夢現な世界
佐武ろく
夢現な世界 フルver.
※これは『珊瑚の本屋さん』という短編・SS集に載せたもののフルver.です。ですので内容自体は変わりません。
―――ピー......ピー......ピー......
等間隔で鳴り響く冷たい機械音。
キャスターと人の駆ける音。
「菊田さん? 聞こえますか? 菊田さん?」
必死に呼びかける医者の声。
あたしは遠ざかっていくその姿をただただ立ち尽くしながら見つめるしかなった。不安と恐怖で激しく運動をしたかのように心臓は脈打ち息は浅く荒れる。胸の中でどんどん膨れ上がる2つの感情の所為で気分が悪い。だけどそれ以上にあの子のことで頭は一杯一杯。
―――もしダメだったら? いや、きっと大丈夫。でももしこのままあの子が......。
大丈夫だと無理やり言い聞かせようとするが最悪の未来はそれを押し退け頭を埋め尽くす。
―――もし......、もし......、もし......。
何の根拠もないただの嫌な妄想だということは分かってるけど、どうしても考えてしまう。それが自分で自分を不安にさせ追い詰めてしまっている。
だけど、でも......。その言葉が考えたくもないことを持ってくる度に嫌という程に強く速い鼓動を感じる。速く浅い呼吸が聞こえる。気分が悪い。目の前が少しぼやける。
頭がおかしくなってしまいそうだ。
そう思っていると少し足元がふらつく。
すると誰かがあたしの両腕へ優しく触れ支えてくれた。
「きっと大丈夫ですよ。さぁあちらに座ってましょうか」
看護師のお姉さんはその手同様に優しい声であたしを落ち着かせようとしてくれた。その優しさにあたしは思わずお姉さんに寄りかかる。彼女は何も言わず優しく受け入れてくれた。
不安と恐怖ですっかり縮こまり震えていたあたしの体もお姉さんの優しさで多少は和らぎ歩ける程には落ち着いた。優しく体に触れる人の温もり、微かに香る柔らかな香り。ゆっくり歩いている間に何度か深呼吸をするぐらいには余裕が生まれた。
そしてお姉さんに寄り添いながら通路に並んだ椅子に腰を下ろす。
「ありがとう......ございます」
今にも消えそうな声だったがここまで連れてきてくれたこと、何より少し落ち着かせてもらったことへのお礼を伝える。それに対してお姉さんはやはり優しい笑みを浮かべ「きっと大丈夫ですからね」って言ってくれた。
それからは何度も何度も立ったり座ったりを繰り返しながら、自分に大丈夫だと言い聞かせひたすらに待った。
座りながら時折、指を組み神に祈る。神様どうかお願いします。あたしのたった一人の可愛い妹を、
それと待ちながらあたしは何度か姉とのLINEをチェックしたが相変わらずそこに既読はない。
「なんでこんな時に......」
若干の苛立ちが込み上げるがそれも不安のせいだろう。中々既読が付かないのは仕方がない。姉の陽南は海外で働いていて忙しくしているんだから。海外に行ってからは普段も返信は遅いし。だから仕方がない。
あたしはそれからもただただ待った。だってそれしか出来ないから。
時間はあたし達なんかには無関心でいつも通りの速度で時を刻む。だけどその中にいるあたし達の感じ方が変化するせいで今はとても長く感じる。時計を見ても見ても数字は進まず、待っても待っても終わらない。
時折、不安に押し潰されそうになる。だけどあたしがここで耐えたところで吐いたところで祈ったところで何かが変わる訳ではない。
あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。何度も時計は見ていたはずだがそれは全く分からない。もしかしたら永遠に来ないんじゃないかって思ったけどちゃんとその時はやって来た。
