第19話 しおみずばかりじゃ

 土曜日のお昼。駅のホームでスマホを弄っている彩葉ちゃんを見つけて声をかける。


 休日に会う彩葉ちゃんの私服は制服とは真逆の色をしていて、いつもより髪にマッチしていた。人波に浮く鮮やかな人影はわたしを見ると長く巻いたまつ毛を上に向ける。


「こ、こんにちわ」

「こんにち・・・・・・って、ぴよじゃん! びっくりした、知らない人に声かけられたんかと思った!」


 とはいっても、こんにちわ以外の第一声がわたしには思いつかなかった。どうも、っていうのも変だし、おいっすーなんていうのも、違う・・・・・・のかな? 彩葉ちゃん的にはおいっすーなのかもしれない。


「昼食った?」

「う、うん。食べたっ」

「食ったんかーい! ダメじゃん!」

「あ、ご、ごめんね! どこか食べに行く予定だった?」

「いやそういうわけじゃないけど。うちも食ってきたし」

「ええ?」


 彩葉ちゃんがスマホをしまったのを合図に歩き出す。


 話した限りは、いつも通り。むしろいつもより元気な声で話す彩葉ちゃんは、快活な足取りでわたしの前を歩く。顔は見えない。


 今日のわたしの目的は、彩葉ちゃんに元気を出してもらうこと。それから、ごめんって謝って仲直りすること。


 でも、今の調子だと簡単に達成できそうだった。


 ・・・・・・その時点で、もしかしたら破綻しているのかもしれない。


「あ、あの、彩葉ちゃん」

「んー?」

「この間はごめんね。わたし、彩葉ちゃんにすごく無責任なこと言ったでしょ? 後で思い返してみたら、全然彩葉ちゃんの気持ち考えてなかったなって思ったの。彩葉ちゃんすごく辛い思いしたのに。だから、ごめんね」


 彩葉ちゃんが振り返る。怒られるかもって、身構える。話題を出したことによって、この距離感が壊れてしまうのではと怖くなる。彩葉ちゃんは、笑っていた。


「ぴよ、話の切り出し方へたくそすぎ」

「え、え? ご、ごめんね! いきなりだったよね!」

「あーびっくりした。普通そういう話は後半になってからじゃね? まあいいけどさ。ぴよがうちを遊びに誘ってくれたのって、たぶんそのことなんだろうなーって思ってたし」

「ば、バレてた?」

「バレバレ。けど、そういうカンジか。まー、そのほうが気まずくないかもね」 


 彩葉ちゃんはわたしの手を握って、ぐわんぐわんと上下に振った。


「うちもごめん。ぴよのこと羨ましくてさ、ひどいこと言った。本当はそんなこと思ってなくて・・・・・・あー、いやちょっとは思ってるかもしれないけど。でも、うちの八つ当たりだったわ、あれは。ごめん」

