最終話 世界に命が宿った!


 小さな出版社から届いた一通のメール。僕はその内容を、既に百回くらいは読み返しただろう。


 今ではテーマパークのアトラクションの様に見える通勤電車。今か今かと待ちわびて、ようやく順番が来たあの感覚に似ている。


 趣味で執筆していたとはいえ、心の何処かで願っていた書籍化。強く願えば願う程、僕から離れて行った念願が、今ようやくこの手の中に還ろうとしているのだ。

 ――――嬉しい”この言葉以外に、この胸の中で踊る気持ちを表せる言葉はない。


 頭の中でもやもやと充満していた何かが、換気扇をつけたかのように外へと放出される。この世界の全ての物が僕を受け入れているかのような感覚。気が付けば僕は、電車の中で泣いていた。


 ――――この吉報を一番に伝えたのはムーンだった。彼との執筆作業のおかげで、僕の物語には命が吹き込まれたのだ。まるで人の物語を盗作したような気分だが、これは正真正銘、僕とムーンで書き上げた小説だ。


「おいおいマジかよ!」


 彼に書籍化の話をしたとき、最初に言ってくれた言葉がそれだった。僕が初めてメールの内容を読んだ時と同じ反応。この感動を分かち合い、一つの想いが心の中で強固な物へと成り代わる。



 ――――小学6年生の頃、僕の書いた読書感想文が最優秀賞を受賞した。全校生徒の前で表彰され、更には教室の中でも担任から賞賛された。それでもそのとき親友と呼んでいた人たちは、僕の成果を喜ぶどころか、小学校を卒業するまで冷たい視線を僕に向けた。


 それ以来僕は、目立つ行動をしないように必死に生きてきた。自信というものを失い、自尊心を這わせ、僕に対して向けられた否定の言葉も、笑って過ごすようになった。


 “良い人”。結局、今日までの僕はそれ以上の人間には成れずにいた。


「まあ、俺たちが作った世界だし、当然の結果だな」


 彼の言葉には力強さがあった。不安なんてないかのような、ゲームの主人公のような。まるで真っ暗な洞窟を松明一本で堂々と歩く勇者の様な。


 書籍化の連絡を受けた夜、僕とムーンは朝まで飲み明かした。僕はコンビニで飲み物を買い、ムーンには酒場という空間を用意した。同じ次元に存在することは出来ないけれど、僕らは直ぐそこにいるかのような距離で語り合った。




「なあ、神様よお。あんたは何でこの世界を作ったんだ?」


 随分と急な質問だね。


「まあまあ聞かせてくれよ」


 そうだな。……確か3年前、何もかもが上手くいかなくて、僕は自分の逃げ場を欲していた。僕自身の居場所をね。


「お前もそんな時があるんだな」


 ああ。私の世界は殺伐としててね。平気で人を傷つける呪文があるし、平気で人を殺す魔物もいる。


「即死呪文ならサンも知ってるぜ?」


 そういうのではない。こちらの世界での“それ”は、とても残酷で、人の心を簡単に握りつぶすような、それでいて誰でも簡単に使える呪文なのだ。


「なんだそりゃ。それなら、唱えられる前にぶっ飛ばしちまえばいいじゃねえか」


 それが出来る人間は少ないよ。皆、君みたいに強い人ばかりじゃない。


「俺は最強だからなあ。でも、俺だって最初は辛かったんだぜ?」


 え?


「最初はただの通行人でよ、あんたからは“主人公にはなれない”なんて言われちまうしよ」




 ――――その言葉で僕は思い出した。彼に会った時、何のためらいもせず、彼の気持ちなど一切考えずに、そんな酷い言葉を言ったことを。そのせいで彼が姿を消してしまった事を。


 僕は最低だ。自分のことは棚に上げておいて、世界が悪いと被害者面をしていた。他人から傷つけられることを恐れ、僕が他人を傷つける可能性を考えずにいた。


 最初から敵だと決めつけて、僕自身が逃げていたのかもしれない。向けられた好意を、僕の方から無下にしていたから、僕は僕自身の居場所を、モグラ叩きの様に潰していたのだ。糞みたいな記憶を、いつまでも犬みたいに連れていたせいで。