ドアが開き先生が姿を現した。あたしは先生が歩み寄るよりも速く駆け寄る。先生が口を開くまでのほんの数秒でさえ待ち遠しくもどかしい。急かしたい気持ちはあったが黙って先生へ視線を向け待った。まるで判決を言い渡される人のような気持ちだ。
「命に別状はありません」
その言葉で一気に体から不安やら恐怖やらが抜け大分、楽になった。それと同時に安堵のため息が零れる。
「ですが......」
だけどその雲行きを怪しくさせる言葉が再度あたしを緊張させた。出来る事ならそんな言葉は聞きたくなかった。だが耳を塞ぎ現実逃避をする訳にもいかない。色々な気持ちをグッと堪えながら言葉の続きを待つ。
「意識は依然、戻っていません」
「えっ? 大丈夫なんですか? ちゃんと戻るんですよね? 大丈夫なんですよね? また一緒に話したり出来るんですよね? 大丈夫なんですよね?」
思わず捲し立てるように。というより大丈夫だと言ってくれと言わんばかりに先生へ言葉を投げつけた。
「分かりません。今は経過を見るとしか...」
申し訳なさそうな表情をする先生にあたしは少し我に返った。
「―――そうですか......。分かりました」
力無く俯き、あたしは小さく呟いた。
* * * * *
静かな通路を通り見慣れ始めたドアを開けると病室の中へ足を踏み入れる。
「桃奈ー。今日も来たよぉ」
病室に入るとベッドに横たわる桃奈の姿。目は閉じたままで意識は無い。
あの日から約1週間。あたしは毎日ここへ来ているが毎回家を出る度に思うことがある。
この病室のドアを開けて中に入れば状況が分からなくてキョトンとした桃奈がベッドに座ってる。そしてあたしの顔を見るとあの無邪気な笑みを浮かべて一言「蓮姉」って言うんだ。そんな光景を思い浮かべ、期待してここまで来てる。
だけど現実は夢物語のようにはいかない。そこにあるのは彼女が生きていることを可視化してくれる心拍計とその傍で静かに眠る桃奈の姿だけ。
そんな彼女の頬へ撫でるように触れれば自然とまだ幼かった頃を思い出す。あたし達の後ろに引っ付いていた頃を。
「ふふっ。懐かしいなぁ」
気が付けば笑みが零れていた。
でも今の桃奈は、昔陽南に読んでもらった(そしてあたしが彼女に読んであげた)絵本の眠り続けるお姫様ようだ。美しいというよりは可憐だけど。そしてどこか儚い。あたしはその儚さがとても怖かった。ちょっとの衝撃で壊れてしまいそうで。
そう思うと頬から逃げるように手を離す。
彼女の温もりが薄れていくその手に自然と力が入った。
それから持ってきた花を花瓶に入れたり話しかけたりしていると病室のドアが強く開いた。一瞬、看護師さんかと思ったが開け方が妙に雑だったからその可能性はすぐに消える。それと同時に誰かという疑問が浮かぶがそれもすぐに消えた。
「桃奈!」
慌てた様子で病室に入って来たのは、姉の陽南。アタッシュケースを手に持っているところを見れば空港から直接来たんだろう。来るとは聞いていたけど予定じゃ明日のはず。
「桃奈ぁ~。大丈夫なの?」
アタッシュケースを雑に手放した陽南はあたしとは反対側に行き、桃奈の両頬に愛おしそうに触れる。その表情は眉間に皺を寄せ悲しげ。
「来るのは明日って言ってなかった?」
あたしの言葉に顔を上げた陽南の眉間から皺は消えていたが依然と泣き出しそうそうだった。
「無理やり最低限の仕事は終わらせて来たの」
そう答えながらぐるっとベッドを回りあたしの目の前まで足を運んだ。
「久しぶりね。蓮」
満面ではなかったが笑みを浮かべた陽南はあたしをそっと抱きしめてくれた。懐かしい温もりと香りがあたしを包み込む。
少し厳しいけどいつでも優しくて頼りになる大好きな姉。
「すぐに返事できなくてごめんね」
海外に行ってしまってからは中々会えてなかった姉が目の前にいる。それを改めて感じると胸にあった色々なモノが溶けていき少し楽になった気がした。溶けたそれがあたしの目に溜まると1雫だけ頬を流れる。