「ううん! そ、そっか! じゃあ、な、仲直りしたい。彩葉ちゃんと・・・・・・これまで通り友達でいたい。だめ、かな」


 ぐわんぐわん。腕の振りは止まらない。腕と、わたしの強張った顔が対照的でなんだかよくわからなくなってくる。ただ、どんよりとした空気はなかった。


「ぴよってそういうのハッキリ言えるからずるい」

「え?」

「そんなん、改めて言わなくたっていいよ。うちら友達だって。ちょっとくらいの喧嘩あるあるだし? だから」

「あいたっ!」


 ぽかんと頭の上をチョップされた。


「これでチャラね」

「い、彩葉ちゃん・・・・・・!」

「ほら、ぴよもうちのことぶっていいよ」

「わかった!」


 彩葉ちゃんと仲直りできたことが嬉しくて、おもいっきり彩葉ちゃんの頭めがけて腕を振り下ろす。角度がズレて、頭を掠る。わたしのチョップが彩葉ちゃんの鼻先をえぐった。


「いったああー!!」

「わー! ごめん彩葉ちゃん! 外しちゃった!」

「いい意味でクリーンヒットだっての・・・・・・ちょっと代償がデカくない?」

「あ、も、もう一発。わたしに入れていいよ」

「いやいいって。うちのほうがちょっとばっか、悪かったってことでさ」


 そんなことないんだけど。彩葉ちゃんの手はチョップの形にはなっていなかった。


 とにもかくにも、これにて一件落着。なのかな。


 仲直りできたことは嬉しいけど、結局これも、わたし自身の願望でしかない。彩葉ちゃんのためにできることは、まだまだあるはずだった。


「い、彩葉ちゃん!」

「声でっか。どうしたん?」

「これからカラオケいかない?」

「え、カラオケ? いいけど、なに? ぴよの美声でも披露してくれんの?」

「美声・・・・・・」


 昔カラオケでたいやきが泳ぐ歌を歌ったんだけど、その時の点数が75点だったのを思い出す。あ、やっぱりやめよっかなカラオケ。


 一瞬、時間が停止したように頭が固まった。


「う、ううん。そうじゃなくて、彩葉ちゃん前にカラオケ行きたいって言ってたでしょ? だから、わたしでよかったら一緒に行くよ」

「マジ? うわー、ぴよ優しくね?」

「や、優しいのかはわからないけど。でも、彩葉ちゃんに元気になって欲しいから」


 今度は彩葉ちゃんが固まる番だった。


 すぐに溶けはしたけれど、強固に凍り付いた氷塊の歪な煌めきは目に焼き付いて離れない。


「うち、別に元気だけどなー」

「それでも、行こうよ。彩葉ちゃん」

「お、おー」


 驚いたように目を開いたままの彩葉ちゃんを連れて、わたしはカラオケボックスに向かった。



「73点!」


 わたしは画面に映った数字を見て思わず声をあげてしまった。


 あ、悪化してる・・・・・・! 


 自分の歌の下手さが如実にデジタル化されたことに凹み、マイクを戻す。


「採点やめる?」

「や、やめない」

「強情だなぁ」


 わたしに代わってマイクを持った彩葉ちゃんがイントロと共に立ち上がり、大きく息を吸う。


 普段の彩葉ちゃんの声はハキハキしていて元気な感じだけど、歌声になるとすごくハスキーになって、自然なビブラートが声に奥行を与える。力強い歌声は普段の彩葉ちゃんからは想像もできないほどカッコよくて、わたしはつい聞きほれてしまっていた。


 プロの歌手って、地声と歌声が全然違う人とかよくいるけど、もしかしたら喉を二つ持っているのかもしれない。


 曲が終わると点数が出る。


 96点。


 わたしからしたら100点だけどな、と感情のない機械を見つめる。


「あれ、ぴよ曲入れてないじゃん」

「あ、わ、忘れてた」


 彩葉ちゃんの歌声に耳を傾けていると、つい次の曲を入れるのを忘れてしまう。


「ちょ、ちょっと、ぴよ。その曲、マジで言ってる?」

「ま、マジ!」


 スローテンポなイントロ。わたしは両手でマイクを握りしめる。


 お腹のあんこか重いとか、サメにいじめられたとか、そんな歌詞をよく意味もわからないまま歌う。というよりも、理解から遠い場所にある無垢な歌詞だからこそ、惹かれるものがあるのかもしれない。


 おじさんに美味しそうに食べられたところで曲が終わる。うわあこんな煮え切らない歌だったっけ? と採点画面を眺めた。


「72点!」


 画面の前で呆然とする。


「わざわざ点数読み上げなくていいよ」


 哀れみを含んだ彩葉ちゃんが視界の端に映る。わたしは立ったまま、マイクを机に置いた。


「わたし、飲み物持ってくるね。彩葉ちゃんはなにがいい?」

「あんがと。じゃあ白ぶどうサワーで」


 廊下に出て、ドリンクバーの場所まで行く。コポコポとジュースを汲みながら唸る。


 部屋に近づくと、やっぱり上手な彩葉ちゃんの歌声が漏れて聞こえる。扉を開けると、その声がワッとわたしの横を通り過ぎていくように広がっていく。


 邪魔にならないよう頭を下げてこそこそ移動し、ソファに座った。


「あれ、これ白ぶどうサワーじゃなくて普通の白ぶどうじゃね?」

「え? 白ぶどうって二つあった?」

「あった気がするけど、まあどっちでもいいよ。ほら、ぴよの番」


 わたしは再びたいやきが泳ぐ歌を入れる。


「どんだけ執着あるのその曲」

「80点はいきたい・・・・・・!」

「あはは、がんば」


 持ってきたジュースで喉を潤し、再挑戦!


 画面上部に表示された全国順位がどんどん落ちていって、あれあれと舌を転がす。


 もっとこぶしとか利かせればいいのかもしれないと、演歌みたいに歌ってみる。


 どんどん順位が落ちていく。


 じゃあ、ビブラートは・・・・・・!


 いろいろ試してみたけれど、順位はついに表示されなくなり、怪しいにおいがぷんぷん漂う。 泳げたいやき! ふやけないで! と心の中で謎の応援をしながら歌う。気付けば前のめりになり、たいやきが泳ぐ歌を熱唱するといった状況になる。なんだろうこれ。


 やっぱりといった具合の点数が表示されて、わたしは涙目で彩葉ちゃんを見る。タブレットをこちらに渡して「もっかい挑戦しな」と言ってくれる。


 二連続で流れる、まいにちまいにち。


 わたしは声を張り上げて、汗が滲むほど歌った。ちょっとだけコツを覚えたビブラートを使おうと、必死に喉を震わす。


 ってあれ? なんか、わたしのほうがカラオケ楽しんじゃってない?


 あれあれ、と躓きながらも、目の前で泳ぐたいやきへの応援がやめられない。


 こんなのでいいのかな、と横目で彩葉ちゃんを見やる。


「あははは! なにその歌い方、サイレンかよ!」


 彩葉ちゃんはお腹を押さえ、大きな声で笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る