第13話 背表紙のプロローグ
電車に揺られながら、今日のことを思い出す。楽しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと。うわあ同じことばっかりだと、窓ガラスに映る自分を見て思う。
「あ、あの、先輩」
「うん? なに? 燈代ちゃん」
「そんなに、近くで見つめられると・・・・・・」
「恥ずかしい?」
こく、と小さく頷く。
「ごめんね、もうちょっとだけ待っててくれる? 今燈代ちゃんのかわいいところ探してるから」
俯いたまま顔を上げることができない。時折勇気を出して先輩を見ると、端正な顔立ちが接近する。精密に生え揃ったまつ毛が上を向き、ガラスのような瞳にわたしのびっくりした顔が映る。
「あ、あの・・・・・・見つかりました?」
「うーん、全部かも」
「ぜ、全部」
「うん。全部好き。目も、鼻も、耳も、そのちっちゃい唇も。ちっちゃいのに、勇気を出しちゃうそのかわいい唇」
「は、はひ」
ぼん、と顔に火がついたようで、わたしの中の火災報知器がけたたましく鳴っている。
「あ、逃げられちゃった」
目を背けてしまうのは、きっとわたしが耐えられないから。崩壊した先になにがあるのかはわからないけど、波打つ口元が尋常ではない心の表面を模写していた。
「楽しかったなー」
先輩はスマホを開き、今日獲った写真を眺める。わたしも横から覗き見る。・・・・・・動物の写真ばっかりだった。
「燈代ちゃんのことあんまり撮らなくてごめんね」
「え、べ、別に。いいですよそんなの」
「そうなの? なんだかほっぺが膨らんでたから」
ぷにぷにと指で突つかれる。多少の弾力を含んでいた。
「大丈夫だよ。燈代ちゃんのことは写真に撮らなくても、絶対忘れないから」
「なんかそれ、これからどこかへ行っちゃう人のセリフみたいです」
「・・・・・・そうかもね。そうしたら、燈代ちゃんはどうする?」
先輩が真剣な顔でわたしを覗き見る。その張り詰めたような表情は儚く、たやすく消えてしまいそうな危うさがあった。
すぐにわたしは先輩の手を握った。
「どこにも行ってほしくないです」
「そっか。じゃあ、ずっと握っててくれる? そしたら、絶対離れないから」
「は、はい」
ありったけの力を込める。何故だか鼻の奥がつんとする。先輩に呼ばれて顔を上げると、目が合った。若干に滲んだ視界で、先輩が笑う。
「そういうところも、好きだよ」
「どぅぃえ」
どういうところ。どういたしまして。なんか色んなものがごちゃごちゃになって言葉にならなかった。
「ねえ燈代ちゃん。カップルアプリって知ってる? これなんだけど、いろんな記念日とかね? 登録できるんだよ。あと二人だけでメッセージのやり取りもできるし、共有のカレンダーなんかも作れるの」
先輩のスマホにはハートのアイコンが表示されていて、それをタップするとスタート画面に移行して「パートナーを誘ってみてね」とメッセージが表示される。
先に登録して、いろいろ調べてくれたのかな。
スマホでそういう情報を調べている先輩を想像するとかわいくて、同時に胸がいっぱいになった。
「はじめて知りました。でも、すごくいいですねっ」
「でしょ? 燈代ちゃんも一緒にやろうよ。無料だから」
有料でもやります・・・・・・! と心の中で踊ってみた。
「うん。そうそう、そこからダウンロードして、アドレスを入力するの。あ、その機種だったらたぶん――」
先輩がわたしに寄りかかって操作を教えてくれる。本当は分かっているんだけど、分からないフリをした。
ID検索から先輩を探して、パートナー申請を送る。すると恋人専用というピンクの画面に変わり、テーマアイコンを決めるよう促さられる。
「キリンのやつにしちゃお」
「あのブレてるやつですか」
「うん」
プリセットでは浜辺で手を繋いだ写真とか、そういうロマンチックなものが表示されていたけど、でも、いっか。
「いつか鮮明な写真になるまでね」
そうして、わたしと先輩の間に、ブレブレのキリンが表示される。そのシュールな画がおもしろくて、先輩と一緒に笑った。おかしくって、お腹を抱えて、でも電車の中だから声を抑えると尚更お腹が痛くなる。
普段使わない腹筋と、顎の下が痛い。
こういう笑い方も、できるんだなと思った。ちょっと風情もなにもないけれど、すごく楽しいことが実感できて、安心する。
やっぱり先輩と一緒にいると、なにもかもが幸せだ。
「えーっと、この日が付き合った記念日だね。それからはじめて放課後デートした記念日。こっちは燈代ちゃんの口にカスタードがついてた記念日。あ、燈代ちゃんのシャー芯補充記念日でもあるね」
「せ、先輩。それは記念、なんでしょうか。それとカスタードついてたのって」
「うん、大判焼き食べてたとき」
き、気付かなかった・・・・・・!
