第3話 決戦! 龍血の少女ソウ!


 突然開く扉と、その場違いな腑抜けた声。花畑を踏み荒らすかのように訪れた混乱に、殆んどの者が付いていけなかった。


「――――何者だ!」


 取り乱す大臣、その贅肉を揺らし、脂汗をまき散らす。


「だから宅配ですって。パーティやるからピッツァ注文したんでしょ?」


 緑と黒の風変わりな服を着た“ムーン”。その手には薄く平らな箱。


「ぴ、ピザ?」


 溢れんばかりの激情も、温度差の激しいムーンの姿によって馬鹿馬鹿しく感じ始める。というよりも、運動会をやっている最中に、1人裸で日光浴をしている様な男に、その場の空気が支配されていた。


「Pizzaだって、言ってんだろうがッ!」


 手に持った箱を、フリスビーを投げる要領で大臣の顔面にヒットさせる。気の抜けるような声が大臣の喉から漏れ、ムーンが曲者だとその場の全員に知らしめる。


「――――曲者だぁ!」


 取り乱す黒フード達。そして先ほどの凸凹の2人がその装束を脱ぎ捨て、その中から姿を現したのは、エドとソニアだった。


「ふむ。やはり某にはちと狭いかの」

「は、離せ下郎がッ」


 子どもをあやすかの様に司祭を片手で抑えるエドは、低い天井に頭を打ちそうになり、弱音を吐いていた。


「何言ってるのよ。確かに狭い部屋だけど、アンタが大きすぎるんでしょう?」


 ソニアは少女の傷を癒し、手足を縛るその拘束具を魔法で打ち砕く。


 九死に一生を得る。死の一歩手前で訪れた眩い光が、少女の心を大きく揺るがす。そんな少女の洪水の様にあふれ出る感情を、ソニアは胸で優しく受け止めた。

 だが、その束の間の安息に、忍び寄る影。


「――――邪魔はさせぬ!」


 狼狽えるフード集団の中から飛び出す一瞬の閃光。ソニアとノルに向けられた凶刃は、その喉元にまで迫る。しかしそれを止めたのはムーンの大剣。


「……先ずは邪魔なお前から始末してくれようぞ」

「おっとお嬢さん。その綺麗な顔を傷つけたくはない。退いてくれ」


 そう言ってムーンが向けたのは剣先ではなく、美しく咲き誇る一輪の薔薇だった。手品のように手元から現れたその花に、女の感情が起伏する。


「舐めるなよ。知れ者が」

 ――――消失。そう思った次の瞬間、彼女の剣がムーンの背中から迫る。


「血剣!」

「はやッ!」


 血を纏った剣は、そのリーチを大きく伸ばし、大きなアドバンテージを作った。

 すんでの所で刃を受け止めるムーン。しかし女の攻撃はまだまだ続く。


「血槍」

 血によって槍の様に伸びた刀を、ムーンの喉元に目掛け放つ。


「ひえー。こんなサウナみてえに狭い部屋で、よく動けるな」


 大剣は不利だと悟ったムーンは、あっさりと自らの代名詞でもあるそれを放り投げた。すると大鐘を突いたかのような轟音が、部屋の中を激しく飛び交う。


「大剣を捨てたから何だというのだ。丸腰のお前に、容易く止められる刃ではないぞ!」


 ムーンを翻弄するかのように、目にも留まらぬ速さで駆ける龍血。

 そこで彼は目をつむる。“目に見えぬのなら、音を聞こう”彼の閉じた瞳に、龍血は言いようもない気配を感じ取る。


「――――――――ッ!」


 床に足が着く瞬間。そのタイミングを僅かな秒数で把握し、ムーンは女のゲシュタルトを捉える。


「見切られた!?」

「悪いな! お前の武器は貰うぜ」


 彼の手には剣。龍血は己の剣が奪われたことを、ここで初めて気づく。


「日本刀か? これ」


 物珍しそうに奪った刀を眺めるムーン。しかし武器を奪ったことで、彼女の底知れぬ力が今、解放されようとしている事実を彼はまだ知らない。


「……返せ」

「ああ? 聞こえねえなあ!」


 耳に手を当て、とても勇者一行の1人とは思えないような煽りを披露するムーン。


