第二章

第7話 めでたしめでたしの後は?

 ・・・・・・え?


「おーい」


 ・・・・・・あれ?


「おーい、ぴよ。呼んでんだけど、おーい」


 ここはどこ? わたしはいったい、何をしてるの?


「おいこら無視すんな!」

「あいたっ!」


 ぽかん、と丸めた下敷きで頭を叩かれる。なかなかいい音がして、びっくりしたまま振り返ると同じクラスの彩葉いろはちゃんがむくれ顔で立っていた。


「さっきからずっと話かけてたのに、いい度胸してんじゃん」

「ぜ、全然気付かなかった! ごめんね彩葉ちゃん!」

「いいけどさ。で、どうしたん?」

「え、なにが?」

「ぽけーって、まるで夢でも見てたような顔してさ」

「あー」


 夢。そっか、夢か。


 わたしの頭の、裏っかわで渦巻く数々の幸せな回想は、全部夢だったのか。


「なんかね、幸せな夢を見たんだ」

「ふーん、どんな?」

「先輩に告白して、付き合うことになった夢」

「え、ウソ! マジで!? やったじゃん! いついつ!? いつの話!?」

「あはは、もう彩葉ちゃん。先週の土曜日の話だよ。打ち上げの帰りに、告白したの」

「うわマジかー! って、夢じゃねーじゃん!」

「あれ? ほんとだ?」


 はてさて、あれれ?


 これはいったいどういうことだろう。


「でも、そっかー。ぴよ、ずっと前から雨下あまくだりパイセンのこと好き好き言ってたからなー。ゼッタイぴよじゃ告白する勇気ないって思ってたけど、案外やるじゃん! 見直したわ!」


 背中をパシンとはたかれる。当然ちょっとだけ痛い。痛い。夢じゃない。


「夢じゃない?」

「はぁ? 先週の土曜日に告白したって言ったのはぴよじゃん」

「うん」

「じゃあやっぱ夢じゃなくてマジの話じゃん」

「うん」


 わたしなんかじゃ先輩と付き合うなんてできないって思ってたし、所詮わたしは遠くから憧れているだけだって思ってた。


 でもそんなわたしを先輩は好きだって言ってくれて、キスまでしてくれて。


「キッ!?」

「え、なに」

「き、キキキキキキキ」

「ちょ、こわいって」

「どうしよう彩葉ちゃん! 夢じゃないよ!」

「だからそう言ってんじゃん」


 でもそんな、そんなことってある?


 ずっと自分の奥で眠らせていた願い事が、ある日突然叶うなんて。まったくさっぱり、信じられない。


 机の上に乗ったスマホが震えて、彩葉ちゃんと一緒に画面を覗きこむ。


燈代ひよちゃーん。部活まだ始まらないでしょー? 授業終わったら一緒に帰ろー』


 というメッセージが表示されていた。


 おそるおそるスマホを持って、震える指先でタップする。


『はい。もちろんです!』

『やったー。燈代ちゃん大好きー』 


「ぶひゃ」

「あ、ぶっ倒れた」


 机に額を打ち付けて、木目を数える。ひーふーみー、あいらぶゆー。


「わたしと先輩、付き合ってる?」

「まぁ告白が成功したんだったら、そうなんじゃね?」

「うわうわ!」


 なにかとんでもないものを見たかのように仰け反るわたし。天井がぐわんと目の前にやってきて、そのまま椅子がガタン! と鳴る。


「暴れすぎ。立てる?」

「あ、ありがとう・・・・・・彩葉ちゃん」


 転びそうになったわたしの手を彩葉ちゃんが掴んでくれる。よっこらと立ち上がって椅子を直すも、その動きはどこか浮足立っているようにも感じた。それは彩葉ちゃんにも伝わっていたようで、宥めるように肩を叩かれる。


