07.一方その頃、神獣が怒った

「そういうわけで、陛下。キャスバート・ランディスは自ら職を辞しました」


「なんと……」


 ゴルドーリア王国王城、国王の私室。寝台の上に半身を起こした国王に、宰相はそう報告していた。その隣には、第一王子も並んでいる。

 現在の国王であるワノガオス・ゴルドーリアは、数年前より体調を崩している。ここ数ヶ月の間にそれが悪化したため、王太子である第一王子ゼロドラスと宰相ジェイク・ガンドルに主な政務を任せ、自身は養生生活に入っていた。

 キャスバート・ランディスを解雇したジェイク宰相は、国王には『キャスバートが自己都合により辞職した』と申し立てた。彼の解雇が自身と王太子の独断であったからだ。


「……やはり待遇や給金が不満であったのだろうか? 特務魔術師として、当然のレベルを提示したのだがな……」


「詳しいことは、何も言っておりませんでしたね。殿下」


「そうだな、ジェイク宰相」


 王都守護魔術師団中堅幹部レベルの給金、衣食住の保証。システム運営に支障のない程度の休暇と行動の自由。

 それが、キャスバートを王都に招くにあたり国王が提示した待遇であった。それに二つ返事で頷き、キャスバートは王都を守る任に当たっていたのである。

 国王はその待遇を不当に低かったのではないか、と考えているようだ。だが、キャスバートの能力を高く見ていない二人としては、逆に高いものであるという自らの判断が正しいと信じている。

 しかし、未だ王の地位にあるワノガオスにそれを進言することははばかられた。

 それが故の一方的な解雇と情報操作である。そして、宰相は自身が信じた最良の策を国王に告げた。


「後任として、彼よりも能力の高い魔術師を着任させましたので陛下に置かれましては、どうぞご安心を」


「その者は、『ランディスブランド』か?」


「いえ。ですが、能力は」


「では、無理じゃな」


「は?」


 端的な言葉で自身の策を却下されたことで、宰相の顔が露骨に歪んだ。その目の前で、国王は寝台から足を下ろす。控えていた使用人たちがその肩に上着をかけ、靴を履かせる。

 簡単な身支度を整えた国王は、宰相と第一王子を呆れたような目で見つめた。そうしてそのまま、使用人が差し出した杖をついてゆっくりと歩き出す。


「ゼロドラス、宰相。ついてまいれ」


「あの、陛下」


「わしは、この国を終わらせる愚王となる準備をせねばならん。まず、行かねばならぬ場所がある故、ついてまいれ」


「父上?」


 ぽかんと父の背を見送りかけていた第一王子は、宰相と顔を見合わせると慌ててその後を追った。




 王城の地下、王都守護魔術師団の司令部からほど近い一室。その入口の扉を、国王がゆっくりと開く。中に入り、彼はついてきた二人を肩越しに伺った。


「この奥が、結界設備室じゃ。本来なれば特務魔術師とその者が許した者、そして国王以外は入れぬのじゃが……ま、よかろう」


『は、はあ』


 気が抜けるような返事しか返すことのできなかった二人に、国王は小さくため息をつく。そうして部屋の奥、もう一つの扉を彼は開いた。そうして、精一杯声を張り上げる。


「ゴルドーリアの王都を守りし神獣よ。王、ワノガオスが失礼する」


「王が、何用だ。我は今、非常に機嫌が悪い」


「ひっ!?」


 前室から扉の奥を覗き込もうとした王太子が、そこから響いてきた声に腰を抜かした。宰相もまた、ビクリと身体を震わせる。


「……王よ。そこな者どもは何だ? マスター・キャスバートはおらぬのか? 我は、マスターの顔を見たいのだが」


「………………なるほど。ゼロドラスよ、宰相よ。そなたら、わしを謀ったな」


 そして、がつりと杖で床を叩いた国王の、地を這うような怒りの声に二人は、身を縮こませた。理由は分からないが、自分たちの浅はかな行いがあっさり看破されたということを、彼らは本能的に知ったのだから。


