドラは思わず突っ伏した。絵本に自分の顔を突っ込む形になるが、時間は深夜であり既に寝る準備もできている彼女はノーメイクでもあるため、本を汚す問題はないだろう。

 ついでにいうと、お茶一式が載ったワゴンのそばに付いている専属のメイドは一瞬だけ主に視線を向けたが、すぐに目を閉じた。このレベルの行動は、セオドラとしてはごく当たり前のものでしかない。


「悪い王様を追い払った魔法使いに、神様の獣は言いました。『あなたの力は、私にとってとても心地よいものです。私は、あなたの力が気に入りました』」


 何となく遠い目になったセオドラの視線は、部屋の中からでは見えないランディス家の方向に向けられている。はあ、と小さくため息をついてセオドラは、残り少なくなった絵本を読み進めた。


「王様は、神様の獣にお願いしました。『どうかこの地に残り、神様がくださった水を守ってください』

 神様の獣は、頷きました。『たった一つのわがままを聞いてくれるならば、私はいつまでもこの水とこの土地を守りましょう』」


 そして、水の湧き出た場所は王様の国の都となり、神様の獣と魔法使いによって守られることとなりました。


 最後の一文を読み終えて、ぱたんと絵本を閉じたセオドラの口から漏れたのは、先程よりも大きなため息だった。


「……その、たった一つの条件わがまますら反故にしたから王都は、神獣様の加護を受けられなくなったわけだ」


 呆れ顔のままメイドに視線を向け、軽く手を振る。主に頭を下げ、ワゴンを押して出ていったメイドの姿が見えなくなったところでセオドラはテーブルに絵本を置き、そのままベッドへとダイブした。行儀が悪い、とたしなめられたくなかったのだろう。


「というか、本当に本当の昔話だったのか……それで姉上は、しっかり読んで覚えておけとおっしゃったんだ」


 誰もいなくなった室内で、セオドラは呟く。

 『かみさまのいずみ』と表紙に記されている絵本の内容は、どうやらかつて神獣システムが初代の『ランディスブランド』とともに経験した戦が元になっているようだ。全てが真実かどうかは、神獣に尋ねてみればある程度は判明するだろう。

 ブラッド公爵家においてこの絵本は代々受け継がれており、家の者と婚姻して家に入る者はこの内容をしっかり読み込むこと、という家訓が同時に伝わっている。つまりはメルランディアと、夫のサファードも絵本の内容は把握していることになる。


「ご先祖様のお話だものね」


 実家に帰還したキャスバートと共にやってきたシステム、そして近衛騎士たちや王都守護魔術師たちから聞いた話を思い出しながらやれやれ、とセオドラはベッドの上で寝返りをうった。

 現在のゴルドーリア王家に、『かみさまのいずみ』が伝えられているのかどうかは分からない。幼少の頃に読む絵本の中の一冊として、入っているだけかもしれない。


「王太子殿下だったら、もし読んでいてもあくまでも絵本、だと思い込んでいたのかも」


 だがセオドラが読んだ限り、この内容は真実に近いところにあるのだろう。

 『神様の獣』神獣システムが、王都を護る条件として提示した『魔法使い』。つまり『ランディスブランド』であったキャスバートを王都から放逐し条件に合わない魔術師をあてがおうとした時点で、かつての王と神獣の間にかわされた契約は破棄された。

 神獣は土地と水を護ることをやめ、王都を離れた。契約を破棄したのは人間の側なのだから、当然のことだ。

 人間同士の契約であっても一方的な破棄は問題だが、相手が人と考え方の異なる神獣であれば、余計に問題である。システムが単に王都を離れただけであることに、人は感謝せねばならないかもしれないのだ。


「本当に……神獣様が王都で暴れられなくてよかった、と国王陛下はお考えかもね」


 今の国王は体調を崩しており、少し前から政務を王太子と宰相に委ねてきた。療養している間に二人は増長し、王に対する態度と配下に対する態度をがらりと変えることで王の気づかぬまま実権を把握した。

 その結果が今なのだが、国王もどうやら特使をあちこちに派遣するくらいはできているようだ。宰相と王太子の態度とその結果に、周囲の貴族たちが呆れて離れた結果とも言えるのだが。


「とりあえず。領地のそばまで来たなら、即座に義兄上と私に伝えるように。キャスバートたちにもね」


 まるで独り言のように紡がれた言葉を、おそらく聞き届けた者がいたのだろう。ほんの一瞬、気配が揺らいだ。

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