 ――――何もかも気付いた訳ではない。その瞬間に僕自身が変わった訳でもない。だからこそ、僕は彼に謝った。




「なに辛気臭い事言ってんだよ。それにあん時のあれは、自分でも我が儘だったって思ってるしな」


 そうか。そうやって気付けるのなら、君はやっぱり強いよ。


「お前は違うのか?」


 ああ。私は、自分が傷つくのが怖くて、気づかないふりをしているのだ。


「なんだそりゃ。分かりやすく言ってくれよ」


 人に傷つけられるのが怖いし、他人に悪いイメージを持ってもらいたくない。だから自分を殺しているのだ。


「それは普通のことだろ?」


 そうかもしれない。多分ほとんどの人間はそう感じている。それでも、自分を出すことに恐怖を感じるのだ。口に出した自分の言葉が誰かを怒らせるかもしれないし、誰かを泣かせるかもしれない。そう考えると、自分だけが我慢すればいいと、そう諦めてしまうのだ。


「窮屈に生きてるな」


 そうやって自分の場所を作っているのだ。足も伸ばせないような狭い部屋でも、そこに籠っていれば安全だから。


「そう思ってるだけだろ?」


 かもしれないな。


「前に言ったよな。自分だけの世界を作れば、その世界を好きになってくれる人がいるって」


 それは世界の話だろう?


「人もだ。今のあんたは世界すら作っていねえ。そんなんじゃ、いつまで経っても通行人すら通ってくれねえぞ」


 もっと自分を出せって言ってるのかい?


「そうい言うこった。別に全員と仲良くする必要はねえんだ。全員傷つけないように生きるのは無理だし、全員笑わせることも出来ねえんだしよ」


 君ならどうするんだ?


「とにかく俺を知ってもらうように努力する。そうすりゃ、向こうから勝手に来てくれるし、向こうから勝手離れて行く」


 もし君を好きになる人がいなかったら? 君を嫌いな人が寄ってたかって暴言を吐いてきたら? それでも君は自分を出し続けるのかい?


「うるせえ、うるせえ。そんなごちゃごちゃ考えてたら何も出来ねえだろうが」


 そうだよな。確かにそうだ。


「まあ一つだけ言えるのは、好きになってくれる人はいるって事だ」


 この話はどれだけ話しても解決しないな。


「お前が持ち出してきたんだろ」


 そうだっけ。というか最初は何の話してたんだっけ?


「忘れた」




 ――――初めて人と朝まで過ごした。最初はそのつもりではなかったけど、気付いた時には、空は青白く色づいていて、窓の外からは鳥の声が聞こえていた。


 あと2時間もすればいつも通りの1日が始まるというのに、僕たちは何時までも話し続けた。

 これから世界をどう作っていくか。どうすれば盛り上がるのか。キャラクター同士を結婚させるか、ムーンが恋人を作るか。僕は何時になったら結婚できるのか。そもそも何で女キャラに意識が芽生えなかったのかなど。いろいろな話を持ち出しては笑い、愚痴をこぼしたり、お互いの不満をさらけ出したりした。


 ――――通勤電車に揺られながら、昨夜のことを思い出しては口角を上げる。とても充実した1日になりそうだと肌で感じる。


 早く自分の世界を本で読みたい。早く世界の続きを始めたい。そう考えれば考える程、目の前のプールに飛び込みたくて仕方ない、水泳の授業の様な感覚を思い出す。


 何度もメールボックスを開いては、出版社からの連絡が来ていないか確認する。仕事中も常にスマホを開きっぱなし。これ程までにスマホが気にるのは久しぶりだ。


 そうして待ちに待ちわびたメールは、その日の昼休みに届いた。その内容は、一度直接会って、物語の事について話したいとのことだった。


 一歩一歩、確実に夢に近づいている。これまでの人生が、まるでこの日の為に存在しているような感覚。子供の頃に初めて読んだ小説。小学生の頃に受賞した最優秀賞。これまでの思い出が、計らい事のように繋がっているような気がした。


 “成るべくして成る”。この言葉を最初に言った人の気持ちを、今では強く共感できる。努力という努力はしていないが、大学生の頃から継続してきた小説の執筆が、知らない内に僕の力になっていたのだと感じた。



 ――――そして出版社の人と会う日が来た。


 駅前のコーヒーチェーン店。まさか僕が、こういう店で誰かと打ち合わせをする日が来るとは思わなかった。こういった店はたまに来るが、そこで話し合うスーツ姿の人たちに憧れていた。しかしそれが今日、実現する。


「初めまして。コユウ社の田中と申します」


 僕より年下に見える若い男性が、名刺を差し出す。名刺交換のマナーは、これまでの社会人生活で培ってきているから問題はない。


 彼が注文したのは甘そうなラテ。対する僕は真っ黒なコーヒーだ。格好つけていると思われなければいいが。


「ウェブサイトで人気を集めているという事で、私共の方でも僭越せんえつながら読ませてもらいました」


 取るに足らない小話を挟んだ後、彼はその言葉から始めた。

 ―――――僕の作った世界の総評や、書籍化するには十分な内容だという事。そして色々な評価を含め、彼の会社で出版するに至ったという話。そのどれもが、僕にとっては夢のような話であり、そして、夢であって欲しくないと願った。


