第4話 だめだめなわたし


 バスが到着するまでの間、外で待つ。肌に感じる風はいつものように冷たかった。


 会場の前で集合写真を撮ることになり、後ろの方へ並ぶと遠くに先輩の頭が見えた。


「あれ、先生どこいった?」


 部長が言って気付く。さっきまでいた先生がいない。わたしは「探してきます」と言って駆けだした。なにか役に立ちたい。そういう思いがあったのは確かだった。


 先生は会場の中の廊下にいた。他校の先生と仲良さそうに話していて、案外早く見つかったことに胸を撫でおろす。階段を駆け登ったので、息があがっていた。


「あの、先生――」

「あーいたいた! 東高のフルートでしょ?」


 声をかけようとした直後、近くで談笑していた他校の生徒の会話が耳に入る。制服を見るに、西高の人だった。今回のコンクールでは金賞で、県大会への切符を手にしている、強豪校だ。


「そうそう! あれ絶対吹いてなかったよね、指は動かしてたけどてんでバラバラだったし。できるとこだけ吹いてたのかな。時々めっちゃずれてる音入ってたし、力入りすぎ」

「でもこの時期になってもまだ吹けないってヤバくない?」

「んー、どうなんだろうね。弱小高とかだとたまにあるっぽいし。高校入って吹奏楽はじめてみたけど才能ありませんでした、みたいな子がさ。人数合わせで出場させられるやつ」

「うわー、迷惑じゃんそれ。なんで未経験なのに吹奏楽入ったんだろうね」

「憧れでしょ」

「ああ、そういうこと。確かにそういうのはあるよね。東高さ、銅賞だったけどフルートにめっちゃ上手い人いたじゃん。三年生かな?」

「うん。人数が少ないっていうのもあって、あれはすぐわかるよね。しかも、超綺麗じゃなかった? 芸能人かと思った。フルート吹けてなかった子、絶対あの人に憧れて入ったでしょ」

「あれは誰でも憧れるって。綺麗で上手くてさー。けどあれだよね。憧れるのは勝手だけど、憧れられた方のことも考えなきゃだよ」

「確かに、そのせいで足引っ張ってたら世話ないもん。まあ今回のは、どうだかわかんないけどさー」


 部長らしき人が呼ぶと、その人たちは慌てて集合場所へ戻っていく。わたしは床を鳴らして、先生の元へ走る。


 大きめのローファーが脱げて、大きな音を立ててわたしは転んだ。


 背伸びをしなければ、転ぶこともなかったのだろうか。もっと丁度いい、身の丈にあったサイズなら、きっと。


 わたしに気付いた先生が、どうしたの、と心配そうに駆け寄ってくる。


「集合写真撮るって、みんな待ってました」

「それで呼びにきてくれたの? ごめん、すぐいくね。あと、大丈夫? 膝擦りむかなかった?」


 大丈夫です、と言うしかなかった。先生を連れて、外に出る。


 みんながこちらを見て手を振っていた。その中に、当然先輩もいる。


 部員全員で撮った写真。わたしだけ、笑うことができなかった。



 打ち上げは後日、学校から少し離れた場所にある焼肉店で行われることになった。 


 あまり気は進まなかったけど、先輩がわたしを誘ってくれたこと、それから他にも何人か一年生も来るということでわたしも参加することにした。


 場所が分からなかったのでお母さんに聞くと、買い物のついでに車で送ってくれるとのことだった。お母さんはわたしよりも上機嫌に、ハンドルを握っていた。


「打ち上げなんて、いい機会じゃない。あんた部活はじめても引っ込み思案なとこ治らなかったんだし、元気よくね。こういうのはきっかけなんだから」

「うん」


 頑張るね、と。小さく呟く。


 お母さんと別れて焼肉店に行くと、先輩がすぐにわたしを見つけてくれる。さっきまでいた輪の中から抜け出して、わたしのもとへ駆けつけてくる。


「お母さんに送ってもらったんだ」

「はい。あの、遅刻・・・・・・じゃないですよね」

「うん。今は男性陣を待ってるところ。燈代ちゃんの私服はじめて見たけど、すっごくかわいいね。どこで買ったの?」

「えっと、これはお母さんが誕生日に買ってきてくれたんです。ちょっと派手じゃないですか?」

「そんなことないよ、燈代ちゃんにぴったりだと思う。わたしもなー、そんなふりふりの服着られたらいいんだけど」


 先輩の服装は、グレーのパーカーに紺のジーンズ。緩い佇まいと、引き締まった服装のギャップがいい。先輩はスタイルがいいから、ジーンズがそれを引き立てているし、手首が隠れるくらいの緩めのパーカーは可愛さを忘れさせない。