「返せと言っているッ!」

「悪いなッ、お前の武器ねえから!」


 その言葉が、これまで力の洪水をせき止めていた栓を引き抜いた。


「――――殺す」


 彼女の瞳が赤く光り出す。腰からは尾が生え、耳のヒレも伸び、両手の爪がムーンを殺そうと、音を立ててその厚みを増させる。


「おいおい。まるで龍だな」


 人間の原型を保っているが、その姿から連想できるのは、正しく龍そのもだ。


「ムーン、そ奴は竜人族だ! このままでは周りにも危害が及ぶ。一旦退くぞ!」


 初めて見るエドの表情に、自然とムーンにも緊張感が生まれた。しかし。


「退くだと!? んな情けねえ真似できるか!」

「あんたが怒らせたからこうなったんでしょ、さっさとサンのとこまで行くわよ!」


 少女をエドに担がせ、ソニアは一刻も早くこの場を離れたそうに叫んだ。しかしその悲痛な願いは、ムーンによって悉く打ち砕かれることになった。


「いや、ここは俺が時間を稼ぐ。お前らはさっさと行け!」

「はあ!? なに恰好つけてんのよッ。一人で倒せるような相手じゃないわ!」

「うるせえ。まだピザの代金貰ってねえんだよ」


 呆れるソニア。それでも連れて行こうと説得する彼女の肩に、エドが手を置き首を横に振った。何を言っても聞かない性格なのは、2人が一番よく分かっていた。


「勝手にしなさい!」

 先に部屋を出るソニア。


「小僧。上で待っとるぞ」

 彼女に続いて部屋を飛び出すエドが、去り際にそう言った。


「分かってるって」


 振り向くことはせず、その視線を龍血に向けたまま彼は返事をする。


「しかし美人っていうのは、どこまで行っても美人なんだな」


 糸の様に細い瞳孔。雪の様に白い肌に、赤く染まった大爪。どこか神々しさを感じさせるその姿に、ムーンは呆気にとられる。


「お前の仲間は、別にお前を殺してからでも追い付ける」

「何だって? 何か言ったか?」

 ――――挑発とも捉えられる言葉だが、それを言い終える頃には、彼女の爪が心臓を貫こうと胸の前に迫っていた。


「ッく!」


 肋骨を少し砕いたところで、その爪はムーンによって妨げられる。


「さっきと比べ物にならねえじゃねえかッ」


 龍血から距離を置き、ムーンは呼吸を整え、顔に浮いた汗を拭う。しかしどれだけ拭いても吹き出す大粒。狩られるという恐怖を、遺伝子を通じて思い出す。


「龍血槍」


 手首の動脈から溢れ出る血液。燃えるように赤いその血は、空中で槍の形を作り上げると、ムーン目掛けて弾丸の如く速さで飛翔する。


「クソ! クソ! クソ!」


 休むことなく飛んでくる血液の槍。息も絶え絶えに躱し続けるムーンだが、ここで一本の槍が彼の腕を貫く。


 痛みによる抑えられない叫び。その声は廊下を渡り、エドやソニアの耳に飛び込んだ。


「――――今のはムーンの声!?」


 駆け足を止めて振り返るソニア。しかしエドは少女を担いだまま走り続ける。


「止まるな! 今は一刻も早くこの少女を助け、サンを小僧の元へと向かわせるのだ」


 その言葉に歯を食いしばるソニア。何もできない焦燥感が、2人の脳内で嫌な記憶を掘り起こす。


「――――2度も死んでたまるかよ!」


 左手に傷を負ったムーンだが、それでも怯むことなく、残った右腕で刀を振る。しかしそんな刃で討てるほど、龍血は生易しいものではなかった。


「龍 炎」


 ロウソクを消すかのように息を吹き出す龍血。しかし、その吐息は熱を持ち、果てには焔をも纏った。


 一切の隙間なく部屋を満たす橙色の熱炎。熱に耐性のある龍人族にとっては、生湯に浸かっているような心地だが、人間であるムーンにとっては、地獄の業火に焼かれるような激しい火傷である。