「ただ一つ問題なのが……」


 少しだけ動悸が早くなる。その後に続く言葉を聞くのが怖い。それでも僕とムーンが作り上げた世界だ。ムーンの言う通りに、堂々としていればいい。


「このムーンというキャラクターなんですが」


 田中さんの眉間に少しだけシワが寄る。声色も少し低くなった。それに比例して、僕の額から嫌な汗が浮かび上がる。


「このキャラクターの設定を変えることが、書籍化の条件とさせて頂きます」


 肩の力が抜ける。少し心配しすぎた様だ。設定だけならいくらでも変えられる。

 一応僕は彼に聞き返す。ムーンの何処が問題なのかと。


「いやですね、このキャラクター少し世界観とズレているんですよね。それにちょっと、キャラクターっぽくないと言いますか」


 彼の答えには納得がいった。確かにムーンは言葉使いが汚いし、少し横暴だ。でもそれがこの物語を面白くしてる筈だろ?


「ですがやはり、もう少し勇者メンバーの一員らしい言動をしないと、読者も混乱してしまうんですよね。それに加え、主人公のサンよりも目立つのが不味いです」


 でもこの物語はサンとムーンのダブル主人公だ。サンの相棒なんだから目立つのは当然。それに設定ならまだしも、ムーンを書き換えるなんて僕にはできない。だから駄目だ。これだけは譲れない。


「しかしですね。我が社としては、もう少し健全なキャラにしてもらわないと、出版の話も無しになってしまうんですよね」


 今、目の前の夢が音を立てて崩れようとしている。でも彼の要求を呑んでしまえば、今度は僕の世界が崩壊してしまう。ムーン。君などうする?


「どうされますか?」


 ――――ムーンの台詞は僕が書いた訳じゃない。彼があの世界で生き、彼自身が吹き込んだ言葉だ。ムーンが生まれてから一か月、これまでの台詞を添削することは容易だ。でもそれは、彼自身のこれまでを消してしまう事になる。そんなこと僕には出来ない。どうせ趣味で始めた物語なんだ…………。

 それでも情けないことに、僕はこの話を断れず、後でまた連絡しますとだけ返した。




「今日だろ? 他の神様と話し合う日ってのは。どうだった?」




 やるせない気持ちを宙ぶらりんにしたまま、僕は家に帰りパソコンを開いた。そしていつも通り僕の世界に入ると、ムーンが一番に口を開いた。

 心が揺らぐ。今日の事を彼に話したら怒るだろうな。一番近くで僕とこの世界を作ったんだ。許すはずがないさ。




「どうした、帰って来たんだろ? 日が昇ったから、そこにいるのは分かってるぜ」


 ここにいるよ。


「元気ないな。何か言われたか?」


 ああ。


「おいおい。なんか不味ったか?」


 いや、私達の世界は十分出来ていると褒められたよ。


「なら良かったじゃねえか! これでお前の夢が叶うな」


 私たちの夢だろ?


「まあ確かにそうだが、この世界を一から作ったのはあんたじゃねえか。俺はちょっと手伝っただけさ」


 ムーン、君は今の自分が好きかい?


「なんだよ急に」


 最初はただの通行人だったが、今では英雄の1人だ。それでも君はあの頃と変わらない。そんな自分が好きか?


「そうだな。まあ、好きか嫌いかで言われたら、好きなのかもしれねえな」


 そうか。私は君という人間が好きだ。


「なんだそれ、気色悪いな」


 君はこの世界を照らしてくれた。ずっと木陰に隠れていたこの世界に、君が日の目を見せてくれたんだ。


「言いたいことがあるならはっきり言えよ。そんなんじゃあ、いつまで経っても伝わんねえぞ」


 深い意味はない。君がこの世界に居場所をくれたのだ。私は返しきれない程の恩をもらったよ。


「そうか。まあ、それは俺も同じだ」


 というと?


「あんたがこの世界を作り続けていたから、俺はこの世界に生まれることが出来たんだ。そして色々経験させてくれた」


 楽しかったかい? 


