第18話 もう一踏ん張り

「そっか、そんなことがあったんだね」


 いつも通りの音楽室。吐く息は管を通らずに床に落ちていく。音は鳴らず、フルートを持ったまま外の雨音だけが聞こえていた。


「わたし、彩葉ちゃんの気持をなにも考えてなかったんです。背中を押したり、手を引いてあげたり。それってきっと良いことだって思い込んでて・・・・・・結局自分の考えを押し付けただけで、彩葉ちゃんのことを傷つけてしまいました・・・・・・」

「たしかに、放っておいてあげたほうがいい場合もあるかもしれないね。誰かに会いたくないときとか、一人で考えたいときとか」

「はい。それなのにわたし、放っておけないからって、追いかけちゃいました。それで、自分勝手なことを言ってしまって、彩葉ちゃんは・・・・・・」


 思い出すだけでも胸が痛む。彩葉ちゃんの悲痛な表情と声。はじめて見たということもあるしなにより、彩葉ちゃんにあんな顔をさせたのがわたしなんだと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「今日も朝彩葉ちゃんと会って、声をかけたんですけど、なんだか気まずくて、彩葉ちゃんも挨拶は返してくれたんですけどそれっきりで」

「ちょっと喧嘩しちゃってるみたいになってるんだね」

「そうなんです。はあ・・・・・・」

「悩んじゃうよね。そういうの。どうするのが正解だったんだろうって」


 先輩も楽譜を置いて、わたしの話に耳を傾けてくれる。


「先輩、わたし、先輩とこうして一緒にいられてすごく幸せです。でも、この幸せって、わたしだけのものなんでしょうか」


 自分がいつもより饒舌になっていることに気付く。吐露するというのはこういうことなのだと理解して、吐き出すほど軽くなっていく胸を押さえる。わたしの言葉の一つ一つに先輩は頷いてくれる。わたしには、吐き出す先がある。


「幸せを分け合うことって、できないんでしょうか」


 心に余裕ができると、誰かに向ける視線を作れる。思いやりを持ち、思慮深く考えられる。溺れそうなものがあれば助けたいし、窮屈そうにしているものがあれば手伝いたい。それはきっとわたしだけでは決して生まれない、誰かから貰った優しさなのだ。


 けど、それを誰かに向けるのは、果たして正しいのだろうか。


 わたしが差し出したと思っているこの手のひらは、相手から見たら鋭利な刃物に見える可能性だってある。


 わたしが幸せだからって、それを振りまいて、それを元に行動して、いい方向ばかりに向くわけではないのだと知ると、わたしがどれだけ盲目になっていたかが分かる。


 先輩のことが好きで好きで、この好きって気持ちを優しさや勇気に替えたつもりだったけど、実のところそれは、わたし専用のものなのかもしれない。


「難しいね。できるよって言えばきっと素敵なことなのかもしれないけど、実際に傷ついた人がいる以上、できないのかもしれない」


 先輩の真剣な表情から、どれだけ真摯にこの問題に向き合ってくれているかが分かる。


「だからこそ、ちゃんと考えよう燈代ちゃん。きちんとした答えが出るまで。きっと現状で一番やっちゃいけないことって、焦ることだと思うの」


 頼もしかった。顎に手を当てて唸る先輩に次いで、わたしも自分の胸に手を当てる。


「燈代ちゃんはどうしたい?」

「わたしは、仲直りしたいです。仲直りして、きちんと謝って、それで・・・・・・いつも通りの関係に戻りたいです」

「そっか。大事な友達なんだね」

「そうなんです。わたし、高校に入学してもこの通り、あんまり喋るのが得意じゃなくて、それでクラスにも馴染めてなかったんです。そんなとき、彩葉ちゃんがわたしに話しかけてくれて、お弁当を食べたり、一緒に掃除当番になってくれたりしたんです。そのおかげでわたし、クラスで浮くこともなくって。だから、彩葉ちゃんは・・・・・・」

「すごく優しい子なんだ」

「はい。だからこそこうして傷つけちゃったことが悔しくって。わたし、なんにも恩返しできてないなって、思うんです」


 もしかしたら、あのときの最善手は彩葉ちゃんを放って帰ることだったのかもしれない。だけど、それをしてしまったら、本当にもう、今まで通りに話すことはできない気がして怖くなる。


 だからって、手を伸ばせばいいってわけでもない。なら、わたしにできたことって、なんなんだろう。そもそも、そんなものないのだろうか。


 恋というのは、そういう理不尽で救いのない、どうしようもないことなのだろうか。


 先輩の顔を見る。わたしの視線に気付くと、先輩は小首を傾げて「うん?」と朗らかな顔をする。温かい。胸がぽかぽかする。


 そんなわけない、と首を振る。恋ってきっと、素敵なものだ。


 誰かを好きになるのって、絶対に悪いことなんかじゃない。


「先輩って、失恋したことありますか」

「え!?」


 予想していなかったのか、先輩はすこし大きい声をあげる。大きく開いた目が、僅かに揺れる。


「えっと、うん。あるよ」

「あ、あるんですか!?」


 今度はわたしが声を張る番だった。


「だ、誰ですか、その不届きものはっ」

「もう、燈代ちゃん落ち着いて。失恋って言っても、うーん。ちょっと違うのかな。小学校の頃の話なんだけどね」


 先輩は思い出すように天井を見上げる。


「私のこと好きって言ってくれた子がいたの。同級生の、すごく人懐っこい女の子だった。もともと仲が良くていっつも一緒にいったなぁ。私はその子のことを一番仲の良い友達だと思ってたから、好きだって言われてもすぐに答えを出すことができなかったんだ」