 溶解する鎧。焼けただれる肌。焦げたタンパク質の匂い。この世の苦しみを凝縮したかのような痛みに、ムーンは声すらも上げられなかった。


「……所詮は人間。龍の息吹には到底敵わぬ」


 足元に転がるムーンを見下ろしながら、龍血の女は元の姿へと戻ってゆく。装束は焼け、鎧は熱によってドロドロに形を崩している。それでも、彼女の身体は健全そのものだ。


「さて、残るは3人」


 エドやソニアの後を追うように、龍血が一歩踏み出したその時、彼女の歩みをムーンの手が止めた。


「死に損ないか。憐れだな人間」


 無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。




 ――――さて、ここからどうしよう。


「おい! 良いところで止めるんじゃねえ」


 いや、ここからどういう展開にしようかと思ってだな。


「はあ? ここまで盛り上げといて何言ってるんだよ」


 サンや他の仲間が助けに来てくれるのは定石だが、それだと在り来たりなのだ。それに、龍血の少女はムーンのライバル的ポジションにしたいと考えている。


「なーるほどなあ。そういうイメージを持たせたいから、仲間の救援を避けたいって事か」


 そういう事だ。だから、ここから考えれられることは…………。




 ――――その一。


「死に損ないか。憐れだな人間」


 無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。


「おい、どこを見ている!」


 空を切る刃を止め、その声の方へ振り向くと、すると全くの無傷であるムーンの姿が目に入った。


「なぜ生きている!」


 龍血は額に汗を浮かべながら問う。


「ふっふっふ。そいつぁは俺の双子の弟だッ」


「あ、兄者ぁ」




「――――ストップ!」


 やっぱり? 


「駄目に決まってんだろ。なんだ双子の弟って!」


 実は今まで物語で活躍していたムーンは双子であって、サン達が知らない所でスイッチしてたのだ。だから無尽蔵な体力っていう設定が伏線になっているのだ。


「まてまてまて、それでもだろ。第四章にして弟の登場じゃあ、いくら何でも遅すぎる。映画じゃあるまいしよ」


 面白いと思ったのだがな。


「それに弟の扱いが可哀想すぎるだろ。兄者ぁって言っちゃってるし」


 ふむ。やはり無理があるか。それならこうしよう。




 ――――その二。


「死に損ないか。憐れだな人間」


 無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。

 しかし彼女の刃がムーンの心臓を貫こうと、勢いを増したその時!