「それで、今日は燈代ちゃんと電車に乗った記念と動物園デート記念、キーホルダーをプレゼントしてもらった記念に、秋の遊泳記念」
「あ、あはは」
「あとは、服を買ってもらった記念」
先輩がズボンを引っ張ってわたしに見せてくれる。
びしょ濡れになった先輩をあのまま放っておくことなんてできなくて、わたしはあの後近くのホームセンターから手ごろなズボンを買ってきたのだ。ついでにシャツとタオルも。お金を余分に渡してくれたお母さんにはお礼を言わなきゃいけない。
「あのね、普通こういうことしてもらったあとってごめんねって、申し訳ない気持ちでいっぱいになるんだ。でも私、嬉しいって気持ちのほうが強いの。燈代ちゃんに貰ったもの、全部全部。絶対大事にするからね」
「でも、そのズボン。本当に安いやつなので・・・・・・それに、レディースかどうかも確認してこなかったので、帰ったら捨てちゃっても――」
「捨てないよ。絶対捨てない。絶対捨てない記念」
さっそくアプリに登録する先輩。すでにカレンダーがわたしと先輩の記念日で埋め尽くされていた。
「わ、登録するとわたしのほうにも通知がくるんですね・・・・・・!」
「うん。これからどんどん通知いくと思うから、覚悟しててねー?」
ずい、と先輩が身を寄せて、悪そうな笑みを浮かべる。悪い先輩も、魅力的だ。
電車が止まり、わたしが先に駅に降りる。
「帰ったらまた、アプリでね」
「はい。あの、今日は本当にお疲れさまでした。それとありがとうございました。それと、あ、あそれとそれとあそれそれ」
言っている間に、窓が閉まってしまう。
あわあわしているわたしを見て、電車の中の先輩は口元を押さえて肩を震わせていた。
先輩、笑ってくれてる。
声も聞こえないはずなのに、壁一枚に隔たれた先輩の呼吸と、気持ちを感じられる。手を振って、電車を見送った。
どんどん小さくなっていく。終点に向かい、ひたすらにレールの上を走っていく。
でも、終点に着いても終わりじゃない。明日も、明後日も、この先ずっと、あの電車は走り続ける。毎日同じ道。けれど乗っている人は、毎日違う。そうやっていろんな想いを乗せて、スピードのメーターをあげていく。
そっか。
周りの景色は動いている。誰かがわたしを見て、感じて、想ってくれている。気持ちが交差するたびに時間は加速して、ああ待ってとかけがえのない時間に手を伸ばしたくなる。
惜しめば惜しむほど明日が待ち遠しくなって、大好きな人からもらう思い出を振り返って、そのときを待つ。
飽きる暇もない、大忙しな日々がこれから先、わたしを待っているのだ。
わたしはさっき登録したばかりのアプリを開いて、カレンダーを表示する。
「えっと」
タップして、文字を打ち込む。
『先輩に大切なことを教えてもらった記念日』
・・・・・・きっと今頃、先輩のスマホにも通知が届いただろうか。
空を見上げる。広いなあと両手を広げる。全然足りない。
でもいいんだ。両手で触れるのは、そんな大きなものじゃなくていい。
だってこれは、わたしと先輩の物語だ。
だからこの言葉を使う。これから始まる日々への、精一杯の応援として。
めでたしめでたし、と。また、新しいページをめくれるように。
物語は、終わらないんだ。
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