「神獣よ、申し訳ないことが起きた。この者ども……愚かなる我が息子、そして宰相によりそなたのマスターは王都を放逐されたようだ」



「あ゛?」



「ひいいいいっ!?」


「な、なんでキャスバートごときが、というかこれはっ」


 たった一言、たった一音。

 そこに込められた怒りが、ゼロドラス第一王子とジェイク宰相の理性を見事に吹き飛ばした。二人は目に見えぬ力でぐいと引きずられ、あっという間に国王の横を滑るように奥の部屋の中に滑り込む。


「ここが、王都を守護する結界を展開するための場だ。ゼロドラス、お前には間もなく教えるはずであったのだがな」


「ひ、ひいい!」


「そして我が、結界を展開する者。神獣システム、と人の子は呼ぶ」


 平然と立つ国王のすぐ手前で転がっている、王太子と宰相。さらにその前、王城をほぼカバーするのではないかと思われるほど広い、広い空間の中央に設えられた台の上にそれはゆったりと鎮座していた。


「こ、これが、結界展開システム……そういう、こと、だったのか……」


 宰相が唖然と見上げるその姿は、虹色の毛並みを持つ有翼の獅子。細めた目は漆黒の闇を湛え、ばさりとはためかせた背の翼からはキラキラと光の粒が溢れる。


「我がマスターをごとき呼ばわりした愚か者がそなたの子か、人の王よ」


「恥ずかしながら、そのとおりじゃ。わしは育て方を間違えた」


「全くであるのう。更に、マスターの放逐を図ったが宰相では、我が居ろうとも国は長くない」


「なっ!」


 神獣たる存在故、システムはあくまでも人を下に見てものを言う。そうして台座から立ち上がったシステムは、ふわりと浮かび上がった。背中の翼がきら、きらと光を放つ。


「王よ。マスターを、『ランディスブランド』を放逐した以上、我とそなたらとの契約は破棄されたということになる」


「うむ。神獣の怒り、甘んじてお受けしよう」


 あくまでも静かに言葉を紡ぐシステムに対し、国王はゆっくりと膝を折った。深く頭を垂れる王の姿を信じられない、とでも言うかのように宰相が大声を張り上げた。


「陛下! 神獣に、我が甥ヨーシャと契約をかわさせてください! そうすれば、『ランディスブランド』などに王都の守りをっ」


「そ、そうです父上! たとえ神獣と言えど、ヨーシャの魔力で使役できれば!」


「黙れ」


「っ」


 神獣の言葉が命令となったのか、宰相や王太子の口から放たれていた言葉がぴたりと消えた。その横を、獅子の姿をした神獣はゆったりと歩んでいく。


「『ランディスブランド』の魔力を対価にゴルドーリア王都を守護する契約は、今を持って完全破棄とする」


「はい。今後はいかがなさるおつもりか」


「我は、『ランディスブランド』の魔力の味が好みでな。マスター・キャスバートはそれに加え、我に今の世界の様々を教えてくれた。その教えに、我は報いるつもりだ」


 ぱたん、と太い尾が振られる。機嫌を直したことが分かる仕草に、国王はわずかに顔を上げた。


「外の世界を、ごゆるりとお楽しみあれ。これまで王都を守っていただいた恩は、せめて王たるこの身は忘れずにいよう」


「うむ。では」


 微かに振り返った獅子の顔に笑みが浮かんだかのように、国王は感じる。その笑みが消える前に神獣の姿は小さな光の玉となり、するりと消えていった。

 それを振り返ることもなく、国王ワノガオスは未だ口をぱくぱくさせている愚か者共に言い放った。


「だから言ったであろう? わしは、この国を終わらせる愚王となる準備をせねばならん、と。そなたらも、供をしてもらうぞ」

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