そして応えるようにあたしも姉を抱きしめ返した。
「ううん。仕事忙しいんでしょ?仕方ないよ」
まだ名残惜しかったが陽南はあたしから離れると両腕に手を伸ばしながら顔を見つめる。
そして今まで幾度となく安心させてくれた笑みを浮かべあたしの涙を優しく拭った。
「1人で不安だっだわね」
言葉の後にポケットから取り出したハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう」
「――改めて何があったか聞かせくれる?」
「うん」
そしてあたしはあの日の出来事を話した。桃奈と久しぶりに会って一緒に出掛けたこと。映画を観てお昼を食べたこと。買い物をして色々なお店を回っている時に事故にあったこと。その瞬間、手を伸ばしたが届かなかったこと。全部話した。
あの時、手が届いていれば......。何度そう考えただろう。何度その後悔の渦に呑まれただろうか。悔いても悔やみきれない。気が付けば意味もないのに下唇を噛み締めていた。
「届かなかった。あたしの――」
「それは違う」
何を言うのかお見通しだったのか陽南はあたしの言葉を遮ってまた抱きしめてくれた。
「蓮は何も悪くない」
胸に顔を埋めるあたしの頭を撫でてくれるその手の優しさはあの頃と同じで、子どもに戻ったような気持ちになった。だからかまた涙が溢れる。
陽南はあたしの気が済むまで抱きしめ頭を撫でてくれた。
こういう風に甘えるのはいつぶりだろう。昔のようで少し嬉しい。
だけどずっとそうしている訳にもいかずゆっくりと離れた。
「ありがとう」
「大丈夫?」
「うん」
その後、傍の椅子に腰かけると話をした。仕事の事とかあっちの生活はどうかとか。色々。
「どれぐらいいられるの?」
「5日。ここでも仕事しながらだけどね。あっ、そうだ。その間、蓮のとこに泊まっていい?」
「もちろん。いいよ」
「ありがとう」
それからもあたしは毎日毎日、桃奈の所に来ては話しかけたりした。日本にいた5日間は陽南も一緒に。
だけど何度病室のドアを開けてもそこにある光景は変わらない。彼女は眠り続けたまま。
先生が言うには身体的には問題がなく、いつ目を覚ましてもおかしくないらしい。だからこそ原因が分からないとか。
* * * * *
―――桃奈が眠りについてから170日目。
この日もあたしは病室にいた。
運動不足による身体的な衰えこそあれどその他に異常は見当たらない。先程先生と少し話をしてきたがそう言っていた。
それとこれは可能性の話らしいけど、起きないのは眠っている本人の潜在的な意識によるものかもしれないとも。
桃奈は自分の意志で眠り続けているのか? あたしがそう尋ねると、何の根拠もないただの可能性の話だと念を押すように返された。
でももし本当にそうなのだとしたら。
「もう起きたくない程に嫌なことでもあったの?」
返事は返ってこないと知っていながらそう呟き桃奈の柔らかな頬に触れた。
実は最近、といっても1ヶ月ほど前からだけど彼女に変化があった気がする。確証はないけど、どこか少し笑みを浮かべているように見える。少し口角を上げたその表情は嬉しそうだ。
桃奈は何を思い、どんな夢を見ているのだろうか。それは理想が詰まった楽園のような世界なんだろうか。
「そういえばあの日、桃奈とも本当に久しぶりに会って遊んだよね。あたし達3人共、大人になってめっきり会えなくなった。昔はあんなに一緒にいたのに...。何だか......寂しいよね。ずっと昔みたいに一緒に居られたらいいのに」
人間は誰しも現実とは違う理想を持っているのかもしれない。そんな世界に一度でも身を置いてしまえば戻りたくないと思うのも、もしかしたら自然のことなのかも。例えそれが夢だとしても。
