第33話 いろんな物語があるから
「ところで河原さんは何を書いてるの?」
来た時から気になっていた机に広げられたノート。罫線を突き破るように躍動した・・・・・・ハエ? みたいなのがビュンビュン飛んでいる。絵だった。
「卒業するお姉さんにあげるんだって」
河原さんの代わりに上田さんが答えてくれる。
「河原さんお姉さんいるんだ」
「そ、弓道部なんだけど廊下で見たことない? こーんな長い弓担いでる人なんだけど。雨下先輩とも仲がいいんだって」
「あ、見たことあるかも」
そういえば先輩と付き合い始めて間もない頃、廊下でちらっとだけど見た気がする。長い黒髪を後ろで結んで、どこかカッコいい雰囲気の人だった。
「こいつこんなんなのにお姉ちゃん子でやんの」
「うるしゃあ」
上田さんが弄るように河原さんの頭をくしゃくしゃ撫でる。河原さんは猫みたいに威嚇していた。
「そっか。大好きなお姉さんに送るプレゼントなんだ」
「まあ、妹としては当然なのですよ」
「そうなのですか」
口調が移る。慌てて口を押さえるも遅かったらしい。河原さんに笑われていた。
「それにしても上手だね。プロの漫画家さんみたい!」
「いちおーネットにもアップしてますぜぃ。見ていくかい?」
河原さんが得意げにタブレットを取り出したのでわたしは前のめりになって画面を覗きこんだ。上田さんは慣れたようにため息をついていた。
絵を投稿できるサイトみたいで、左上には「もも」というペンネームが表示されていた。
「かわいい名前だね」
「白玉さん、それ多分白玉さんが思ってるようなのじゃないよ」
「どういうこと?」
「こいつの苗字河原でしょ。かわ。皮、だから、もも」
「え、え?」
「さては白様焼き鳥食べないな?」
せっかく説明してもらったにもかかわらず、二人の言っていることがよく分からなかった。なんで焼き鳥なんだろう。
疑問符を悶々と浮かべながら、河原さんに絵を見せてもらう。
薄いタッチだけど線は少なく、立体的な構図が印象的だった。なにより目を引いたのは地球の上で迫りくる太陽を押しとどめようとしている強靭な・・・・・・エビだった。
「エビって背筋強そうじゃん?」
「白玉さん、無理して合わそうとしなくていいからね」
「え、ええっと。でも、すごく河原さんらしくて素敵な絵だと思う! わたしは好き!」
絵には詳しくないけれど、心が動かされたのは確かだった。技術的なことは置いておいて、言葉の通り素敵だって思った。
河原さんは得意げに鼻先をかいて上田さんを見る。ぐぬぬ、と上田さんが渋い顔をする。
「それにしてもたくさんあるね」
他にも熊が川からダルマを拾い上げてる絵や芝生の上を走る機関車の絵もあった。どれもこれも個性的で、不思議な世界観がある。
「一年前からずっと毎日書いてるからね」
「え! 毎日!?」
上田さんの説明を受けて、驚く。
「じゃあこのサイトだと河原さんって有名人だったり!?」
「いや全然」
「あれ?」
「閲覧数なんて10いけばいい方でしょ」
「そ、そうなの?」
「お、詳しいねぇ」
「河原がいつも見せてくるんでしょ」
「上様もサイト登録すればいいのにー。そうすれば毎日見放題だぞー」
「メールアドレスとかパスワードとかめんどくさいんだもん。あと上様いうな」
チョップの軌道を眺めて不思議に思う。こんなに素敵な絵なのに、ってムッとするような心持ちのわたしがいた。
「でも、毎日書けるのってすごいと思う!」
「まあ私は才能の塊だからね」
「うん! 河原さんは絶対才能あるよ! 頑張ってね!」
「ふはは、くるしゅうないくるしゅうない」
「白玉さんの人柄を利用してふんぞり返えりおって」
仰け反って膨らんだお腹を上田さんにつねられて河原さんが椅子から転げ落ちそうになる。
「まあいいや。あたしちょっと教務室行ってフルートだけでも貰ってくるよ」
「あ、それならわたしも――」
「いいのいいの。白玉さんはそいつの相手をしてて。一人にしたら何するかわからないから」
上田さんの指が河原さんに向く。河原さんはなにやら張り切ったように眉毛をとがらせていた。
「そんなわけでよろしくね」
「わ、わかった。よろしくね上田さん」
バリゲートをぼがんがしゃんと壊して音楽室を出て行く上田さんを見送って、見事に破壊されたバリケードの修復をはじめる。
椅子を立てて、反対も椅子で固めて、あれ? これどうなってたんだっけ?
