第6話 大好きです

 溢れた涙が地面に落ちる。


 なんで、わたし泣いてるんだろう・・・・・・泣く資格なんて、ないはずなのに。全部、わたしが悪いだけなのに。


「ごめんなさい・・・・・・わたし、なんかが・・・・・・憧れて、勝手に、追いかけて、ごめ、んなさい・・・・・・!」


 唇で、何かを噛んだ。それが自分の下唇なのか、それとも先輩の服なのか、分からない。ただ涙で滲む視界のなか、先輩への懺悔はやめなかった。


 とめどなく、わたしの声が空に響く。もう時間は戻らないのに、子供のわがままが通るわけもないのに。どうすればいいか分からずに、ひたすらに泣き喚いた。


「燈代ちゃん」


 鼻をすすると、先輩の顔が目の前にあった。肩に手を置かれ、必然的に真正面から見つめ合う形となる。


「本当のことを話してくれてありがとう。燈代ちゃんは、ずっと悩んでたんだね。気付けなくて、ごめんね」

「そんな・・・・・・先輩が謝るようなことじゃ」

「燈代ちゃん。私ね、この学校に入ってから自分にできることってなんだろうってずっと考えてたの。勉強をすればいいのか、部活を頑張ればいいのか、本当に今の自分でいいのか不安で、不安のまま、三年生になっちゃった」


 自嘲気味に先輩は笑う。


「でもね、燈代ちゃんが吹部に入ってくれて、フルートを吹きたいって言ってくれた日から変わったの。ああ、私は、今の私でいいんだなって、そう思ったんだよ」


 先輩の手が、わたしの頬に触れる。先輩の手に、涙が溜まっていった。


「でも、違うんです。わたし、フルートが好きだったんじゃないんです。本当は、先輩目的だったんです。全部、先輩みたいになりたいって。そういう思いで、まるで、真似するみたいに。先輩のことも考えないで・・・・・・っ」

「うん。燈代ちゃんは私のこと。なんにも分かってない」

「え」


 強い口調に目を開くと、先輩がわたしの肩を強く握った。


「知ってるよ、そんなの。ずっと、ずっと前から。燈代ちゃんが私みたいになりたいって思ってくれてたこと、知ってたよ。行きつけの美容院だもん。当たり前じゃない」


 あ――。


 先輩の手が、わたしの頬を通り過ぎ、首を通り過ぎ、肩を通り過ぎ。その先にある、髪に触れた。


「髪、伸びたね」

「せん、ぱい・・・・・・」

「なにかに憧れるのってすごいことだし、それで頑張れるのもすごいことだよ。フルートだってそう。全然吹けなかったら、私才能ないんだなって、諦めちゃうもん。でも、燈代ちゃんは違う。さっき言ったよね、大会で銅賞だったのは、自分のせいだって」