「折角、幸せ一杯なのにそんな世界からあたしが会いたいって理由だけでこんな現実へ連れ戻そうとするのは、我が儘かな?」
その答えは分からない。だけどまた話したり一緒に遊んだりしたいって気持ちは確か。
あたしは少し複雑になった気持ちのまま立ち上がった。そして桃奈の顔を覗き込む。
すると突然、本当に何の前触れもなく。桃奈が目を開け始めた。眠たそうな目をキョロキョロとさせ周りを見てあたしと目が合うと少し首を傾げる。
「蓮..姉?」
「桃奈!」
あたしは突然のことで驚愕と喜悦が混沌としながらも気が付けば桃奈を抱きしめていた。彼女に回した腕で想いを込めるように力強く抱きしめる。
そして遅れてやって来た涙を大人げなくぼろぼろと流しながら咽び泣いた。
「どうしたの?」
そんなあたしに戸惑いを隠せない様子の桃奈。あたしは彼女から離れると涙を拭き落ち着きを取り戻しながら説明をした。事故で長い間眠っていたこと。
話を聞いた桃奈の表情からは「冗談でしょ?」という言葉が聞こえてくる。だけどあたしの顔を見るとそんな表情も消えた。
だけどまだ信じ切れてはいないようだ。それも当然だろう。目を覚ましたら「実は君は事故で170日間眠っていました」なんて言われても「はいそうですか」と受け入れられるはずがない。今の桃奈には時間が必要だ。
あたしはとりあえず先生を呼んだ。
そして先生が説明をしている間に陽南へ連絡。その間もずっと嬉しさのあまり笑みを浮かべてたことは言われなくても分かる。
さっきの反応でも見て取れたがどうやら桃奈は事故とその直前の事を覚えていないらしい。でもあたしと遊びに行こうとしてた事とかそれ以前のことは覚えているらしいからそれは良かった。
それと今後だが、とりあえず念の為に検査をして問題が無ければ退院。という形になった。見た感じは元気そうだったが問題がないとは言い切れない。あたしはただ何もないことを願った。
* * * * *
退院当日。検査では特に異常は見当たらなかったらしく、それにあたしは胸を撫で下ろした。幸い検査の為の入院時間は桃奈が頭の整理をする時間にもなった。
全てが元通り。荷物をバッグに詰める桃奈を見ながらあたしは再度胸を撫で下ろす。
すると病室のドアが開いた。
「桃奈ぁ~」
病室に入って来た陽南はアタッシュケースを雑に手放し両腕を大きく広げると桃奈へ駆け寄った。そして桃奈が返事をする前に抱き付く。
「陽南姉」
「もぅ~。心配したんだからね」
「ごめん」
「桃奈が無事だっただけで十分。本当に良かった」
「うん。ありがとう」
強く抱きしめる陽南を負けないぐらい強く抱きしめ返す桃奈。2人はしばらく久しぶりの再会も味わうように抱き締め合った。
「陽南。今回はどれぐらいいられるの?」
桃奈から離れた陽南にあたしはそう尋ねた。きっと忙しい合間を縫って来たんだろう。あまり長居はできないのかも。
「うーん。ずっと、かな。私こっちに戻ってくることになったんだよね」
「えっ? ほんとに?」
あたしは驚きのあまりその言葉を疑った。
「本当よ。あっ、そうだ。実はまだ部屋決めてなくてさ。だから蓮。しばらくいいかな?」
「別にいいけど」
「えぇー!2人共一緒に住むの?いいなぁ」
口を尖らせ羨ましがる桃奈。
「僕も一緒がいいなぁ」
少し駄々をこねるような桃奈の頭を陽南が優しく撫でる。
「私もできることなら桃奈とも一緒がいいけど......。じゃあもういっそのこと新しい場所に3人で住んじゃう? 3人の会社の間ぐらいの場所に」
「えっ?急にそんなこと言われても」
「やったー!それがいいなぁ」
急な提案に戸惑いはあった。だけどまた3人で一緒にいられるなら居たいという気持ちは確かにあって...。