 ――――ガキンッ。


 その刀は心の臓に達することなく、半ば途中で小枝の様にへし折れてしまったのだ。折れた刀と、ムーンを交互に見る龍血。何が起きているのかまるで分かっていない様子だ。


「ふふふ、悪いな。俺の身体はなあ、サンの魔術で超合金になっているんだよ」


「何だと!?」


「悪いが、お前は一生、俺には敵わねえよ」




「――――いやいや。ダサすぎるだろ」


 そうかい? 体を鉄の様に硬くする魔法ならドラクエにもあるだろ。


「だからだよ。お前あの魔法を1度でもカッコいいと思った事あるか?」


 …………ないな。


「だろ? 体も動かなくなるし、特にメリットのない魔法なのに、どうしてここで採用するんだよ」


 面白いかなって思って。


「ゲームの開発者もそういう考えで採用したんだろうな」


 しかし、体を超合金にしたら結構使い道あると思うのだが。


「例えば?」


 空高く飛びあがった君を、サンが魔法で超合金にして落とす。下にいる敵はミンチだよ。


「インパクトはあるが絵面がマズいだろ。どこの異世界に、仲間を鉄にして敵を肉塊にする勇者がいるんだよ」


 言われてみれば確かにそうだな。


「だろ? だから不採用だ。次だ次」




 ――――その三。


「死に損ないか。憐れだな人間」


 無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。


「っう!」


 彼女が付き立てた刃は、そのままムーンの息の根を止めてしまった。たった一瞬の痛み。その一瞬が、地獄の様に続いた彼の苦しみを終わらせたのだ。


「あとは私に任せるがよい」


 龍血は彼の亡骸に誓った。そう。彼女もまた、このサウ・アメノを龍から救ってくれたサンに、計り知れない恩を感じていたのだ。

 これまでの全てが演技。彼女の行動の一つ一つが、サンへと繋がる道だったのだ。


 ――――その3年後。


「これで、終わりか……」


 この世界に蔓延る全ての龍を討ち、世界には平和が訪れようとしていた。


「長かったな。ここまでの道のりは」


 サンの横で、エドが空を見上げながらつぶやく。龍のいない平和で自由なその空を眺めながら。


「ああ。お前らがいなかったら俺はここまで来られなかったよ」


 サンは仲間一人一人に目を向ける。


「ありがとうな。エド、ソニア、ソウ!」

「ワールド様の為に尽力したまでです」


 龍血の少女ソウは、まんざらでもない様子でその頬を赤らめた。


「でも、ムーンがいないのは寂しいわね」


 今は亡きムーンを想ってか、ソニアは目元に涙を浮かべ、天を仰ぐ。


「そうだな。あの日ムーンを失ったことを、俺は仕方ないと受け止めていたが」


 首にかけたネックレスを握りしめ、サンは続ける。


「それでも、アイツを失ったことは……。やっぱつれぇわ」

「そりゃつれえでしょ」


 ありがとうムーン。さようならムーン。また会う日まで。




「――――死んでんじゃねえかッ」


 実はまだ生きている。この後、主人公のピンチに駆けつけるのだ。


「もういいって、その展開は。何で二回も“生きてましたサプライズ"しないといけないんだよ」


 何回やっても盛り上がりそうだろ? 「流石に死んだか?」と思わせておきながら、転生や蘇生を繰り返すのだ。


「倫理観が崩壊してんな。っていうか、コイツらは何で俺の仇と仲良く旅してるわけ?」


 そこは追々と考えるつもりだが、そうだな、今考えられると理由としては。実はムーンは転生したが、それはムーンではなく、かつての敵であったオダ・ロウだった。という感じだろうか。


「なるほどな。ちょっと納得出来ちまう理由があるのが腹立つな」


 気に入らないかい?


「そうだな。台詞も受け売りだしよ」


 そこは気にしてはいけない。名言というのは、人から人へ伝わるから名言なのだ。


「はいはい。…………ところで俺も一つ提案があるんだが、聞いてくれるか?」


 もちろんだ。


「俺は龍血に刺されて一回死ぬが、死の世界で昔の強敵オダ・ロウに会うんだ」


 まさかオダ・ロウがここに来て、再び活躍しだすとは思わなかった。でも面白そうだ。続きを聞かせて欲しい。


「そして冥界でオダ・ロウと再会した俺は、なんやかんやで彼の能力を受け継ぐ。そこから怒涛の第二ラウンド開始だ!」


 成程。なかなか面白そうだ。じゃあついでに、ムーンは倒した相手の能力を引き継ぐっていう能力を付け加えよう。


「いいじゃねえか! 俺がどんどん強くなっていくぜ」 


 よし。それじゃあ、続きを書いていこうと思う。




 ――――無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。


「っう!」


 彼女が付き立てた刃は、そのままムーンの息の根を止めてしまった。たった一瞬の痛み。その一瞬が、彼を更なる深みへと誘ってゆく。


「ここは……」


 目を覚ますムーン。しかし何もない真っ白な空間。どこが上で、どこが下なのかも分からない無の世界。その恐らく中心部であろう場所で、ムーンは一人ぷかぷかと空を漂っている。


「俺は、確か」

「目覚めたか? 我が宿敵」


 ――――懐かしい声。脳の髄から溢れ出る記憶。それらはレモンの様に酸い思い出だが、今のムーンにとっては、親友に久しく会うような甘酸っぱい感覚だ。


「オダ。お前、生きていたのか?」


 龍血に止めを刺され意識が途切れたはずなのに、今では真昼間のように鮮明としている。そしてその意識は、いま目の前に立つ、かつての宿敵オダ・ロウによって確実なものとなった。


