第11話 トンカツとリス
「わー! ホッキョクグマだ! 可愛いねー、暑くないのかな?」
柵に手を乗せて前のめりになる先輩は目をキラキラさせていて、キリンというか、動物全般が好きなんだろうなというのが窺える。
土曜日に先輩と来た動物園はやや混んでいるといった様子だろうか。小さい頃の記憶を辿るとすごく遠い場所にある気がしたのだけど、電車に乗ってしまえば40分ほどで着いた。
体が小さかったから距離を遠く感じる、っていうのはなんだか理屈に合わない気がする。10センチ背が伸びたら、着くまでの体感時間が10分減るとか、きっとそういうことではないのだろう。
白いタイルの上を歩くホッキョクグマを追いかける先輩を追いかける。水槽の中に飛び込んだホッキョクグマはどんどん潜水して、底のほうを手で引っ掻いていた。
軽い身のこなしとスラっとした体格は、クマっというよりも大きな犬みたいだ。
「泳ぐの上手だなー、練習したのかなー」
「わたしたちで言う、いつのまにか歩けるようになってたみたいな感じなんでしょうか」
「一緒に泳いでみたいけど、私トンカツなんだよね」
「え、とんかつ?」
「うん。・・・・・・って、あれ? 違った、トンカチだね」
「ああ、トンカチ」
なるほどと納得しかけて、いやいやカナヅチと首を振る。
「私、浮き輪ないと沈んじゃうから」
照れたように笑う先輩は、今日も相変わらず可愛かった。キャスケットのつばをつまんで、次行こうと先輩が歩く。
動物に夢中な先輩を見て、もしかしたらワガママな感情を抱いてしまうかもと不安だったのだけど、実際のところそんなことなはかった。こうして先輩の色々な顔を見られるのは素直に嬉しくて、きっと憧れていただけのままならこんな気持ちにはならないんだと思う。
好きだから、見ていたいって思う。追いかけるのとは違う。繋いだ手を握るのはすごく簡単なことだった。
「あ! 燈代ちゃん燈代ちゃん!」
「わ、わ! 先輩!?」
歩いている途中、突然先輩が前を向いたまま手を伸ばしてくる。肩を抱き寄せられて、先輩との距離が一気に縮まる。
「ゾウがトレーニングしてるよー! 頭にボール乗せてる! かわいいー! 乗り心地いいのかなー、乗ってみたいねー!」
はしゃぐ先輩はハッとして口元を抑える。照れたように笑ったあと、風で靡いた後ろ髪を手で抑える。
そうやって落ち着いて、大人っぽくて、優雅な白鳥のような先輩も魅力的だった。わたしだったら周りに気を配ることなんてできずに、にょわあと変な声を出してしまいそうだ。
憧れは憧れのままで、まだ存在しているようだった。
「ゾウって頭がいいって言いますよね。やっぱり体が大きいからなんでしょうか」
「どうだろうね? カラスやタコなんかもすごく頭いいって聞くよ? 大事なのは体の大きさじゃないのかも」
「じゃあ、密度、とか?」
「かもしれないね」
そっか。大きさだけが、全部じゃない。密度とか、そういう中のものも、大事なのかもしれない。それは頭の良さとか、自然で生きていく動物たちにも言えることだし、当然、わたしたち人間にも同じだ。
園内を半分ほど回ったあと、先輩はお手洗いに向かった。わたしは先輩のいない間に窓ガラスを覗き込んで前髪を整えていた。すると中のリスと目が合って、手を振るとこっちに近づいてきた。かわいい。
もごもごと頬を動かす仕草はすごく忙しそうで、そんなに急がなくても大丈夫だよと言ってあげたくなる。
先輩の帰りを待つ間、財布の中身を開ける。今月はちょっとピンチだったんだけど、お母さんに動物園に行きたいと言ったら臨時のお小遣いをくれた。
こんなにたくさんくれなくてもよかったのにな。
わたしでは持て余すお金を財布にしっかり仕舞って、顔をあげる。すぐ近くにおみやげ屋さんがあって、レジの近くでぶら下がったキーホルダーが目に入る。
そうだと思い立ってそのお店に入る。
すぐに目当てのものは見つかった。ちょっとデフォルメ調の丸っこいキリンのキーホルダー。つぶらな瞳がかわいくて、先輩の喜ぶ顔が思い浮ぶ。するとわたしも嬉しくなって、頬が綻んでしまう。
先に買っておいて帰ってきた先輩にサプライズで渡したら、もっと喜ぶかな。よし、と思ってそのキーホルダーをレジに持っていく。
大きなお札を出して、お釣りを用意してもらう。なんだか申し訳なかった。
「あ」
そうこうしていると、外にいる先輩と目が合った。先輩はわたしの顔とわたしの手元を見て、不思議そうな顔をしていた。
ま、間に合わなかった・・・・・・!