 はい。そう紡ぐ前に、先輩の優しい笑みに喉が動きを止める。声は空気となり、吐息に変わる。熱いものに感化されたそれは、耳と目を通り、わたしの心臓にストンと落ちた。


「諦めないって、金賞を取るよりも難しいことなんだよ」


 だから、燈代ちゃんは胸を張って。


 再び抱きしめられると、わたしの体重が先輩に乗る。空いた両腕を先輩の背中に回すと互いの距離が縮まっていく。隙間を埋めるように、先輩に縋った。


「うえ、うええ」

「え、なになに? 上? 上になにかあるの?」

「ちが、ちが、いまうえ」

「うん。大丈夫だよ。落ち着いてから聞かせて」


 先輩はずっと優しい。どれだけ時間が経っても、鏡越しにみた憧憬から微塵も色褪せていない。


「言いたいこと、まとまった?」

「えっと、あの、ぐすっ……まとまりません。ごめんなさい・・・・・・」

「そうだよね、難しいよね。私も苦手」


 涙が乾いても、余韻のようなものに喉奥が引きずられる。


「ね、しりとりしよっか」

「え?」

「りんご」


 先輩がイタズラっぽく笑い、わたしの返答を待つ。


「ご、ごーかーと」

「ごましおじゃないんだ?」

「お腹いっぱいなので・・・・・・」

「ふふっ、そっか。じゃあ、トカゲ」

「けいと」

「えー? また『と』? 今日はそういう日なのかな」

「た、たまたまです」

「そっかぁ、うーんとね、トリケラトプス!」


 指で角を作り先輩が笑う。そのちょっとおかしな仕草を見ると、ついわたしの顔も綻んでしまう。


「スケート」

「燈代ちゃんは楽しそうなのばっかりだね」

「そ、そうですか?」

「うん、いいことだよ。じゃあね・・・・・・ってまた『と』!? ちょっと燈代ちゃん? 本気で勝ちにきてない?」

「い、いえ! そんな!」


 むしろ、勝ちたくない。


 負けたくもない。


 こんな時間を、ずっと続けていたい。


「トラザメ」

「め、メール!」

「るー? んー・・・・・・あ、瑠璃貝!」

「い・・・・・・いとまき」

「き・・・・・・」

「あ――」

「燈代ちゃん?」

「ち、違うんです。まったくさっぱり、そんなつもりはなくって」


 先輩に『き』は禁句なんだった。


 自分で自分を恨む。


 やっぱりわたし、何をやっても上手くいかない。


 ずっと続けばいいと思っていた時間に、自分から終止符を打つなんて。


「もう、ずるいよ。『き』なんて」

「そ、そうですよね。ごめんなさい。今のなしで、もう一回考えますっ」

「ううん、気にしないで。しりとりをしようって言ったのは私だもん。典型的な、蚊取り線香が蚊取り線香になるってやつなんだから」

「ミ――」


 ミイラ・・・・・・と言おうとした、その口を。


「ん」

「――」


 先輩が塞ぐ。


 驚いた拍子に目を見開くと、まつ毛が向かいのまつ毛に引っかかる。顎をあげたまま固まるわたしの体から次第に力が抜けていった。


 微睡に落ちるように目を瞑ると、甘い吐息が唇の間から漏れ出した。半分上げた状態のまま固まっていた腕が、静かに先輩の服を掴む。


 ただの布生地なのに、まるで先輩自身の感触であるかのように感じた。


「せ、せんぱ・・・・・・」

「はい、次は燈代ちゃんの番」


 広くなった視界。一瞬、なんのことか分からなかった。


 整理するために振り返ると、背筋がピンと跳ねて寒気にも似たゾクゾクとした感覚が体を走っていく。もうすでに物寂しくなりつつある自分の手で唇に触れ、目の前で微笑む先輩を見据える。


 自分の身になにが起きたのか、先輩と今、何をしたのか。考えると目がぐるぐるして、頭がふわふわして、自分の中の何かが蕩けていくの感じる。


 懸命に、答えを探す。


 探すまでもなかった。


 しりとりって、簡単だ。なんて分かりやすいルールなんだろう。


「す、すき」


 その言葉を発した途端、何故か泣き出しそうになるわたしがいた。悲しいからでも、嬉しいからでもない。恥ずかしい、というのはちょっと似ている気がするけど、形容しがたい感情が、わたしの肩を震わせていく。


「先輩、好きです・・・・・・」

「うん」

「ずっと、ずっと前から、好きでした」


 言うと、先輩がわたしを優しく抱き寄せる。重なった唇。今度は短いものだった。


「はい、燈代ちゃんの番」

「好きです」


 パズルのピースを合わせるように、首の角度を変える。段々と摩擦の少なくなっていく唇に、甘いものを感じる。


「ほら、また燈代ちゃんの番だよ」


 ほんの少しだけ、照れくさそうに笑う先輩。淡く染まった頬が、愛おしい。ずっと憧れた先輩がそこにいて、話せて、触れられて、近くにいることを許された。こんな夢みたいな話があって、いいのかな。


 半信半疑のまま、先輩の手を握る。初めて握ったわけじゃないのに、感じる肌はいつもよりも柔らかく、滑らかだった。


「先輩、好きです。大好きです・・・・・・っ」

「うん。私も好きだよ。燈代ちゃん」


 息と声の混じったような音が、微かに溢れる。


 このしりとりは、なかなか終わりそうにはなかった。  

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