だから断る理由なんてない。また大好きな2人と一緒になれる。それだけで心は踊った。
そのことが決まった後、みんな共通で5日ほど休みがあることが分かり――何して過ごそうか。話題は自然とそれに変わっていった。
「折角だし花見でもする?」
「僕、陽南姉のお弁当食べたい!」
「いいよ。桃奈の好きなやつ沢山作ってあげる」
両手を上げて喜ぶ桃奈を眺めながらあたしは1つ疑問を抱いていた。
「今ってそんな季節だっけ?」
「何言ってるの? 蓮」
「ほら、綺麗な桜が咲いてるよ」
桃奈が指差した窓の外では彼女の言う通り綺麗な桜が満開で咲いていた。
「ほんとだ」
「大丈夫?」
きっとここ最近、桃奈のことばかり考えていたから気が付かなかったんだろう。あたしはそうだと納得すると2人と一緒に今後のことを話し始めた。
* * * * *
花見をしたり、家でゴロゴロしたり、買い物したり、家で映画やドラマを観たり、遊びに行ったり。
この5日間は昔に戻ったみたいでほんとに楽しかった。しかもこれでまたお別れじゃなくてこれからも一緒に居られる。夢のようだ。
「なーにニヤニヤしてんの?」
共通の休日最終日。あたし達は夕日に焼かれた海へ来ていた。
そして仲良く砂浜を歩いていると陽南はそう言いながらあたしの頬を突く。
「別にニヤついてない......し」
バレてることは分かってたけど咄嗟に顔を手で隠して逸らしたのはちょっと恥ずかしかったから。
だけど夕日のおかげで少し赤面しているのはバレないだろう。
「あっ蓮姉、顔赤くなってる」
だけど顔を覗き込んできた桃奈に指摘されてしまった。バレてた。
「うるさい」
「相変わらず蓮は可愛いなぁ」
陽南は肩を組むようにあたしを抱きしめた。
「僕もー」
「よーし!おいでー」
それを見た桃奈が駆け寄ると片腕を広げ受け入れた。陽南はあたしと桃奈を、桃奈はあたしと陽南を、あたしはまだ赤らんだ顔を隠していた。
「私の可愛い妹達。いつまでも大好きだよ」
「僕も陽南姉と蓮姉が大好き―」
少し遅れてあたしも2人の背に手を回した。そしてすっかり夕日の赤さだけに染まった顔を桃奈同様に陽南の胸に埋める。
「あたしもお姉ちゃんと桃奈が大好き」
あたし達は波の音の中、しばらく3人で抱き合っていた。
それから適当なところに腰を下ろすと3人並んで海を眺めた。陽南と桃奈に挟まれて座りながら見る海はとっても綺麗でどんな絶景にも勝るんじゃないかって思う。
とにかく今は胸が幸せで一杯。その重さに耐えかねたようにあたしは後ろに寝転がった。
「ずっとこのままだったらいいのに」
無意識に呟いた言葉に陽南と桃奈が顔を覗き込む。
「ずっとこのままだよ。どれだけ離れたって、2人は私の可愛い妹だから」
「そうだよ。これからもずっと2人は僕の優しくて大好きなお姉ちゃんだよ」
あたしは2人の手をそれぞれ握った。
「なんか。しばらく離れ離れで会えなかったからこの時間が夢みたい」
「本当に夢かもよ?」
冗談っぽくそう言う陽南の顔を一度見ると視線を桃奈へ。そして昼間から夜へと移り変わろうとしている狭間の幻想的な空へ向けた。
「それでもいい。例え夢でも覚めなければそれでいい。ずっとこのままでいられるなら」
あたしは導かれるように目を閉じた。
両手に感じる2人の手は柔らかくて温かい。もう離したくない。そう思える程に優しかった。
「蓮」
「蓮姉」
2人の声が聞こえる。そろそろ帰るのかな? なら目を開けて起き上がろう。
あたしはゆっくりと目を開けた。
だけどあたしの目に映ったのはさっきとは全く違う光景。陽南と桃奈があたしの顔を覗き込んではいたがその表情は目を見開き愕然とした様子。しかも2人の向こう側にあるのは夕日に焼かれた大空ではなく白い天井。
「良かった!」
「蓮姉ぇぇぇ!」
何が何だか分からないあたしに2人は抱き付いて来た。泣いてる?