そもそもどうしてバリケードなんて立ててるんだろう。
「才能なんてないよ」
「え?」
謎のバリケードを撤去していいか聞こうと振り返ると、机のノートに視線を落としたままの河原さんが小さく零した。
しばらくして、河原さんの淡い彩の瞳がわたしを捉えた。儚くて、消えてしまいそうな色だった。
「別に、才能があるから書き続けられるわけじゃないよ」
「そ、そうなの?」
「なのだよ」
くる、と手の中でペンを回す。ペンは弧を描いて、机の上に落ちていった。
「本当に昔、絵を投稿し始めたころの話なんだけどさ。私の絵を好きって言ってくれる人がいたんだ。そん時はありがたや~って手を拝むだけだったんだけど、後になってその言葉がまぁ効いてきて」
河原さんは思い出すように、柔らかく口元を綻ばせながらペンを拾い上げた。
「今となっちゃ、その言葉のおかげでこうしてペンを動かせるわけだ」
「たった、一言だけで?」
「そうなんだよね。言葉って時間が経つほど価値を増していくっていうか、輝いていくっていうか。お、もしかして今詩的なこと言った?」
「う、うん! 歌の歌詞みたいだった!」
「白様はなんでも褒めてくれるなぁ。これじゃ私がダメ人間になりそうじゃ」
ほほほ、と河原さんが口を締めたままわざとらしく笑う。
「でもそういうものなんだよ。自分が惨めになって、弱気になって、目の前が真っ暗になったとき。いつかもらった誰かからの言葉がトンネルの向こうの光みたいに私を照らして、そこを目的地にするみたいに、また歩き出せる」
いつもの天真爛漫な様子とは違い、河原さんの消え入るような表情と声にはより近しいものがあり、少しだけ本当の河原さんのことを知れた気がした。
「まぁ私の絵を好きって言ってくれた人はアカウントも使い捨てみたいな感じだったし、今はどこで何してるかもわかんない。もしかしたら私のことなんてもう忘れて今は他の人に夢中かもしれない。でも」
河原さんはグリップ部分がややくすんだペンをわたしに見せて、言った。
「こういうことなんですよ」
もう一度、タブレットの画面に映った絵を見る。
一つ一つの線に河原さんの想いが詰まっているのだと思うと、より魅力的に感じた。
「だからもしこれから何かを始めようとしている人とか、応援したいって人がいたら、そういう言葉をかけてあげればいいんだ。そうすればその人は何か大きな壁にぶつかってくじけそうになった時、その言葉を思い出すからさ」
河原さんの大人びた表情は、廊下で見た弓を背負った影に似ていた。
「ま、少しでも白様の悩みに役立ててくれたまへ」
「う、うん。あれ? 悩みって・・・・・・え?」
自分の顔を指差す。河原さんが頷く。
「へいへい天才河原選手を侮っちゃいけないぜ。友達の悩みくらい、顔見れば一瞬よ」
ふふん、と河原さんがタバコを吸うようなジェスチャーをする。うちのお父さんみたいだった。
でも、そっか。
「ありがとう河原さん。すっごく勉強になった!」
「そりゃあよかった。白様の悲しむ姿なんて見たくないからさ」
再びペンを走らせて、ノートに力強い線を引く。蝉みたいな生き物が納豆のパックに止まってる絵、なんだろうけど。お姉さんはどっちなんだろう。
「頑張るんだぜぃ」
「うん!」
河原さんの熱い声援を受けて、わたしも大きく返事をした。
「それにしても上田遅いなぁ。ちょっと見てくるか」
「あ、それならわたし行くよ。河原さんはお姉さんへのプレゼントに集中してて!」
「おー頼もしい」
たのんだー、と力の抜けた声を背に受ける。
そういえば河原さん、上田さんがいないときは上様って呼ばないんだな。普通逆な気がするけど・・・・・・。