 気取ってないのに、先輩らしさが出ていてすごく似合っていた。


 それなのにわたしは、服ばっかりいいものを着て中身がまったくさっぱり、伴っていない。こうやって繕うばっかりだから、ダメなのかな。


「どうしたの? 燈代ちゃん」

「あ、ご、ごめんなさい」


 全員集まったことを確認して、焼肉店に入る。人生で初めてくる場所だった。第一印象は、けむたい。でもレジを通り過ぎて奥へ行くと、いいにおいがする。


 それなのにわたしの足取りは重く、最後尾をついて回った。せっかく先輩と休日にこうして会えたのに、本来なら嬉しいことなのに、落ち込んでばかりの自分が嫌だった。


「あ、あの。わたし、水持ってきます!」


 でもでも、そんなんじゃダメだよね。


 わたしが陰気臭い顔をしてたら、せっかくの楽しい場が台無しになっちゃう。


 これ以上、迷惑なんて、かけられないよ・・・・・・。


 悶々と考えながら、コップに水を注いでいった。五つほど注いで、おぼんに乗せて席に戻る。


『憧れるのは勝手だけど、憧れられた方のことも考えなきゃだよね』


「きゃあっ!?」


 持ってきた水を、テーブルに置く直前おぼんからこぼしてしまった。三年生の服にかかってしまい、わたしは慌てておしぼりを持ってくる。


「あはは、白玉ちゃん。おしぼりじゃ拭えないよ」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

「大丈夫大丈夫、どうせその服いつもの1980円のやつだから」

「ちょっと! なんで決めつけんのさ!」

「あり? 違った?」

「・・・・・・そうだけど」

「あ、あの・・・・・・本当にごめんなさい・・・・・・」

「いいっていいって、気にしないでよ。白玉ちゃんは座ってて、自分のは自分で持ってくるから、ね?」


 そう言って周りに目くばせをすると、みんな頷いて立ち上がる。わたしはポタポタとテーブルを伝う雫を一生懸命ナプキンペーパーで拭き取った。


「燈代ちゃん、大丈夫? びっくりしたね。床つるつるしてるもん」


 先輩もペーパーを持って一緒に拭いてくれる。


「これ、燈代ちゃんの分ね」


 テーブルに置かれたコップ。波打つ水面に、わたしの情けない姿が映る。


「ごめんなさい、先輩」

「いいって言ってるのに。みんなも言ってたでしょ? そんなことより、ほら、お肉頼もうよ。私カルビがいいなー! 食べるのいつぶりだろう!」


 火を付け、皿に盛られた肉が運ばれてくる。


「あたし肉焼きますよー! 任せてください!」


 わたしと同じ一年生の子が、長い箸を持って袖をまくる。器用に等間隔に並べ、それはオーケー、それはまだ生、と選別していく。


「えー、上ちゃんすごーい」

「実家が焼肉屋なんです。小さい頃からよく残りものを焼いてたので、得意なんです!」

「すげー、上様じゃん、上様!」

「もーなんですかそれ」


 次々と肉を捌いていくその姿を眺めながら、わたしは空っぽの皿を箸でかき混ぜた。


「白玉さんも、はい。いっぱい食べなよー? 白玉さんちょっと痩せすぎなんだから」


 上田うえださんはややふくよかなほっぺたを赤くしながら、わたしを気にかけてくれる。あの時楽器を運ぶのを手伝ってくれたのも上田さんだった。


「そういえば白玉さんあたしのこと名前で呼んでくれたことないよね」

「え」


 上田さんは肉を向かいの二年生に分けながらわたしに話す。


「上田でいいよ。上様はダメだけど。なんか殿様みたいじゃん」

「う、うん。じゃあ、上田さん」

「ん! ちなみにいっつもあたしの後を付いてくるこいつは河原かわはらね。よかったら仲良くしてあげて」

「よろ」


 ちら、と横を見ると、口にカルビを3,4枚ほど咥えた河原さんが敬礼のようなポーズをとっていた。慌ててわたしも似たようなポーズをとると、上田さんが笑いながら「そいつの真似してると疲れるよ」と言った。


 お母さんは、きっかけが大事と言っていた。これも、そういうことなのだろうか。


 ぽん、とまた皿に肉が置かれて、それを口に運ぶ。・・・・・・おいしいな。


 それに、優しい味がする。


 ここにいるみんなが、わたしのことを気にかけてくれている。それが本当に申し訳なくて、同時に、こんな自分が情けなくなってくる。


 もしかしてわたしは、いない方がいいんじゃないか。


 そういう思いがどんどん強くなっていくのを感じた。


「おいしいね」


 先輩がわたしの顔を覗き込んでくる。先輩の癖だった。それがいつもならくすぐったくて恥ずかしい気持ちになるのに、今はこんなわたしを見ないで欲しい。そんな一人よがりでわがままな、ひどいくらいに醜い気持ちでいっぱいだった。


「燈代ちゃんホルモン食べた? こりこりしてて美味しいよ? あ、タンにする? 脂っこくないから食べやすいかも。あとは、あれ。ねえ燈代ちゃん、これ鶏肉だった? わかんなくなっちゃったね、焼肉初心者だ」


 そうやって気さくに振る舞う先輩だけど、わたしを元気づけようとしていることは明白だった。


 そもそも、これは三年生の打ち上げなのだ。先輩はわたしなんかよりも、ずっと部活動を共にした人たちと過ごしたほうがいいに決まってる。


 先輩の隣に、わたしはきっと、ふさわしくない。


 足を引っ張っている。


 その言葉がどれだけ、今の状況に合ったものか。わたしは痛感していた。


「わー! 冷麺あるよ冷麺! 燈代ちゃん燈代ちゃん、これいっしょに食べようよ」

「わたし、トイレ行ってきますね」

「えっ? 燈代ちゃん?」


 わたしは逃げるように、ううん。逃げた。


 トイレに駆けこんで、鏡に映った自分を見る。ほっぺを伸ばして、まぶたの下を引っ張って、体をくるりと回す。


 そこに映っていたのは、なにかに憧れて、ただ付いて行っただけの。


 何者でもない、何かだった。


「こんな服、似合わないよ・・・・・・」


 わたしなんかよりも、ずっとかわいい服。着ていることすら、烏滸がましい。わたしはそれを脱いで、カバンに詰め込んだ。シャツ一枚で、トイレを出る。


 わたしは先輩とは逆側の、一番端っこに座った。寒い。


 それからは一人で黙々と、味のしない肉を食べた。さっきは、おいしかったのに。なんでだろう・・・・・・。


 先輩の視線を何度か感じたけど、顔をあげることはできなかった。

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