第15話 バレバレの不意打ち
「そっか。上ちゃんと
「はい。
「打楽器から転向するのはすごく大変って聞くからねー。上ちゃんファイトだ。河原ちゃんはどう? あの子のことだから、意外と器用にできてるんじゃない?」
「そうなんです。河原さんすっごく上手で、楽譜もピアノをやってたから大丈夫って言ってました。ペットボトルでやる息の練習もすぐにできるようになって、今は運指の特訓中です」
部活が終わったあと、わたしは先輩とこっそり音楽室の中に入っていた。カーテンを閉め切った部屋は暗く、先輩の鮮やかな栗色の髪も黒く染まる。壁に立てかけられたアコースティックギターを先輩だと思って話しかけていたら笑われたこともあった。
「日が短くなったねー」
「あ、わたしスマホの充電まだ余ってるので、ライト付けますね」
局所的に明るくなった場所は、星が落ちてきたかのように眩い。そこを二人で覗き込むと、なんだか不思議なものを発見したみたいでワクワクした。落ちてきたお星さまを捕まえるなんて、高校生にもなってどうかとも思うけれど、そういう忘れていたものを思い出させてくれるのが先輩といるこの空間だった。
お泊り会とか、修学旅行の時とか。暗い部屋で誰かとこっそり喋っていたあの頃のような、お互いに褒められるべき行動ではないことを自覚しながら、抗う心地良さに笑いのツボが浅くなっていく身軽な時間をこうして過ごすのは前にも増して放課後の楽しみとなっていた。
「上ちゃんと河原ちゃんに負けないように、秘密の特訓。さっそくはじめちゃおっか」
「はい。よろしくおねがいします」
先輩が吹部を引退したあとも、ちょくちょくこうして音楽室に集まることにしていた。切り出してくれたのは先輩で、どこかホッとしているわたしがいた。どんどん自分が貪欲になっている気がする。いいこと、とは手放しに言い難い。
リッププレートに唇を当て、空気を逃がすように拭くと風に乗るような音が出る。目を閉じると様々な風景が・・・・・・浮かんでこない。音を出すだけで精一杯なのだった。
「燈代ちゃんすっごく上手になったね。音が途切れなくなったし、キレイになってる」
「ほ、ほんとですか」
「うん。あとはアンブシュアの調整かな。個人差あるし、たくさん吹いて一番いいところ探していこうね」
「は、はいっ!」
唇の形や、触れる位置でも音は変わる。どこで一番いい音が鳴るか、唇を動かしながら息を吹き込む。
なんだか、なにかに似ているなぁと考えると、途端に音が上ずる。うわうわと焦ると尚更へんてこな音になって、顔が熱くなる。
「大丈夫だよ。落ち着いて、自分のペースで吹いてこ?」
けど、そんなわたしを見ても先輩は決して笑わない。
「先輩って、フルートすごく上手でしたよね。なにか、コツとかあるんでしょうか」
「え? うーん、どうだろ。私は小学校の頃に吹いてたことがあったから。というか、私そんなにい上手じゃないよ?」
「そんなことないです。先輩の音色ってなんだかすごく静かで、繊細で、素人のわたしからでも全然レベルがちがうって分かるんです」
「もう、燈代ちゃんは素人じゃないでしょ?」
「あ、え、えっと。そうですけど。でも、コンクールの日、他の学校の人も先輩のことをすごいって言ってましたよ」
あの日のことを思い出して、ズキンと胸が痛む。
「そう。そんなことがあったんだね」
「はい、だから先輩は――」
「やっぱり、私のことだったんだね。あのとき燈代ちゃん答えてくれなかったけど」
「あ、そ、それは・・・・・・」
言い訳しようと言葉を探すと、先輩に頬をつままれた。
「もー、なんで言わないの」
「ひ、いひゃいれふへんはい」
「一人で抱え込むの、無しだからね。燈代ちゃんばっかり悩む必要なんてないんだから」
わたしが頷くと、先輩の指が離れていく。
けれど視線は、わたしを離してくれない。暗闇でも冴える鋭い視線が、強く訴えかけてきていた。
「わたしと先輩のこと、その、比べちゃってたんです。先輩はなんでもてきて優しくてすごくて綺麗で・・・・・・なのにわたしはだめだめで、こんなわたしが先輩の隣にいるのっておかしいのかなって思ったりもして、それで、ちょっと。自分が嫌になっちゃったんです」
わたしが色々と言われていたことは伏せた。きっと言えば先輩は慰めてくれるし、わたしの味方をしてくれる。けどそれはなんだか、先輩に甘えてるみたいで・・・・・・。
「わたし、フルートへたっぴって言われてたんです」
「そんなことないよ。合唱曲って、みんなの奏でる演奏で、良し悪しを決めるんだから。下手とか上手とか、ないんだよ。燈代ちゃんの控えめだけど誰かを引き立てようとする優しい音色。私は好き」
甘えちゃった。
先輩のことを見ると、柔らかいものがわたしを包んでくれる。頭を撫でられると息が深くなっていき、重力に体を任せたくなる。
もっと触れたいって気持ちが芽生えていくのを自覚して、遠慮がちに先輩の裾を掴む。
「もう、そういうところ本当にかわいんだから」
わたしの指を、先輩が掴む。
ふいに先輩がわたしの肩に手を乗せて正面を向いた。間近で目が合うとドキドキする。
先輩はそのままゆっくりと近づいてきて、わたしはうわうわうわと心の中で叫びながら目を瞑る。
数秒暗闇を堪能したあと目を開けると、先輩がわたしの胸元に手をかけていた。
「あんまり動くから、リボン曲がっちゃってるよ」
ようやく強く握られた自分の拳に気付いて、喉に溜めたままの空気をどこに逃がすか迷った。
「燈代ちゃん、今キスされると思った?」
「へ!? お、思ってないです!」
「本当?」
「は、はい! 本当! まったくさっぱり!」
「ふーん」
先輩がわたしの顔を下から覗き込んでくる。ちょっとだけ笑ってる気がする。小悪魔みたいな先輩の顔が、尚更わたしの熱気を上に押し上げていく。
「じゃあ、いっか」
「あ」
先輩がそっぽを向く。
その瞬間、顔の前面に纏っていた空気がまとめて消え去ってしまったような感覚に陥って、寒い場所に取り残されたかのように寂しくなる。
「あ、せ、先輩」
慌てて先輩の背中を叩く。
「う、嘘です・・・・・・して欲しいです・・・・・・」
言うと、先輩がゆっくり近づいてくる。服の擦れる音が、いやに艶やかだった。
「隠し事は無しっていったよね?」
「あ、ごめんなさ――」
そうして、ガチガチに正座したわたしの太ももに先輩の手が乗る。優しく、滑るように、わたしに身を寄せる。
迫ってくる、わたしの待ち焦がれたもの。
自分の顔が溶けたチョコレートのようになっていくのがわかった。
わたしは片手で床を探り。
ライトを放つスマホを、静かに裏返した。
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