28.一方その頃、宰相の甥は馬鹿だった

「伯父上!」


 ゴルドーリア王城内を早足で歩いていた宰相は、自分を呼ぶ声に立ち止まった。その呼称で自分を呼ぶ者は、城内には一人しかいない。


「ヨーシャ」


「聞いてくださいよ! 魔術師ども、ひどいんですよ!」


 振り返った彼に詰め寄ってきたのは、うなじのところでひとまとめにした長い黒髪が人目を引く青年。宰相ジェイク・ガンドルの遠縁の親戚であり、魔術の才能を見込まれて義理の甥となったヨーシャ・ガンドルである。


「王都守護魔術師団が、どうしたんだ?」


「何ですか、あいつら! 新任だからって、団長である俺を無視するんですよ!」


「無視か。無茶な命令でもしたのではないかね?」


「無茶じゃないです! 全員で王都を取り囲み、結界を展開しろって言っただけですよ!」


「……ふむ」


 子供っぽいヨーシャの訴えに、しかし宰相は露骨に表情を歪めた。

 キャスバート・ランディスの解雇と神獣システムの出奔後、王都を取り巻く結界の効力が弱まってきていることは分かっていた。

 ヨーシャを始めとする手駒の魔術師に調査をさせてそれが事実だと理解した宰相は王太子の助力を受け、王都守護魔術師団の頭をすげ替えることにした。ヨーシャ・ガンドルにはさらに、特務魔術師の地位もそのまま与えている。

 自分の言うことを聞かないアシュディ・ランダートの代わりにヨーシャを王都を護る魔術師のトップにつけ、事態の収拾を図ろうとしたのだが……どうやら、そううまくはいかないらしい。魔術師団を総動員して結界を展開するというのは、代替案としては良いアイデアであったはずなのだが。

 さて、理由はどこにあるのだろうと考えて宰相は、思い当たるものを口にした。


「……ランダートを残したのが失敗だったか?」


「あ、そうそうそいつです。そいつが特に、俺に反発してくるんですよ。ふざけんなって感じです」


 やはりか、という宰相の答えは声にはならなかった。

 アシュディ・ランダートは宰相とは考え方が異なる存在だが、その能力はずば抜けて高いものがある。王都の危機が迫っている現在、力のある魔術師をキャスバートのように解雇することもできずに平の団員として在籍を許したのだが。


「前任団長とは言え、今は下っ端じゃないですか。何で皆、あいつの言う事なら聞くんですかね? 俺のほうが才能も魔力もあるっていうのに」


「お前の能力に嫉妬しているのだよ。そして、わしの甥であることにもな」


 憤懣やるかたないという感じの甥に対し、宰相は無難な答えだけを与えた。

 実際のところは自身の無理を押し通した宰相の人事と、そして突然現れたにもかかわらず自分の好きなように采配を振るおうとするヨーシャへの不満が魔術師たちの中に溜まっているのだが、二人ともそれに気づくことはない。……宰相の方は、薄々感づいているかもしれないが。


「……分かった。わしの兵士を貸し出そう、言うことを聞かねば投獄するとでも脅しておけ」


「分かりました。ありがとうございます、伯父上」


 とは言え、彼らには王都を護るという大義名分が存在する。それをもって自身の思うように采配を振るうため、宰相は個人の力を義理の甥のために持ち出すと決めた。




 もっとも、それで相手が動くかどうかというのはまた別の問題である。


「牢屋くらい構わないけれど。でもそうしたら、誰が王都の結界を張ってくださるの? 団長様?」


「なっ……!」


 宰相の私兵を背後にずらりと並べた上で「魔術師総動員で王都を護る結界を展開しろ。でなければ牢屋にぶち込むぞ」などと命じた新任団長に対し、前団長は呆れ顔でそう吐き出した。