「えっ? ここは?」
あたしの言葉に離れた2人は頬に涙を伝わせながらも笑みを浮かべていた。
「病院だよ」
「え? なんで? 海は?」
「海? 何言ってるの? 蓮姉?」
桃奈の話によるとあたしは桃奈と一緒に遊びに出かけてたらしい。その途中で桃奈を庇って事故に遭ったとか。それで170日間眠り続けていた。だけど急にあたしの手が動いて驚いたんだって。
どうやらあたしの知っている事実は少し違うらしい。あたしの手は届かなったはず。だけど、本当は届いてて事故に遭ったのも眠り続けていたのもあたし。訳が分からなくて頭はぐちゃぐちゃだったけど1つだけハッキリしていることがある。桃奈じゃなくて良かった。そのことだけはホッと胸を撫で下ろせる。
それからまるで未来予知でもしてたみたいに先生が来て検査で少し入院することになった。
* * * * *
退院当日。
荷物を積め終わったあたしはベッドのテーブルに小さなコマが置いてあるのに気が付いた。誰のだろう? そう思いながらそれを手に取ると指を鳴らすように回した。クルクルと安定したコマは永遠に回り続けそうだった。
「明日さ。花見でもしない?」
すると後ろで外を眺めていた陽南がそう提案した。
「花見したい。いいね。あっ! 僕、陽南姉のお弁当食べたい」
「いいよぉ。じゃあちゃんと手伝ってね」
「はーい」
2人のやり取りを聞きながらあたしの中に1つ疑問が浮かぶ。
「今ってそんな季節だっけ?」
「蓮はずっと眠ってたからね。季節感覚がちょっとズレてるんじゃない?」
振り返った陽南はそう思うのも無理はないと言うように微笑む。
あぁ、そうか。あたしは170日も寝てたんだ。季節ぐらい変わるか。
「そういえば陽南はどれぐらいこっちにいるの?」
だがあたしの言葉に陽南の顔は心配そうな表情へと変わった。
「どういう意味?」
「だって陽南は海外から......」
陽南の顔を見ていると自信がどんどんなくなっていき言葉は最後まで出なかった。
「海外なんて行ってないわよ? ちょっと前から3人で一緒に暮らしてるじゃない」
「蓮姉ぇ大丈夫?」
「あれ?」
じゃあアレは夢だけの話? どこからが夢でどこまでが現実? 分からない。頭がこんがらがってきた。
「まだちょっと整理がついてないみたいね」
「うん。そうかも」
そんなあたしの背に手を回した陽南は反対側の腕を掴み体を引き寄せた。
そしてそのまま窓際まで導くように歩く。ガラスの向こうでは桜が風に揺られ花びらを美しく散らしていた。
「慌てないでゆっくり戻していこう。一緒にね。時間は沢山あるんだから」
「うん」
「僕も手伝うよ」
あたしの隣に来た桃奈は陽南のように背に手を回した。
「ありがとう」
目覚めるまで見ていた夢も今と何にも変わらないほどに現実味があった。正直言うと夢って言われないと分からないほどに。その所為でまだ少し記憶に区別が付けきれてない。だけどあの夢よりは今がいいかな。だって事故にあったのがあたしだったから。なにより桃奈を助けられたから。
すると病室のドアが開き先生が入って来た。その音にあたし達3人は振り返る。
「菊田さん調子の方はどうですか?」
「はい。おかげさまで大丈夫です」
「それは良かった。それでは退院おめでとうございます」
「ありがとうございます。お世話になりました」
そしてあたしは荷物を手に取った。先に歩き出した陽南と桃奈はドアを開いてくれている先生に一言お礼を言って病室を後にしていく。
2人の後に続こうとしたあたしはふとテーブルの上へ視線を向けた。そこにはまだ勢いそのまま回り続けるコマ。
「蓮?行くよー」
「あっ、うん」
陽南の声にあたしは歩き出した。
実は目が覚めてからずっと心の端に疑問がひとつ。時折、あたしを覗き見ていた。多分、現実だと思い込んでいた夢を見ていたせいだと思う。その疑問の所為で少し不安はあるけどあんまり気にするべきじゃない。今はそう思う。解決というかこの疑問が消えるのも時間の問題だと思うから。だって考えたって仕方ないじゃん。
―――今が現実か夢かなんて。
夢現な世界 佐武ろく @satake_roku
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