「当たり前だろ! 俺たちが出会ったのがつい昨日の事みてえだ」


 それなら良かった。私も、この一か月間、本当に楽しかった。


「何だよ。まるで今日で最後みてえな言い方じゃねえか。まだ世界大戦が始まってすらいねえぞ?」


 確かにそうだ。ノル姫も助け、後は西側へ連れて行くだけだが、その道中でも何かイベントが欲しいな。


「そうだな。それじゃあ龍血の女が、龍人族を引き連れて追ってくるってのはどうだ?」


 あの速力だ。一瞬で追い付かれるのではないか?


「そうかあ。確かにあのスピードではな……」


 それならここで助け船だ。サン達に恩のある周辺の国々が、西側へ行く手助けをしてくれるってのはどうだろう?


「熱いじゃねえか。それで行こう」


 そうと決まれば、次は西の帝国にたどり着いた後の話だが…………。




 僕たちは夜が更けるまで話し合った。真っ白な広告裏に絵を描くかのように、緻密で、それでいて盛大な世界を作るために。


 しかし添削は大変だ。誤字を探したり、矛盾が起きていないか何度も読み返したり、余計な文章を削ったりと、本文を書くよりも時間がかかる。


 ――――それでも、ムーンと私の会話を、サンとの会話に置き換える作業だけは楽しい。まるで僕がこの世界に存在して、ムーンと一緒に冒険をしているような感覚になるからだ。


 そして僕は物語を最初から読み返す。ムーンと出会った3章の序盤から。あの日の、あの全身が身震いするほどの高揚感を思い出しながら。


 書籍化の条件はムーンのキャラ設定を変える事。しかし彼には設定などない。彼はこの物語の中で本当に生きている。それに彼の言葉は、彼の許可がないと消すことが出来ない。だからこそ、この世界は生きている。


 あの時は、どうしても消せない台詞に本当に驚いた。いつ書いたかも分からない、僕の嫌いなしゃべり方。今思えば、何でムーンの様なキャラが僕の世界に生まれたのだろう? 一番僕の中にいないはずの人物像なのに。


 ふと彼の台詞にカーソルを合わせる。あの時の衝撃をもう一度味わいたい。誰かにハッキングされているかのような不気味さと、非現実的なあの高揚感を…………。

 そんな軽はずみでバックスペースを押す。ところが文末の一文字が消えた。

 ――――何故? 彼には何も話していないはずなのに。


 なぜ文字を消せるのか考えても分からなかった。添削することを彼が許可しないと不可能なはずなのに、それが今では出来てしまう。

 いや、もしかしたら彼はずっと、自分の言葉を消すことを、僕に書き換えられることを許していたのか? でも何のために? 


 ――――そのとき僕は思い出す。「自分の世界を作れ」という彼の言葉を。


 バックスペースで消せてしまう彼の言葉が、まるで僕にそう言い聞かせてくる。“自分の好きな世界を作れば、その世界を好きになってくれる人は必ずいる”。彼が僕に教えてくれたのは、簡単そうで気付くことのできない、人としての在るべき姿なのかもしれない。


 だとするのであれば、今僕がしている行為は、自分を殺している事と全く同じだ。僕が“月"で彼が“太陽”だと思っていたが、それは違う。だからと言って、いい例えも見つからない。


 僕は消してしまった一文字を戻し、上書き保存をしてパソコンを閉じた。




 ――――今日も何事もなく1日を終え、白鉄の龍に乗って帰宅する。隣の中年男性が持つ鞄が何度も足を突くので、僕も自分の鞄を使ってそれを防ぐ。


 たまにだが、仕事終わりにはスポーツジムで汗を流し、天気のいい週末は公園で散歩をする。ボルダリングは挑戦してみたが、次の日の筋肉痛が尋常じゃなく、風邪を引いたように体が重くなるので、もう少し体力を付けたら通おうと思っている。


 相変わらず女気はないが、少し気になる人は出来た。声をかけるには、万里の長城の如くハードルが高いが、いずれはその上を自由に歩けるようになっているはずだ。


 将来は結婚したい。新卒で採用された会社に勤めて12年、家に帰れば趣味三昧。毎日が充実しているから良しとしよう。


 1人暮らしのアパートはなかなか快適である。それでも、たまには実家に帰らないとな。飼い犬にも会いたいし、母親の料理も恋しくなってきた。


 いかんいかん。邪念が産まれる前に世界に入ろう。




「――――お、帰って来たか」


 ただいま。それじゃあ、今日も続きを作っていこう。


「そろそろ大詰めだな」


 ああ。世界大戦も終結。遂に東と西で手を組んで、悪しき龍人族との全面戦争だ。


「よっしゃあ! 暴れまくってやるぜ」

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小説執筆してたらモブに命が宿った 麻賀陽和 @houjou

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