「結界展開システムの補助もなしに、王都を護る結界なんて作れやしないわよ?」


「そ、それなら王都全体を守る必要はない。王城の周りにまで規模を縮小すれば、問題はないだろう?」


「あら」


 さすがに状況を少しでも理解したらしいヨーシャの『妥協案』に、アシュディは自分で丁寧に形を揃えた眉をあからさまにひそめた。


 ゴルドーリア王都、王城の地下に湧き出す『神なる水』。

 かつて砂と岩の大地だったというこの場所に突如湧き出し、大地を緑に変えた清廉なる水を護るために王都の結界は存在する。アシュディを始めとする王都守護魔術師団、マイガス・シーヤを長とする近衛騎士団はその王都を守護するための部隊だ。

 王都を護る結界を構築していたのが神獣、というところまでは国王から知らされるまで宰相は知らなかったが、その神獣がいない今王都守護魔術師団の最大の任務は『神なる水』を王国民以外の誰にも渡さない、という結論に達していた。

 それを伝えられたヨーシャは、だから城だけを結界で包み護ることが自分の務めだと考えていた。

 ただし、アシュディは違う。アシュディだけではなく、この場にいる魔術師の大半が。


「王都守護魔術師団のトップともあろうお方が、何ふざけたこと抜かしてんだオラ」


 普段は穏やかな口調である彼が、普段よりも低く地を這うような声でうなりながら、ヨーシャに詰め寄った。


「貴様、ヨーシャ様に何をっ」


「ふんっ」


 とっさに剣を抜こうとした宰相の私兵の腕を、アシュディの手が掴む。そのままぽい、と投げ捨てられた兵士は自身の同僚たちを直撃し、難を逃れた者が慌てて抜いた剣を構えた。

 その切っ先を向けられてなお、アシュディは平然とその場に立っている。なお、私兵を投げた右手は空いているが左手にはヨーシャがぶら下がっている。ちらりと向けられた冷たい視線に、全身を縮こまらせながら。


「このアタシ、アシュディ・ランダート相手にそのへっぽこりんな剣の構えで、まさか敵うとでも思ってるのかしらあ?」


 くすり、と唇の端を微かに歪めて笑った魔術師の手が、『団長』をぽんとその場におろしてやる。途端に腰を抜かして床に座り込むヨーシャを、私兵たちが慌ててかばうように取り囲んだ。


「シーヤ近衛騎士団長レベルの腕じゃないと、まともに戦えませんよねえ」


「そうそう。あの人でも五分だもんね、勝敗」


「というか、ランダートさんふつーに近衛騎士でもいけますよね」


 対して魔術師たちは呆れ顔になりつつ、そんな言葉をぶち当てる。そして全員、アシュディの筋肉質の外見でそれがわからないのかとヨーシャたちに視線で問うていた。この場にいるどの兵士よりも、アシュディの全身は鍛えられているのだ。


「き、貴様ら、伯父上の兵士たちに!」


「宰相閣下の私兵を使わなくちゃ、自分のワガママも通せないの? お坊ちゃま」


 未だに立ち上がれないまま涙目で喚くヨーシャに、アシュディは白い目と冷たい口調で返した。そうして懐から、一枚の紙を取り出す。


「アタシたちは国王陛下の魔術師団よ? あんたらが馬鹿なことしたら半殺しまでオーケーよ、って陛下から一筆頂いてるの」


 ひらりと見せたその紙には、アシュディが告げた内容を王族や貴族が使うような回りくどい言葉で書き連ねてあった。そうして国王陛下の署名と、くっきりとした御璽。


「半殺しって、意訳ですよね」


「お馬鹿さんに教えてあげるんだから、簡単な言葉じゃないとわからないでしょ?」


 仲間の一人が肩をすくめながら言う言葉にアシュディは、ヨーシャへのあからさまな侮蔑を込めて答えてみせた。

 城内がこういう状況であるから、城の外では商人や貴族たちの退避が始まっているというのに。

 城の中しか見ていない者には、それが理解できないのだということに赤黒い髪の魔術師は小さくため息をついた。

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