わたしはバリケードをぼがんがしゃんして音楽室を出る。
教務室へ向かう途中の廊下で、上田さんを見かけたので駆け寄った。手にフルートは・・・・・・ない。先生に会えなかったのかな。
手を振っても上田さんはこちらに気付く様子がなかった。
壁に寄りかかってスマホを見つめる上田さんに、後ろから声をかける。
「上田さん?」
「うわあ!」
「みゃあ!」
肩を叩いた瞬間爆弾みたいに弾けた上田さんの声にびっくりしてわたしまでひっくり返ってしまった。
「って白玉さんか。びっくりしたぁ」
わたしはまだ心臓がドキドキしていて、口をパクパクさせたまま立ち上がる。
「いや白玉さんのほうがびっくりしてどうするの」
「ご、ごめんねいきなり声かけたから、あ、び、びっくりした!」
上田さんはぎこちなく笑いながら、スマホをポケットに隠した。
「見た?」
「え、うん」
上田さんの視線を受けて、正直に答える。
上田さんのスマホにはさっき河原さんに見せてもらった絵の投稿サイトが映っていた。上田さんはめんどくさいから登録しないって言ってたはずだけど。
「言わないで」
「え?」
「河原には、言わないで」
上田さんの真剣な表情に、わたしは頷くしかなかった。
「ほんと、変な奴だし、変な絵ばっか書くやつだけど」
後頭部をかいて、伝うように首筋に落ちる。上田さんは肩を竦めて言った。
「一応、はずいからさ」
「うん。わかった」
「ありがとう白玉さん」
上田さんは胸を撫でおろして、息を吐いた。
「上田さんは河原さんの絵が大好きなんだね」
「言わないでって言ったよねぇ?」
「もが! ごめんなひゃい・・・・・・!」
ほっぺを両手ではさまれて舌が口の中でこんがらがる。
「まったくー」
ほっぺをむにむに触る。あれ、形変わった?
夕暮れの茜色を網膜に染み込ませて、滲んだ廊下を見渡す。
「でも、わたしはそういう応援の仕方も素敵だって思う」
「・・・・・・そう?」
「うん。しっかり届いてるよ」
しっかり、届いてた。河原さんはまだ気付いてないみたいだったけど。
わたしは小さく、自分の意思で頷く。
「大丈夫だよ、上田さん」
誰かを応援したいって気持ちは、自分の好きな人にしか向かないものだと思ってた。勿論河原さんも上田さんも、好きだけど、先輩に向けるようなものではない。
だけど、それでも応援したい。
そうだった。
わたしは、物語が好きだった。
恋愛小説や、少女漫画が大好きで、その中で頑張る主人公やヒロインを応援して、わたしもこんな風に頑張れたらなっていつも思っていた。
そんな物語が、わたしの周りにはこんなにもたくさん溢れている。
「なんか、白玉さん」
上田さんが驚いたようにわたしを見る。
「今の、雨下先輩みたいだった」
「ええ?」
顔をぺたぺたする。先輩の顔にはなっていない。
「まだまだだよ、わたしなんて」
憧れた、その先を踏んだとしてもきっと届かない。だってもう、追いかける背中は繋いでくれる手に変わったから。
「教務室、一緒に行こ。上田さん」
「そうだね。というか河原は? 置いてきた?」
上田さんを探しにいくと率先して言い出したのは河原さんだった。でも、それを言ったら、河原さんは怒るかな。・・・・・・あんまり気にしなさそう。
そういうわけで、河原さんが本当は探したがってたけど、わたしが無理言って替わったんだよ。って伝えると上田さんは頬を染めながら「ふーん」と嬉しそうに言った。
わたしは上田さんと並んで廊下を歩く。
光差し込む、窓の外。
中庭の八重桜は、茜色の影に蕾をつくっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます