第36話 卒業式
いつもと違ったのは体育館のトイレ側に保護者用のパイプ椅子が並べられていること。それから紅白幕が周りを覆って、ステージの上には「第89回卒業式」と書かれている大きな幕がぶら下がっていることだ。
駐車場にはたくさんの車が止まっていて、すでに黒色の服で身を包んだ大人たちが何人か中で待機していた。
ああ、本番なんだって思うのと同時、隣の彩葉ちゃんも同じような感想をこぼした。
「今日は髪下ろしてるんだね」
「まーね。その辺は、邪魔しないように」
邪魔なのかどうかは分からなかったけど、彩葉ちゃんなりの考えがあるのだろう。
手を振って別れ、わたしは自分の席に座る。
「ど、どきどきするね」
「え? あー、うん」
隣の子とはまだ話したことはなかったけど、落ち着かない心を沈めるためについ話しかけてしまった。とりあえずという返事だけ貰い、わたしはやっちゃったと顔を熱くして下を向く。
先輩は今頃、廊下で待機してるのだろうか。今日はまだ先輩の顔を見れていないから、早く見たい。
あんまり後ろをちらちら見ていると他の人と目が合ってしまい気まずいので、時計を見ながら始まるのを待った。
やがてスタンドマイクの前に立った生徒指導の先生が開式の辞を述べる。ちょっと強面で声の大きい生徒指導の先生。わたしは直接怒られたことはないけど、すごく怖い印象の人だった。だけど今日はどこか温和な表情をしていて、髪も普段より短く切りそろえられていた。
今日のために髪を切ってきたのだとすると、この卒業式というものは生徒だけのものじゃないんだということを思い知らされる。それと同時に、なんだかんだ優しいのかなって思ったりもした。
そうして先生たちを観察していると、卒業生入場という声と共に音楽が流れる。リハーサルでしたように、わたしたちは拍手をして卒業生を迎える。みんな振り返って体育館の入口を見ていた。
彩葉ちゃんがリハーサルのときに「先頭の人だけめっちゃ緊張しないこれ」とこぼしていたのを思い出しながら先頭を歩く人を見やる。
爽やかな顔で道を開く。足取りは軽やかで、わたしたちが想像しているようなものを微塵も感じさせない。
たった二年違うだけで、こんなにも佇まいが違うんだ。わたしならきっと足がもたついて転んじゃうかもしれない。
一クラス毎に区切りがあり、四組の列を最前線で歩く人を見て、わたしは椅子から飛び出すように首を伸ばした。
薄い栗色の髪に太陽の光が当たるとまるで砂丘のような色に変わる。背中を伸ばし、歩く姿勢はとても綺麗だ。頭は揺れず、ただ前だけを見据えた凛とした表情。
わたしの大好きな先輩は、他の誰よりもカッコよく見えた。
ちょっとだけ巻いてある髪先が胸元につけたコサージュを包むようで、わたしの前を横切るとその背中が遠ざかっていく。
あんな風に、なれるのかな。
想像もつかない、わたしの未来。
あんな風に、なれたらいいな。
どれだけ好きになったって、どれだけ仲良くなったって。この気持ちだけは、やっぱり捨てられないのだった。
それから始まった卒業証書授与式は一人一人に渡されて行われる。
涙ぐみながら受け取る人。大きな声を出して受け取る人。ちょっとふざけてみんなに笑われるお調子者の人。いろんな人がいた。その中でも先輩は落ち着いた佇まいで、卒業証書を受け取る。
どこからともなく先輩の名前を呼ぶ声がした。それに先輩は、笑いながら手を振って応じる。先輩、やっぱり人気なんだな。先輩が卒業することを寂しいと思う人もたくさんいる。
わたしはその人たちみたいに声をあげることはできなかったけど、最初から最後まで、ステージから降りていく先輩の姿を目に焼き付けた。
リハーサルであんなに長く感じた卒業証書授与式はあっという間に終わってしまった。
閉式の辞を終えると、卒業生が退場する。
入場の時とは違い、先頭の人は赤くなった目を何度も擦っていた。列もやや乱れて、在校生に手を振ったりしている人もいる。卒業証書を掲げて、ピースをしている人もいた。さっきのお調子者の人だった。
いつもならコラ! って大きな怒鳴り声が聞こえるんだろうけど、今日は聞こえない。
あんなに怖かった生徒指導の先生は、優しい笑顔でそんな人たちを見送っていた。
わたしは先輩を探し、背筋を伸ばす。
四組の先頭。先輩はやはり淀みない歩みを進めていた。
声をかけていいのかな、迷惑じゃないかな。そんなことばっかり考えてしまう。
もうこの校舎で制服を着た先輩を見られないのだと思うと、やっぱり寂しい。もっと一緒にいたかった。どうしてわたし、もっと早く生まれなかったんだろう。