 体育座りになって膝に顔を埋める先輩に、いつもと違う印象を覚えた。


「その子ね、家の事情で引っ越すことになったの。今思えば、私に告白してくれたのもそれがあったからなのかも。結局私は、その子が引っ越すまで答えを出せなかった。でも、変わらず一緒にはいたの。一緒にいるとき、その子はずっと笑ってたから告白の件はもううやむやになったんだとばかり思ってた」


 先輩の手が、小さく震える。


「けど、今思えばあれは、無理してたんだね。私が答えないってことは、もう答えが出ているようなものじゃない。それで察して、関係が壊れないように、無理してくれてたんだね」

「そう、なのかもしれませんね・・・・・・」


 その子の立場になったら、わたしもきっとそうするかもしれない。ううん、そうしようとしてた。


 せめて迷惑かけないようにって、自分が枷にならないように背中を向けた。


「後悔はあるよ。すっごく。あんな顔させるくらいなら、その手を握ってあげればよかった」


 ズキンと、胸が痛んだ。先輩がどこかへ行ってしまいそうな気がして、顔をあげる。


「でも、それも傷つけるだけだね」


 先輩がわたしを見る。


「きちんと断ればよかったって、今は思ってるよ。恋人にはなれない、そういう目では見れない。でも、ずっと友達でいたいって。きっとその子が傷つくのは変わらないかもしれないけど。けど、思い塞ぐことはなかったんだと思う」


 断る、その言葉にどこかホッとするわたしがいた。先輩の手を小さく握る。先輩は優しく握り返してくれた。


「なかなか答えを出さない私を見て『ああ』って察していつも通りを装うその子のことを考えると、切なくって、悔しいけどね」

「・・・・・・はい」

「だから、恋ってそういうものなんじゃないかな」


 あの日教室で見た彩葉ちゃんの顔を思い出す。切ない、悔しい。それは、わたしと、彩葉ちゃん。両方の心情だった。


「言わない、伝えない。それはそのお友達の決断だから応援してあげなくちゃいけないと思うの。それってすごく辛くて、苦しいことなはずだから。気持ちを理解してくれてる人がそばにいてくれると、すごく助かるんじゃないかな。それができるのって、先生でも、親でも、姉妹でもない。もっと、絶妙な関係なんじゃない?」


 先輩の言葉に、ハッとする。


「と、友達」

「うん」


 彩葉ちゃんを助けることは、できないかもしれない。理不尽で、救いのない、どうしようもないもの。


 だから叶えば誰かが祝ってくれるし、散れば誰かが悲しんでくれる。


 わたしが先輩と付き合って、真っ先に祝福してくれたのは彩葉ちゃんだ。何度も相談に乗ってくれたのは、彩葉ちゃんだ。


「明日の土曜日、誘ってみたら?」

「え、でも。その日は先輩との約束が」

「私は大丈夫だよ。ちょっと寂しいけど、それでも、私は」


 先輩の手がわたしの頬に触れる。ひんやりしているのに、どこか温かい手だ。


「そういう燈代ちゃんのことが好きなんだもん」

「先輩・・・・・・」

「お友達のために、なにができるか一生懸命考えて悩める。そういう優しい燈代ちゃんのことを、私は好きになったんだよ。だから行ってあげて?」


 目の奥に何かが溜まる感覚がある。


 どうして先輩は、こんなにもわたしが欲しいものをくれるんだろう。


 どうして先輩は、こんなにもわたしの欠けたものを埋めてくれるんだろう。


 最後のひと踏ん張りは、いつも先輩と共にあった。


「わ、分かりました・・・・・・! 先輩、すみませんが明日の予定はキャンセルで。わたし、彩葉ちゃんに声かけてみます。それで、ごめんって伝えて、えっと、がんばれって伝えて、それでそれで・・・・・・!」

「うん」

「は、ハッピーエンドにしてみせますっ」


 堂々と言い放つことはできずに、床に向かって意気込んだ。


「燈代ちゃんなら、大丈夫だよ」


 隣合ったまま、先輩に抱き寄せられる。わたしの頭が、先輩の左肩に乗った。カーテンの隙間から覗く月を見ながら、先輩が小さくこぼす。


「私ね、小学校の頃のこと、ずっと後悔してた。だからあの日、燈代ちゃんのことを追いかけて、声をかけてよかったって今でも思ってるよ。よく勇気を出したって、毎日自分のことを褒めてるんだから」

「え、せ、先輩が?」

「うん。私、勇気を出した。その結果、こうして燈代ちゃんに本当の気持ちを向けられてるんだから、これでも褒めたりないくらいだよ」


 そっか。先輩でも、勇気を出すこととかあるんだ。わたしみたいに、ふんすって鼻を鳴らして、ドタドタ走ったのかな。


 想像すると、おかしくって、全然似合わなくって、でも・・・・・・愛おしくって。


「よ、よくがんばりました」


 つい、先輩の頭を撫でてしまった。


 先輩は驚いたようにわたしを見たけど、すぐに綻んだ。


「ありがとう、燈代ちゃん」


 おでこ同士をぶつけて、そのくすぐったさに笑い合った。

  

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