「入学したときからずーっと好きだったんっしょ? そりゃあ舞い上がっちゃうわ」

「でもなんだか実感が沸かなくて。本当にわたしなんかが先輩と付き合えているのかなって・・・・・・」

「さっきメッセきてたじゃん? 大好きーって。どうせ一緒に帰るんだったら聞いてみたらいいじゃん。ホントにわたしのこと好きですかーって」

「そ、そんなこと聞けないよ・・・・・・」

「じゃあさー、キスは?」

「へ」

「キスはしたん? それによっても変わってくるくない?」

「えっと・・・・・・」


 正確に言えば、した。された。した。多分、6回くらいした。 うわあ6回も!? ヘンタイみたいに思われないかな。


 言い淀むわたしを怪訝に見つめる彩葉ちゃん。鋭い目が真意を探るようだった。


「そ、それも言えない!」

「えー? ここまできといてそりゃないってー。きーかーせーろーよー」


 ぐわんぐわんと体を揺さぶられると、元々ごちゃまぜになっていた頭がさらに重力をなくしていく。


 でも、やっぱり言えない。そもそも、まだあれが夢だっていう可能性だって捨てきれないし・・・・・・。


「たまごスープ」

「ギク!」

「たまごスープの件、うちはまだ忘れてないから」


 おそるおそる彩葉ちゃんを見ると、笑っていた。わー、楽しいね。みたいな笑顔。ぽん、と肩に手を置かれる。


 わたしはそう言われると、彩葉ちゃんに従うしかないのだった。


「し、しました・・・・・・」

「何回?」

「ろ、6回・・・・・・です・・・・・・」

「えー!? マジ!? ぴよその顔でキス魔なん!? ギャップおそろしー」

「わー! だから言いたくなかったんだってば!」


 熱くなった顔を両手で押さえてうずくまる。頭上で彩葉ちゃんがぱたぱたと蝶みたいに彷徨う気配を感じて、一層恥ずかしさが増す。


「でも、恋人同士ってそんなもんか」


 両手を退けると、彩葉ちゃんがわたしの席に座って足を組んでいた。目の前にある膝を眺めていると、彩葉ちゃんは白い歯を見せて笑った。


「頑張ったじゃん」


 入学したての頃、食堂で先輩を見つけた後にぶつかっちゃったのが、この彩葉ちゃんだった。最初は睨みつけられてすごい怖い人だと思ったけど、あの後ハンカチと体操着を持ってきてくれて実は優しい人なのかも、と考えを改めた。それからというもの、そのたまごスープぶっかけ事件を彩葉ちゃんはたびたび掘り返してわたしを脅してきたので、やっぱり怖い人だと思った。


 そして今、もう一回ひっくり返る。


「なーにジロジロ見てんの」


 なんだかんだで彩葉ちゃんはこうやってわたしに話しかけてくれるし、わたしの相談にも乗ってくれた。同じ部活の先輩のことが好きになっちゃったって言ったら自分のことのように応援してくれたし、今もこうしてわたしに温かい言葉をかけてくれる。


「ううん。彩葉ちゃんが友達でよかったなって、思っただけ。えへへ」

「まあね、うち優良物件ですから」


 胸を張ってわははと笑う彩葉ちゃんは頼もしい。またなにかあったら相談させてもらおう。こういう恋バナは彩葉ちゃんの得意分野なのだ。


「あー! 皆川みなかわさんまた髪染めてるじゃない!」


 そんな時、教室の入口の方から声がした。そこにはバインダーを胸に抱えた新任教師の藤田ふじた先生が立っていった。


 藤田先生は彩葉ちゃんを見るやいなやこちらにパタパタと駆けてくる。整った服装と髪だけど、その佇まいには僅かな幼さが残る。


 今年で21歳って言ってたかな。


 わたしたちからすれば、仲の良いお姉ちゃんみたいな存在だった。


「せっかくこの前落としたのにー!」

「ふじちゃんセンセーおはよー。この色めっちゃキレイじゃね?」

「はいはいおはよう。それよりどういうことなの? こんな明るい色にして」

「明るい気分のときは明るい色っしょ? ほら、カメレオンみたいな」

「カメレオンは気分で色を変えてるわけじゃないの! あーもう、せっかくキレイな髪してるのに、これじゃすぐ痛んじゃうんだからね? 皆川さんのことを思って言ってるんだから」

「あはは、ふじちゃんくすぐったいって」


 藤田先生が髪をつまむと、彩葉ちゃんは顔を赤くして嬉しそうにしていた。


 わたしはそれを眺めながら、彩葉ちゃんがわたしの相談に快くのってくれたこと。それからわたしを応援してくれたこと。その理由を、少し垣間見た気になっていた。


 彩葉ちゃんはもしかしたら、藤田先生のことが好きなのかもしれない。わたしの勝手な想像だけど。


「それから、白玉しらたまさんも!」

「ぴゃいっ!?」

「この前の生物のテスト。20点だったみたいじゃない! しっかりと勉強しないとダメよ! 分からない箇所は先生に聞く! 聞きずらかったら友達でもいいんだから」

「そうだぞー、わかんないとこはなんでもうちに聞けー」

「皆川さんもそんないい点じゃないでしょ・・・・・・」

「シシャゴニューすれば100点だから」


 困り果てて頭を抱える藤田先生とは対照的に、彩葉ちゃんは子供みたいにくしくしと笑っている。


 しばらくして担任の岡村おかむら先生が教室に入って来る。岡村先生が教壇に立つと、藤田先生は教室の後ろに移動してなにやらメモを取りながら真剣に岡村先生の話に耳を傾けていた。


 一番後ろの席の子が藤田先生に「先生って彼氏いんのー?」と話しかけると、静かにしなさいと藤田先生が注意する。それでも藤田先生から感じる圧はなく、質問は止まらない。


「いない。いないってば、これでいい?」


 結局藤田先生のほうが折れる始末だった。大変なんだな、先生っていうのも。


 そんないつもの朝の光景を眺める。


 ホームルームが終わるとすぐに国語の授業がはじまる。吾輩はなんたら~と、眠たくなる岡村先生の声を聞きながら、物語について考える。


 わたしは基本的に、ハッピーエンドが好きだった。好きな恋愛小説も、少女漫画も、大好きな人と結ばれて、幸せになって終わる。そんな結末が大好きだ。


 けど。


 そのあとって、いったいどうなるんだろう。


 ハッピーエンドはわかるけど、じゃあ。好きな人と結ばれた、その先には。


 いったい、なにが待っているんだろう。


 窓の外をぼーっと見上げる。時々先輩とわたしの関係を思い出し、うひひと笑ってしまいそうになるのを堪える。胸の奥がもぞもぞして、どこか落ち着かない。つま先を上げたり下げたりして、雲の動きを観察する。


 先生の朗読が終わる。


 物語が終わった合図だ。


 付き合ってしまった今。わたしの想いが届いてしまった今。


 わたしの物語も、こんな風にひっそりと、めでたしめでたしと終わってしまうのだろうか。


 教科書をめくっても、それは分からなかった。

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