第21話 わたしの友達

 ゴンドラがガタン、と揺れて、降りていく。今度は上がっていく景色は、無理矢理にでもわたしたちの足を地面に着けようとしていた。


「でも、落ちていきたくない」


 彩葉ちゃんがこぼしたその声には、たしかな力があった。


 うつむいていた顔をあげる。


「ぴよの言葉を聞いてさ、誰かと付き合うってやっぱいいなって思った。いいこと尽くしじゃん。いいこと尽くしだから、きっと泣いたりしちゃうこともあるんだ。なんのリスクもなしになんて、それはさ、自分にも、相手にもよくないもんね」


 わたしは、ハッとした。


 目の前で、泣きながら笑う女の子。 


 派手だけど、優しくて思いやりがあって、すごく面白くて、真っ直ぐな。


 わたしの友達。


「ぴよだって、辛い思いをしてようやく今があるわけじゃん」


 わたしは頷く。その辛い思いや悩みも、今となってはちょっとだけ頑張った自分の思い出だ。


「落ちるばっかりは、いやだな」


 地上が近づく。


 ゴンドラが落ちていく。


 涙の跡を拭う。


 彩葉ちゃんは立ち上がった。


「ぴよ!」

「は、はい!」


 名前を呼ばれて、授業のときみたいにわたしも勢いよく立ち上がった。


「うち、誰かの幸せを祝える人になる」


 両手でグーを作って、さっきまでわたしたちがいた空を見上げる。


「幸せを分け合うのってさ、きっと難しいことなんだよね。それはこの先、大人になってもずっとそうかもしんない。だけどさ、せめて友達の幸せくらい素直に受け取らなきゃ」


 彩葉ちゃんが、わたしの手を握る。


「それができたらさ、うちら。ずっと友達でいられる気がするんだよね」


 山の向こうに見えた無数の光も美しかったけど、わたしはこの身近な一番星がすごく手放し難いものに見えた。


「だから頼んだ、幸せもん」

「ど、どうも!」


 こんな返事でよかったのかわからないけど、意気込んで放った声はゴンドラ内に強く広がった。


「彩葉ちゃんなら、きっと大丈夫だよ」

「ほんとー? 信じるからなー?」


 繋いだ手を何度も上下に振る。ぐわんぐわん。


 勢いが増すたびに、彩葉ちゃんの熱い思いが流れ込んでくる。


 きっとわたしは、彩葉ちゃんみたいに自分で考えて、自分の中で気持ちを整理することなんてできない。


 それができる彩葉ちゃんは、本当に強い人なんだろう。


「たぶんぴよじゃなかったら、うちはこんな風に思えなかった。もっと、よくない感情ばっか抱いて、最終的には、ふじちゃんセンセーも、岡村センセーも、自分のことも、嫌いになってたかもしれない」


