応援コメント

第53話「空の配達屋」」への応援コメント

  • レッシバルとフラダーカの関係は、親と子から、主と従に変わっていたのですね。
    探検隊や船員とも上手くやっているという事は、群れを作る習性のようですね。

    ちょっと気になったのは「死に追いやった」という表現なのですが、まだ死んでいないので「死地に追いやった」の方がいいのではないかという所です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    はい。
    仰る通り、小竜種は群れる生物です。
    確か、小竜隊が登場したのは本編の最初の方の回想シーンだったと記憶しています。
    小竜という架空の生物のイメージを掴もうといろいろ見ている内に、ガネットの動画に辿り着きました。
    なので、小竜の生態や能力はガネットに似ているところがあります。
    動画の中で、ガネットは皆で暮らし、漁のときも一斉に「ドボンッ! ドボンッ!」と水へ突っ込んでいきます。
    仲良しかどうかはわかりませんが、とりあえず集団で行動する生物のようです。
    そんなところが小竜種のイメージに合致しました。

    「死」と「死地」について。
    ご指摘くださり、ありがとうございます。
    前話後段の一節ですね。

    ※あまりネット上で「死」という文字を連発していると何かに引っ掛かるというのを聞いたような記憶があるので、仮に「詩」とさせていただきます。

    確かにアレータ島近海という〈場所〉で詩ぬことになりそうなので、「詩地に追いやった」というのは有りだなと思いました。
    辞書やネットで調べていると、似たような言葉で「窮地に追いやる」というのも見つかりました。
    「地」には場所という意味の他に、置かれている状況という意味も含まれているようです。

    前話の編集画面を開きながら、すごく迷いました……
    仰る通り、トトルたちがまだ生きているという〈現況〉に注目するなら、「詩地」の方が適切です。

    改めて前話を読み直してみました。
    少なくともこの時点のレッシバルにとって〈海の魔法〉は絶対に敵わない相手であり、打つ手なしの状況です。
    トトルたちの詩は確定しました。

    だからもう詩んだも同然と解釈して「詩に追いやった」か?
    実際に詩ぬまでは生きていると厳密に解釈して「詩地に追いやった」か?

    散々悩んだ末、本作では「詩に追いやった」でいくことにしました。
    あの嘆きで表現したかったのは、レッシバルの感情でした。
    その時が来たら容赦なく執行される詩刑のような絶望感です。
    執行の瞬間までは呼吸し、心臓が動いているので生物としては生きているかもしれませんが、人間としてはどうなんだろう? と思いました。
    なので、場所や状況を表す「詩地」ではなく、感情的な「詩」が私の中でしっくりきました。

    今回、「詩」や「詩地」についていろいろな意味や考え方があるのだと驚きました。
    調べて学ぶ切っ掛けをいただき、ありがとうございました。
    今後に活かしたいと思います。
    長文失礼しました。

  • フラダーカにとってはレッシバルが主でラーダが師匠なのですね。

    彼は師匠が乗っているフォルバレント号の危機やレッシバルの絶望感を全部察知しており、思念を送って主を叱咤激励したのですね…。

    フラダーカ偉い!

    バチバチと溜息を口に込めながら主に思念で語りかける様が、若い竜の血気溢れる感覚となって読者にも伝わり、いつ急降下が始まるのかとワクワクドキドキしました!

    しぶとく強く、諦めない者が最後には勝つのだと、希望が沸き起こって来るお話でした(≧∇≦)

    猛スピードで急降下した彼らは、これからどうなるのかな?
    続きを楽しみにしております!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    竜は賢い生物なので、取り巻く状況を理解していました。
    自分が人間とは違う種族なのだということもわかっています。
    自然界では基本的に異種族は攻撃の対象です。
    しかしレッシバルたち探検隊はそんなフラダーカを家族として扱ってきました。
    ゆえにフラダーカにとっても皆は家族です。
    家族を置き去りにするという選択肢はありません。
    今回は種族を超えた仲間とか家族について描いてみました。
    いよいよ大変な戦いに突入しました。
    …レッシバルたち以上に作者が(笑)
    後のアレータ海海戦に繋がる前哨戦です。
    頑張ります。
    次回もお楽しみに。