「何を抜かしておる。儂はお主に負け、ここにおるのだ」

「そうだったな」


 ムーンは再び周りを見回し、この面妖な場所について問う。


「オダ、ここはどこなんだ?」


 オダは頭の後ろで手を組むと、無重力空間を伸び伸びと行き交う。特別不自由はしていない様子だ。


「ここは所謂、精神世界だ。あの世と現世の狭間。刑務所の面会室の様なものだ」

「なるほどな。てこたあ、俺は死んだのか」


 最後の記憶、命が消える瞬間の感覚。それらが彼に死を実感させる。


「……お主、まだ生きたいと願うか?」

「何言ってんだてめえ。当り前じゃねえか」


 茶化しているようにしか聞こえないオダの発言に、ムーンの眉間にはシワが集まってゆく。


「そう波風を立てるな」

「お前なあ、相打ちとはいえ一回目はお前に殺されてんだぞ? 気を付けて物を言え」


 オダは笑う。決してムーンの苛立った様子が面白いからではない。


「相変わらず、人の話を聞かん奴だな」

「ああ?」


 座布団の上で胡坐をかいているかの様な姿勢で、ふわふわと漂うオダ。そして人を馬鹿にしたように笑い、涙を浮かべる。


「何も分かっておらぬのだな」

「いい加減分かるように言え。こちとら、死んでまでお前の面ぁ見たかねえんだよ」


 ムーンが言い終えると同時に笑い終えるオダ。一つ大きく息を吐き、涙を拭う、そして話を切り出す合図を咳払いで示す。


「お主、自分の中に、儂の能力が混じっている事に気付いておらぬな?」

「儂の能力だあ?」


「それだけではない。お主がこれまで倒してきた者、その全員の力を、お主はまだ理解しておらぬ」


 人差し指を立てながらオダは教鞭をとる。


「お主の能力。それは自らの御敵を、自らの御心に宿す。名を付けるなら

“カイライ”そんな所かのお」


「カイライ? そんなもの感じたことないが」


 自分の胸に手を当て、オダの言う力に意識を集中させるも、影どころか気配すら感じない。


「鈍感なんだな、やはりお主は」

「うるせー。デタラメこいてると、面会終了させるぞ」


 大きなため息。まるで三歳の子供に言い聞かせるかのようで骨が折れる。と、オダは思った。


「それお前が思ってるだろ?」


 ここでオダが咳払い。話に集中しないムーンに、彼は嫌気を感じ始めている。


「致し方ない。お主の中にいる某が、少々暴れてやるとするかのお」

「暴れるだ?」

「左様。さすれば、お主もカイライを理解するはずだ」


 オダの話が終わると唐突に眠気が襲ってきた。ムーンも寝まいと必死に抗うが、まるで誰かに押さえつけられているかのように、脳が真っ白になり意識が途切れた。




 ――――龍血は足元に転がる焼死体を見下ろす。

 真っ赤に焼けただれた亡骸は突如、自身の足元を掴んだ。しかしその様子を見るに、最早呼吸すらも絶え、動くことも困難だ。


「気のせいか?」


 生気なく絡みつく手を足で退ける。その死体はまだ炎を纏っているが、苦しんでいる様子も無ければ、呼吸による体の微動も無い、ただの薪と化した燃料だ。


 人間に向けるものではない眼で、龍血はその死体を横目に部屋を出ようとする。それでも、先ほどから絶え間なく感じる異様な空気に、彼女は警戒を解けずにいた。


(あの人間の生気は最早感じぬ。ならばこれは一体なんだ?)