先輩に見られたまま、先輩へのプレゼントを買うのはなんだかすごく気まずい。お釣りを受け取って、紙袋にキーホルダーを入れてもらうけど、これもあんまり意味がなかった。
こそこそとお店を出て先輩の元へ行く。
「どうしたの? なにか欲しいものでもあった?」
「あ、あの。先輩へのプレゼントをって思って、これなんですけど」
「え? 私に? ありがとう! 開けてもいい?」
「は、はいっ。よろしくお願いします」
頭を下げてよろしくお願いした。
先輩が紙袋を開けると、中から茶色のリスのキーホルダーが出てくる。
って、あれ?
「あ、あれ、リス!? な、なんで、わたしキリンにしたつもりなんですけどっ」
慌てて思い返すも、そもそもお店に入ってから買うまでの記憶がなくなっていた、あわあわとしていたことは確かなんだろうけど、それにしたって間違えてリスのキーホルダーを買っちゃうなんて・・・・・・せめてレジに出した時に気付けばよかった。
やっぱりわたしって、ドジだな・・・・・・。
「ご、ごめんなさい先輩。これ今すぐ替えてもらいにいきます」
「ううん、大丈夫だよ。わたし、すごく嬉しい」
「け、けど先輩はキリンのほうが」
「キリンは確かに好きだよ? でも、これは燈代ちゃんが買ってきてくれたものだから、それだけで嬉しいの。それにリスって、なんだか燈代ちゃんみたいじゃない?」
「え、わ、わたし?」
「うん。なににたいしても、一生懸命なところとかね」
そう言って先輩がわたしの頭を撫でてくれる。
「大事にするね。ありがとう、燈代ちゃん」
「あ・・・・・・」
目の前にある先輩の笑顔は、わたしの想像したどれよりもキレイで、美しくて、子供っぽかった。融けたような目尻の下で頬が赤く染まる。先輩はそのキーホルダーをカバンにつけてわたしに見せてくれた。
「本当にリスがくっついてるみたいでかわいいね」
「は、はい・・・・・・!」
キリンを買えなかったのは残念だったけど、先輩が喜んでくれてよかった。
よしって張り切って足を動かした自分を、ちょっとだけ褒めてあげようって思った。先輩といると、後ろ向きなものが消えていく。
「行こ、燈代ちゃん。まだまだ回るよー!」
わたしの手を引く先輩は、来た時よりも元気になっていた。その理由を探すと、少しこそばゆくて歩幅が広くなる。
どれくらい近づいていいか分からないわたしに、先輩が近寄ってくれる。あ、触れていいんだって気付くと、心がぽかぽかして何度も肩をぶつける。触れる手の甲がもどかしく、やがて繋がれる。
無言のまま進んでいく事柄が、わたしと先輩の間でだけ生まれているんだと思うと、幸せで仕方がない。
これが、これがデート・・・・・・!
放課後の帰り道では味わえない解放感が、わたしの体を身軽にしていく。
誰か来てくれーと叫ぶずうずうしいオウムに笑ったり、施設に飾られたライオンの手の標本と自分の手を重ねてその大きさにびっくりしたり、触れ合い広場でうさぎにもみくちゃにされている先輩を見たり、餌をあげようとしたら途中で落としちゃって悲しそうな顔をする鹿に謝ったり。なんでもないような、先輩と過ごす特別な時間。
好きな人の満面の笑みには、なにか不思議なパワーがあるのだった。
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