第三章

第14話 ばったりラテ

「あ、燈代ひよちゃんだ」


 体育が終わり教室に戻る途中、一階の廊下で先輩と会った。こちらに駆け寄ってくる先輩を見て、わたしは慌てて前髪を整えた。冷たい風を受けた頬が、まだ熱い。


「いま体育だったんだ。寒くなかった?」

「ちょっと寒かったです。マラソンだったのもあって余計に」

「だよねー、ほっぺ真っ赤だ」


 両手を頬にくっつける。じわ、と広がっていくものがあった。両手に教科書とノートを抱えた先輩は、移動教室だろうか。わたしの視線に気付いた先輩が、筆箱と一緒に横になっていたペットボトルを差し出してくる。


「これあげる。結構美味しかったよ」

「ありがとうございます。いただきます」

「うん。じゃあまたね。授業しっかり受けて、いい子に育つんだよ」


 なんて冗談めかしたことを言って、そぞろに並ぶ人波に先輩が紛れていく。遠くで手を振る先輩に小さく手を振り返す。ペットボトルのラベルはには『甘さゼロのカフェラテ』と書いてある。


 キャップを開けて飲んでみる。飲み口がほのかにまだ温かい。甘さゼロというのは、ウソだった。


「マジで付き合ってんだねー」


 階段に差し掛かったあたりで、隣にいた彩葉いろはちゃんがぽつりとこぼす。茶色っぽい髪に太陽の光が当たると、紅葉のような紅色に変わっていく。外にはもう紅葉はないけれど、彩葉ちゃんはまだ秋を満喫し足りないようだった。


 けれどそれも、もうじき黒に変わるんだろうなと想像して笑う。彩葉ちゃんの髪色が変わっていく様は、季節の移ろいよりも激しく、荒々しい。ころころと変わる万華鏡のようだった。


「なんかチョー自然に話してたし、普通に間接キスしてんじゃん」

「か」


 そういえばとペットボトルの飲み口を見て思う。先輩・・・・・・絶対わざとだ。


「関節キスくらい今更だって?」

「い、言ってないよそんなこと」


 教室に入って体操着を脱ぐ。ひんやりとした空気が肌に当たって落ち着かない。スカートを穿いて、それからズボンをもそもそと脱いでいく。その間にも彩葉ちゃんはぽんぽんと着替えを済ませていた。


「もうデートとかいったん?」

「行ったよ。動物園と、遊園地。最近はお金節約のために土日は会うだけにしてるけど」

「節約ー?」

「クリスマスにね、イルミネーションがあるんだけどそこのカップルシートで一緒に見ようって約束したんだ。4000円だったかな? 当分は節約生活」

「へー、なんかいいカンジじゃん」

「そ、そうかな」

「ぴよのことだから全然ダメダメで雨下あめくだりパイセンにも愛想つかされるんじゃないかって心配だったから、安心したわー」

「そんなこと心配してたの?」

「してたよ。捨てられたって泣き付かれたらしゃあないから慰めてあげるつもりだったんだけどなー。その様子見るとその心配もなさそうじゃん」


 予想外の好印象。わたし、なんとかやれてるのかな。


「でもなー、雨下パイセン綺麗だし、かわいいし、寄ってくる虫は多そうだなー。ぴよはまだまだ安心してられないかもよー?」

「それは・・・・・・大丈夫だよ」

「ほう、そのこころは」

「先輩のこと信じてるから」


 わたしなんて、とか。わたしなんか、とか。そういうのはもうやめたのだ。


 わたしの好きな人が、わたしのことを好きって言ってくれる。そんな奇跡を疑ってかかるなんて、きっとすごく勿体ないことだ。


 先輩の口から発せられたものはそのままの形で受け取りたい。それがたぶん、信頼っていうものなのかもしれない。


「こんにゃろ」

「にゃはぁっ!?」

「ぴよのくせにのろけおってからにー!」

「あははは、ちょっと彩葉ちゃんくすぐったいよ!」


 シャツの中に冷たい手が入り込んできて脇腹をくすぐる。ガタンと椅子を鳴らしてひぃひぃ息を切らした。


「この幸せもんがー!」


 彩葉ちゃんがわたしにのしかかって逃がしてくれない。息をつく暇もなくて、半分拷問のようになっていた。


 もんがー、もんがーと声を荒げる彩葉ちゃんの手は緩まない。な、なんで怒ってるんだろう・・・・・・!


「い、彩葉ちゃんだって藤田ふじた先生がいるでしょ!」


 そう言うと、あれだけ縦横無尽にわたしの脇腹を這いまわっていた手がピタっと制止する。


 彩葉ちゃんを見ると、その顔は真っ赤に染まっていた。


 うわあ、分かりやすい。


 ・・・・・・先輩といるときのわたしもこんな感じなんだろうか。


 そう思うと今更、すごく恥ずかしくなってきた。


「は、はー? なんでふじちゃんセンセーがでてくんの?」

「え、だって彩葉ちゃんって藤田先生のことが好きなんじゃないの?」

「や、えぇ? いやいや、そ。違うから。そういうんじゃないから、まあセンセーの中では話しやすいし? いいなーとは思ってるけどさ」

「てっきりそうなのかなって思ってたけど、違うの?」

「あはは、違うってー。ぴ、ぴよもまだまだだなー」


 誤魔化すように笑って彩葉ちゃんはそっぽを向く。


「はいみんな席についてー。あ、もうまたゲーム持ってきてる。ダメだって言ったでしょ?」

「えー、藤田先生考えが古いってー。まだ若いんだからイマドキにいこうよー」

「はあ・・・・・・今日は見逃してあげるけど、他の先生に見つかって怒られても知らないからね?」

「はーい。藤田先生やさしー」


 黒板の前で声がする。藤田先生が受け持つ国語の授業が始まる合図だった。わたしはいそいそと体操着を畳んでロッカーに仕舞う。


「あ! 皆川みなかわさんまたなのね!」

「え」


 藤田先生は彩葉ちゃんを見るとバインダーを教壇の上に置いてこちらまで歩いてくる。


「この前落としたばかりなのにまた染めて。あ! ピアスも開けてるじゃない。目立たないのは先生も見逃すけど、あんまり派手なのはダメよ。それにふとした拍子に外れたら怪我するでしょ? 休日ならいいけど、学校では禁止。はい、わかったら外す」


 藤田先生が手を差し伸べる。彩葉ちゃんは曖昧な返事をして、ふいにわたしと目が合った。


「聞いてるの? 皆川さん」

「あ、うん。聞いてるよふじちゃんセンセー。ってか近いって、近い近い。うちってば照れちゃうなー」

「そうやって誤魔化さないの。ほら、外してあげるからじっとして」

「あ、う、うん・・・・・・」


 すっかりしおらしくなっちゃった彩葉ちゃん。先生に耳を触られてなんだかくすぐったそうだった。


 眼前の先生に耐えられなかったのか彩葉ちゃんが顔を逸らす。ちょうどわたしのほうを向いた。


 いける、いけるよー! と彩葉ちゃんに合図を送る。


 藤田先生が生徒のピアスを直接外してあげているところなんて見た事がない。藤田先生もなんだかんだ彩葉ちゃんのことは特別な目で見ているんだと思う。


 が、ん、ば、れー! 口パクで照れ照れ状態の彩葉ちゃんにエールを贈ると。


 潤んだ目で睨まれてしまった

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る