「せん、ぱい・・・・・・」
滲む視界でわたしの大好きな人を捉える。
目が合った。
何度も交わした視線。
何度も繋いだ手が、一瞬こちらに向く。
「あ・・・・・・」
通り過ぎる直前、先輩が小さく笑ってくれる。
それに応えることのできる笑顔を、わたしは作れなかった。かといって、大きな声をあげることもできない。
だからわたしは、必死に手を叩いた。
過ごした時間と貰ったものを数えるように。
誰よりも強く、拍手で先輩を見送った。
卒業式が終わると、保護者の方が先に体育館を出て行き、そのあと後片付けとなる。
二年生は幕を片付けたり、ストーブを戻したりする。わたしたち一年生は何人かの班に別れて椅子を運ぶこととなった。
「おーいそこの泣きべそかき」
「ぐすっ、うう・・・・・・なに? 彩葉ちゃん」
「鼻水垂れてるって」
彩葉ちゃんに指摘されて、ハンカチで顔を拭う。お兄ちゃんの言うようにぴぃぴぃ泣きはしなかったけど、代わりにぐすぐす泣いた。花粉症気味なのも相まって鼻水ばっかりが出てくる。
「ん、ちょっとは綺麗になった。ぴよ泣きすぎだって、みんな心配してたよ」
「う、うそ」
「当たり前じゃん。白玉さんどうしたの? ってうちがみんなに聞かれたんだから。本人に聞こうにも聞けなかったんでしょ。あー、もうほらまた垂れてるし」
彩葉ちゃんに鼻先を指でつつかれて慌ててハンカチで拭く。うわあびしょびしょだ。
「分かるけどさ、泣いちゃうのも」
「ずび、ぶん」
うん、濁音混じりになる。彩葉ちゃんが笑う。
「でもそれだけ好きだってことなんだから、いいことなんかもね」
「ぶん!」
しっかり目の周りを拭ききって、椅子を持つ。こんなにたくさんの椅子をこれから運ぶのかと思うと、腰があがらなくなる。
今頃先輩は自分の教室にいるだろうか。それとも、もう最後のホームルームを終えて外にいるだろうか。
友達と別れを告げて、親御さんと帰ったりするのだろうか。その辺の予定、聞いておけばよかったかな。
「ぴよ」
椅子、一気に二個持って行けたりしないかなとチャレンジしていると、彩葉ちゃんが椅子を・・・・・・三個も脇に抱えていた。すごい。
「先輩のとこ行きなよ」
「え、でもまだ片付けが・・・・・・」
「そんなのうちがやっとくって。みんなもいいでしょ?」
彩葉ちゃんが他の子に目配せをする。
「うん、いいよ」
「準備のときは白玉さんに任せてあたしらサボっちゃってたから、片付けくらいは頑張らなきゃね」
全然話したことない人たちまで、わたしを気遣ってくれる。顔をあげればみんないい人ばかりで、こんな人たちに囲まれて自分が生活してたことに気付く。
「ほら、みんなもこう言ってるから」
「う、うん! ありがとうみんな!」
わたしは持った椅子をどうしようかキョロキョロさせていると、全部彩葉ちゃんに取られてしまった。よ、四個持ち・・・・・・!
「ぴよはさ、変わったよね」
「そ、そうかな」
「出会ったあの日に比べたら、すごい変わったよ。なんていうか、明るくなったし、なんだろ。ぴよってもともと良い奴だけどさ、それが存分に発揮されてるっていうか」
あんまり真正面から褒められると少し恥ずかしい。彩葉ちゃんも同じようで、頬を朱に染めていた。
「なんで変わったのか、誰のおかげで変われたのか。もっとうちに見せてよ」
椅子を持つ手がぷるぷると震えていた。やっぱり重いよね、って手を差し出す。けれど、彩葉ちゃんは椅子を大きく持ち上げてみせる。
「ぴよが幸せになればなるほど、うちも勇気を貰えるんだからさ」
『誰かの幸せを祝える人になる』
それは彩葉ちゃんがあの日、観覧車の中で誓ったことだ。
これから先、きっといいことばかりじゃない。辛いことだってあるし、苦しいことだってある。卑屈になって物事を悪く見てしまうようになると、それはどんどん難しくなる。
でも、彩葉ちゃんは。
彩葉ちゃんなら。
誰かの幸せを祝ってあげられる。そんな素敵な人になれる気がした。
「終わりなんて、ないんでしょ?」
「うん」
答えると、彩葉ちゃんに背中をドン! と押される。
「末永く幸せになれ!」
「うん!」
他の子にも頭を下げて、わたしは駆けだす。
「爆発しろー!」
「あれ!?」
話が違う! と振り返る。
彩葉ちゃんが椅子を四つも持った手で、ガシャガシャ音を鳴らしながら手を振っていた。
やがてガシャンと椅子が床に落ちる音がする。
ごめん、でもありがとう。
わたしは親友の後押しを受けて、体育館を後にした。
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