 自嘲気味に彩葉ちゃんが笑う。


「でもぴよだから、うちはこんな風に思えたんだよ。ぴよってさ、そういう不思議な力があるんだ。雨下パイセンもたぶん、そこに惹かれたんじゃないかな」

「そ、そうかな」


 えへ、と照れてしまう。けど、うれしかった。


 もらうばかりじゃない。わたしも、誰かになにかをあげられている。先輩に憧れてから今日まで、たしかな一歩を踏んでいたんだ。


「あのとき、たまごスープをかけてくれてありがと」


 そういえばあの日、わたしが後方不注意になっていたのは楽しそうに同級生と食事を摂る先輩を見ていたからだ。


 時折こうして、過去に繋がりを見る。偶然じゃないと思えるような奇跡の巡り合わせ。もしかしたらって気分が上ずっちゃって、大袈裟に運命と掲げてしまうのも頷ける。


 素敵な出会いと出来事を、信じていたい。


「まあ? まだ許してないけどね」

「そ、それは、ごめん・・・・・・」

「ぴよ的に言えば、まったくさっぱり、許してない」

「え、わたしそんなこと言う?」

「自分の口癖気付いてない? しょっちゅう言ってるよ、まったくさっぱり」

「えー?」


 うーんと考える。


「言ってないよ」

「変なところで強情なのほんとウケる」


 ウケられても、本当に言った記憶がないのだから仕方がない。


 ゴンドラが地上に着いて、ドアが開く。外はすでに暗くなっていて、足が地面を踏んだ感覚だけを頼りに着地する。


 そんな暗がりでも、たしかに見えるものがあった。 


「今日は誘ってくれて嬉しかった。やっぱ持つべきものは友達ってね」


 彩葉ちゃんの笑顔って、こんなにも無邪気なものだったんだ。


 誰かを好きになって一本道を走ると、たくさん見えてくるものがある。それを前進と呼び、変わりゆく景色に胸を躍らせると輝いた世界はなにもかもを幸せにしてくれる。


 けど、今まで見えていたものが見えなくなるのもまた事実だった。


 盲目になっちゃいけない。


 わたしを支えてくれた人は、一人じゃないから。目指した場所へ辿り着いたその道程で、背中を押してくれた人。手を引いてくれた人。それらを置き去りにして得たものは、きっと短命だ。


「ううん! わたしも楽しかったから!」


 いろんなものを大事にしよう。


 心の中で、わたしは静かに誓うのだった。 



 翌週の月曜日。


 教室の扉を開けて颯爽と入ってきたのは更に鮮やかになった髪を躍らせる彩葉ちゃんだった。


「い、彩葉ちゃん!? その髪どうしたの!?」

「おっはーぴよ。これすごくね? グラデいれてもらったんだけど、超キレイっしょ!」

「キレイだけど、そんなの先生に見られたら・・・・・・」


 話していると、ホームルームが始まる5分前にいつものように藤田先生が教室に入ってくる。


 あ、とわたしの声と藤田先生の声が同調した。


「皆川さん!? ちょっとその髪どうしたの!?」

「染めてもらったー」

「限度があるでしょ!」


 頭を抱える藤田先生の傍らで、彩葉ちゃんがへらへらと笑う。


 てっきりわたしは、今回の件をきっかけに髪を染めるのをやめるんだろうと思ってた。


 だけど、彩葉ちゃんはそれどころじゃない。むしろ真逆のことをしてがしたのだ。


「はぁ・・・・・・ほんと皆川さん、あなたって人は、何度言ったら分かってくれるの?」

「問題児ですから」


 ふふん、と鼻を高くする彩葉ちゃん。あ、ピアス付けてる。


 藤田先生は彩葉ちゃんの言葉に驚いたようで、大きな目を丸くしていた。


「皆川さんは、ちょっとやんちゃなだけでしょ? 問題児だなんて思ってないわよ」


 教室の隅っこで行われる攻防。クラスのみんなもいつものことかと談笑のBGMにでもしているようだった。


 それでもわたしには、いつもと違うように見える。


「そっか」


 彩葉ちゃんは笑い、手首に付けたアクセサリーに照明を反射させる。


 きっと見られるのは今だけかもしれないけど、今朝の彩葉ちゃんは、淀んだものを含まない。純一無雑な輝きを放っていた。


「手がかかる生徒ではあるけどね!」


 腕をがっしり掴まれた彩葉ちゃんは、いつものように生徒指導室に連行されるのだろう。


「そんなに髪を染めてどうしたいの? 好きな子の気でも引きたいの?」

「もー、ふじちゃんセンセー。違うって」 


 腕を掴まれて半ば引きずられながらも、彩葉ちゃんはもう片方の指で大きなピースを作る。


「自分のために決まってんじゃん?」


 教室を出て、連れ去られていく途中に見えた彩葉ちゃんの横顔。


 屈託のないその笑みに、後ろ向きなものは一切含まれていなかった。


「あれはさすがに、染めすぎだけどね」


 ちょっと度が過ぎて先生たちに袋叩きにされるであろう自分の友達を思い、肩を竦める。


 正当な罰だから、頑張ってねと応援する他なかった。


 でも、たぶん。大丈夫だろう。


 これからは、自分のため。そして誰かのために、前を向く。


 大きな苦難を乗り越えた彩葉ちゃんなら、それくらい朝飯前なんだろうな、とわたしも黒板の方を向く。


 廊下の遠くから聞こえてくる笑い声。


 わたしの一番大切な友達はもう。


 まったくさっぱり、心配いらないのだった。

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