大好きだよ。

 貴方がくれたバック、貴方が作ってくれたチャーハン、貴方が連れて行ってくれたみなとみらい。それらすべての思い出がパズルのピースとなって、パチパチと音を立ててはまっていく。


 それはまるで、私たちだけの世界の構築。二人しか知らない二人の想いをぶつけ合い、その熱気で湯を沸かし、ラズベリーの香りがする紅茶を淹れる。


 甘くてほのかなトキメキをくれる貴方を、私は愛している。恋と愛の違いは、冷蔵庫に入れても美味しいかどうか。恋は冷たくては美味しくない。例えるなら、みそ汁。愛は冷たくても美味しい。例えるなら、トマトスープ。私はたとえ彼が冷え切ったとしても、彼を味わうことが出来る。愛があるから、彼の欠点も臭い寝起きの息も好きだった。


「ねぇ、大好きだよ」


 私の隣に寝転がっている彼の長い睫毛を、人差し指の側面で撫でる。フーっと息を吹きかけると閉じた目の瞼が動いた様な気がした。


 私たちの住むこの部屋は、クーラーが効いていて快適。しかし机の上には、未だ食べられず放置された美味しそうな料理たちが並んでいる。その見た目によらず、香ばしい匂いは私の鼻には届かない。


 今日は私たちが付き合って二年の記念日だった。だから盛大にお祝いしようと私は手料理を作り、彼の帰りを待っていた。しかしあろうことか彼は約束の時間になっても帰宅しなかった。連絡しても返事がなく、私は彼の安否を案じ要らぬ想像を膨らませ何度も電話をした。しかし彼は一時間後、「忘れてた」の簡素な返事を悪びれることなく送ってきた。


 彼が帰るや否や、私は彼に向かってあらゆる正論を浴びせ、彼を一方的に責めた。けれど何を言っても彼は「しょうがないでしょ、またお祝いすればいいじゃない」の一点張り。一言も自分の非を認める発言をしない。


 その態度が気に入らなくて、私は更に怒り家を飛び出そうとした。けれど彼はそれを必死に止めて私を抱きしめる。


「いやだ、行かないで」





 いつぞやも、そんな懇願を私は彼から受けた。彼が私以外の女と飲みの席を設けた時、私は酷く怒り家出をしようとした。仕事でしょうがなかったんだ、そんな言い訳を私は包容することはなく、当てつけのように出て行くと喚き散らした。


「ごめんね、もう二度としないから」


 悔しさで泣き出す私の頭を撫でて、浮気はしていないと呟いた彼。彼が他の女と肌を触れあい、互いの欲を弄りあって、どんな谷底よりも深い声で互いの鼓膜を震わせるんだと思えば、私は嫉妬と憎しみの力みで舌を噛み切れる。


 許さない、酷い、そんな想像させないで、でもね、大好き、本当に好きなの。私はそう呟いて、自分の頬を包み込んでいる彼の手を涙で濡らしてやった。



 



 あの時は謝ってくれたのに、今回の喧嘩は泣いても謝ってはくれなかったな。今までと違う喧嘩。もう私との記念日なんてどうでもいいんだ。ご馳走を作って待っているって言ったのに、そのご馳走を彼は楽しみになんてしていなかった。


 だったらなぜ私はご馳走なんて作ったのだろう。そもそもそんな期待もされていない食べ物を“ご馳走”と呼んでいいのだろうか。


 まだ起きない彼の顔をまじまじと見る。私の大好きな顔、私にだけ見せる笑顔を見ていると、私は自分を世界で一番の幸せ者だと豪語できる。


 けれど、今度ばかりは本当に許せない。

 

 なぜなら、彼の胸元から落ちてきた小さな箱には緑色のイヤリングが入っていた。私の大嫌いな色は緑。それを知っている彼が、緑のイヤリングなんて私に買ってくるわけがない。


「誰のために買ったのよ!」


 そう怒鳴り、床にそれを打ち付けた。



 その時のことを思い出せば、憤りが激しく脳内に帰って来る。どんな言い訳も、もう私は受容する気はなかった。同棲して一年、何をしていてもつまらなさそうな最近の彼の横顔は、自分を解放しろと言っているようだった。私は身も心も全て彼に捧げられるほど彼を愛しているのに、彼はもう私を愛していないようだった。


 好き、大好き、私のそんな呟きを、彼は付き合ったばかりの時は全て愛おしそうに拾ってくれていたのに、今はその呟きをその辺に生えた雑草のように扱い、まるで庭が荒れてしまわぬように拾っているかのようだった。


 もう一度愛されていると実感したい、貴方を好きだから。本当は面倒くさい女で居たくないけれど、貴方の前では特別にわがままで面倒くさい女で居させて欲しいの。だって私は貴方の全てを背負っても、例えどんな罪を背負っても、貴方を独占したいほど好きなのだから。


 怒りを落ち着かせるために一つため息をつき、私は床に転がっているイヤリングとその箱を手に取った。誰のために買ったとしても、これは彼が頑張って稼いだお金で買った物、私は自分にそう言い聞かせて箱を開けた。


 すると一枚の紙が箱から落ちる。私はそれを拾い上げて見た。


『千秋へ

 二年記念おめでとう。君の誕生石のエメラルドのイヤリングだよ。これからもよろしくね。誠』


 それは彼から私に向けてのメッセージだった。私の誕生日は5月、確かにエメラルドが誕生石だ。


 感極まり、ピンク色の想いが胸の奥から湧き上がって来る。なんて彼女想いの良い彼氏なんだろう。もしかしたら約束の時間に間に合わなかったのは、このプレゼントのせいかもしれない。私が緑色が嫌いで、だけどエメラルドのイヤリングを選びたかった彼の葛藤が時間を経過させた可能性は、彼の性格上あり得ることだ。

 なんて可笑しい勘違いだろう。私はフフフと笑った。


 私は涙を拭って自分の耳にイヤリングを付けた。


「ねぇ! 誠、イヤリング似合う!??」


 大声で私は寝転んでいる彼の身体を揺さぶった。しかし彼は私の言葉に反応しない。









「あ」


 私は自分の手のひらのぬめりを感じて思い出した。



「そうだ、殺したんだった」




 床に広がるザクロの上に、コツンとイヤリングが落ちる。



 私の嫌いな緑色が、赤色に変わってしまう。幸運なことに、私は赤色が大好きだ。その愛おしさには既視感がある。

 

 愛おしさ、愛惜しさ?

 嗚呼、惜しい人を亡くしました。

 そう呟いて、合掌。

 また、彼の瞼が動いたような気がしたが、それは気のせいだ。

 

 艶かしい、私の愛情。冷え切った彼の体すら、私は迷いなく愛せる。

 彼の胸元から溢れ出た紅の湧き水が体温を失って、冷え切ったトマトスープのようだった。それをスプーンでひと掬い。喉を通れば私の血肉になって、身体がじわじわと火照った。


「フフフ、美味しいトマトスープ」

 

 近頃私の様子がおかしいと、友人に言われた。

 当たり前だ、恋人を殺してもまだ緑が好きになれず、それでも平気で彼のそばにいれてしまうほど、気が狂ってしまったのだから。

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