第27話 お泊まり会のとある事件

 先輩が作ってくれた親子丼はすごく美味しかったし、エプロン姿の先輩はとっても素敵だったし、包丁がまな板を叩く小気味いい音を聞きながらキッチンを行き来する時間は幸せに思えた。 


 わたしの家よりも大きい浴槽に全身を沈めて、シャンプーとコンディショナーの銘柄を覚える。わたしも今度これにしようと決め、さらさらになった自分の髪を指ですくう。


 腕の根元から先まで見て、一安心。いやまだまだ油断できないと水面に揺れる上半身を睨みつけて手で撫でる。逆らうものはない。


 処理いらずの低燃費な体であることがここで役にたったようだった。


 お風呂をあがりタオルで体を拭く。下着をつけて、洗面所の鏡を見た。無地の白。可もなく不可もなく。上下セットであることがせめてもの救いだろうか。たまに全然別の色をつけちゃうときがあるので、今日は運がよかった。今朝の自分を褒めたい。


 先輩の部屋に入ると、お風呂あがりのいい香りが充満していた。


「あ、ちょっとダボダボだったね」


 先輩から借りた服は、ちょっと大きい。袖から手を出すためには一度うんと伸びをする必要があった。


「自分が着てた服を他の誰かが着てるのってなんだか不思議な感じ」


 わたしもわたしで、きっとこの服を着ている先輩を見たことがあったら表情が溶けていくのを抑えられなかったに違いない。


「あ、あの。お湯って抜いたほうがよかったんでしょうか」

「大丈夫だよ。あとで抜いておくから」

「あ、ご、ごめんなさいっ、気が利かなくて」

「ううん、私も言えばよかったね。ごめんね」

「そ、そんな、先輩が謝ることじゃないです」


 そういえばタオルも洗濯かごか洗濯機なのか分からなくて結局かごのほうに入れてしまった。それも含めて先輩に聞くと、先輩はわたしを手招いて敷かれた座布団をぽん、と叩いた。


「私のせいにしたっていいんだよ」


 隣に座ると、ふわふわ柔らかい香りがする。艶やかな先輩の髪は、水分を含んだことでいつもより丸みを帯びていた。


「私のせいにして」


 なんだろう。


 先輩の言葉の意図がわたしには分からなくて、つい視線をあっちこっち泳がせてしまう。


 拳一つ分空いた先輩との距離。だけど、今は限りなくその幅が縮まっていっているように感じた。


「じゃ、じゃあ・・・・・・先輩の、せいってことで」

「うん。ありがと」


 押し付けるようなそれは本来なら罪悪感を抱くような行為であるはずなのに、どうしてかわたしは、先輩にもっと近づけたような気がした。


 一つ一つ、凝りをほぐしていくようだ。


 手探りで、硬い部分と柔らかい部分を見つけていく。


 今まで踏み込まなかった箇所に行って、そこの心地よさに触れると、体の回りがよくなっていく。


 ちょっとくらい、わがままになってもいいのかな。なんて思ったりもした。


「その服、燈代ちゃんにあげる」

「いいんですか?」

「古着だから全然いいよ。燈代ちゃんはどう?」


 袖に隠れた自分の指を見る。


「ほ、欲しいです」


 言うと、先輩は嬉しそうに頷いてくれた。


 遠慮とか、礼儀とか。そういうのはたしかに大事なのかもしれないけど、こうして時々甘えてもいい時間が来る。それって多分、恋人同士じゃないとできないことで。


 気付けばわたしは、先輩の肩に自分の肩を当てていた。


 先輩がどう思うかは分からないけど、わたしが触れていたい。甘えるってこういうことなのかな。


「他にも古着あるよ。よかったら見てく?」

「はい」

「ちょっと伸びちゃってるのもあるけど、ほとんど着てないのとかもあるから」

「ちょうど新しいの欲しかったので嬉しいです」

「春物って悩むよね。上着買ってもちょっと暑いかもって思うときもあるし、でも肌はあんまり出したくないしで困っちゃう」

「わたしは、いつもお母さんが買ってきてくれるので」

「そうなの? 燈代ちゃんのお洋服いっつもかわいいから燈代ちゃんが選んでるのかと思ってた。お母さんのセンスはばっちりだね」

「ちょっとかわいすぎる気もしますけど」

「そんなことないよ。燈代ちゃんにとっても似合ってるもの」

「ありがとう、ございます」


 タンスを見ながら話す。なかなか動き出さない。無言が少々続く。


「燈代ちゃん」

「はい」

「立ち上がってもいいかな」

「え」


 先輩がくすぐったそうな表情でわたしの肩をみやる。


「あ、ご、ごめんなさいっ!」


 バッと勢いよく離れる。


 あ、甘えすぎた・・・・・・!


 後ろのベッドに肘を乗せて仰け反るわたし。エビフライ。どこまでも飛べる気はしなかった。


 先輩がタンスから出してくれた服をいろいろ見て体に合わせてみる。どうなんだろうと先輩を見ると、似合ってるよと返してくれる。


「燈代ちゃん華奢だからワンピースがすごく似合うね。これなんかどう? ほんとは7000円くらいするんだけど安売りで半額だったからつい買っちゃったんだ。作りもしっかりしてるから長持ちすると思うよ」

「わあ、かわいいです」


 薄い水色のワンピース。スカート部分で色が淡くなっていて、腰に付いたリボンがすごくかわいい。縦に入った線のおかげで、子供らしさが抜けている。


「でも、いいんですか? こんないいものまで」

「うん。燈代ちゃんに着てもらいたいな」


 服を体の前に持ってくる。サイズは、どうなんだろう。やっぱりちょっと大きめ?


「着てみる?」


 ふと先輩がそんなことを言う。


「は、はい。着てみたいです」


 かわいい服を目の前に、わたしも気分が上向きになっていた。ひらひらと波打つそれを見て、笑顔で応える。


「じゃあ、脱ごっか」


 先輩の手が、わたしの着ているパーカーのファスナーに手がかかる。


 ジー、と胸元が開いていく音がする。


 声にしようと思ったものが、喉の奥で塞き止められる。


 唇が締まって、息ができない。


 優しく触れる手から伝わるように、全身が痺れていくのを感じた。


 それはきっと、先輩のせいだ。

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