 彼女に纏わりつく異常な気配。しかしその正体は、次の瞬間で露わとなる。


「我が主に……捧げる………我……祝詞」


 今にも途切れそうな声。それは、死体だと思っていたはずの男の口から発せられていた。


「……聞し召せと…………。畏み……」


 それが何かしらの呪文の詠唱であると分かった時、彼女は真に止めを刺そうと駆け出す。


「我が肉体に、最大の祝福を与えん」


 光に包まれる身体。龍血の放つ突きは、その眩さによって止めざるを得ず、さらに行うべきは最大限の警戒。彼女の身体は既に臨戦態勢をとっていた。


「最高位回復呪文!?」

「祝詞だ。神道、我が祖国に伝わる秘伝の術」


 ムーンとは異なる気配を放つ男。姿形はムーンそのものだが、喋り方や仕草で、それが別人だということは瞭然だった。


「貴様、何者だ」

「手前は、名をオダ・ロウ。東の小国、サムライの一人。して、お主は?」


 いかにも育ちが悪そうなムーンとは違い、その凛とした佇まいから、彼女はオダが只者ではないと悟る。


「……龍血、ソウ・ヨウ」

「ふむ。我が祖国のさらに東の大陸の生まれか?」

「今は関係なかろう」


 穏やかなオダとは違い、今にも殺らんと構える龍血の少女ソウ。その姿を見て、オダは笑う。


「全く、何奴も此奴も人の話を聞かぬ」


 彼はひとしきり笑うと、呆れた様なため息を吐いた。


「時間がないので」

「最近は、何をするにも速さを求める風潮があるが、全くもって分かっておらぬ」


 溶解し切った鎧を脱ぎ捨て、ずたぼろの布切れを腰に巻きつける。そうして上裸になったオダは、身軽そうに肩を回す。


「もっと耳や目を鍛えねば……」

「――――血剣!」


 龍血はオダの言葉を待たず飛び出す。只ならぬ気配に底上げされた、恐らく最大速力での突き。だがしかし……。


「雅な世に失礼だとは思わんか」


 彼女の腕を掴む左手。引き抜こうとするも、しかし抜けない。


「話を聞けと――――」

 ソウの腕を捻り、足元を払う。

「言っとるだろうが」


 何が起きたか分からず混乱する龍血は、すぐさま距離を置き、再び“龍の姿"へと移行する。


「ほおう、これまた面妖な。汝、龍人族か?」


 力に関してはムーンとは互角。しかし経験で言えば圧倒的格上。彼女は口を開く余裕すらも生み出せずにいた。


「龍血泉!」


 血が床に染み込み、オダの足元で剣山の様に炸裂する。

 しかし広範囲に展開されたそれさえも、オダは簡単に避けてしまった。


「愉快な術だな。しかし火力はないか」

「舐めるな!」


 真っ赤に染まった瞳、その目尻から赤い紋様が浮き始め、頭からは真っ白な角が筍のように生える。


「龍脚」


 足が音を立てて変形し始め、馬脚の様な形を成すと、烏の爪の様な足が地面にのめり込む。


 瞬きほどの一瞬。あるいはそれ以下の秒数。龍血は姿を消し、オダの認知が及ばない速度で、その顔面に蹴りを放った。


「小娘が、やりおるわい」


 それでも彼は倒れず、口の中で砕けた歯を血反吐と共に吐き出す。


「何故倒れぬ!」

「言ったであろう。速さとは何の意味もなさぬと」


 空気の漏れる音。長く、そして亀ほど鈍い呼吸。それは自転車のタイヤから漏れるように一定の速度を保っている。


「酸素とは、体内に巡らすもの。呼吸とは、心臓を強くするもの」


 息を吐き尽くし腰を落とす。だがその手は何かを探しているように落ち着かない。

「刀、差してないんだった」

 ――――抜刀。腰に得物は差しておらずとも、その動作は居合、そして払い切りそのものだ。


 流星の如く放たれた手刀は、龍血の指、角、尾を落とす。同時に悲痛な叫び声。そしてオダが声を高らかにして嗤う。


「よいッ、よい鳴き声だッ! 感謝するぞ龍よ、久しく味わう! ははははッ!」


 先程のたたずまいとは違い、ゲラゲラと下品に笑うオダ。しかし龍血も、いつまでも音を上げている訳ではない。


「り、龍焔・龍尾」


 蛇の如く口を開いた尻尾の切断面、その先で炎が渦を巻いて圧縮される。


「ふむ。芸の多い奴よ」


 熱線。それは笛のように細く、甲高い音をあげながら、ありとあらゆる物体を溶断する。その猛烈な進撃に、オダも警戒せざるを得なかった。


「コレは少しマズいかのお」

「逃がしはせぬ!」


 鞭のように波打つ尾。オダもこれには手も足も出ず、躱すだけで精一杯である。

 ――――しかし、その熱線は徐々に火力を失ってゆき、遂にはあんぐりと口を開けた尻尾だけが虚しくなびく。


「これだけの大技。反動も大きかろうに」


 その言葉通り、龍血は膝をつき、その口からは大量のよだれが零れる。


「体内の熱を逃がす方法が、少し残念じゃのお。美人が台無しだ」

「…………くそ」


 龍血はそのまま意識を失い、手で支える事もなく上半身を地面に叩きつけた。

 大きく呼吸を一つ。浅くお辞儀をすると、オダは暑そうに手で顔を扇ぐ。


「どうだ? これが儂の能力“ヤオキ”だ。賢く使えよ」


 それだけ言葉を言い残し、オダも同じく足元から崩れ倒れる。そして数秒後、今度はムーンが目を覚ました。


「知ってるよ。どんな攻撃も半分のダメージ量に抑える極悪スキルだ。俺が一番よく知ってる」


 気を失った龍血を見下ろしながら、ムーンは口内炎を気にするかのような表情でつぶやく。


「わりいな。今回はズルしちまった」


 そして今度は胸に手を当てる。


「オダ、これで本当のお別れだな。お前の能力、大事に使わせてもらうよ」


 こうして、ムーンと龍血ソウとの激闘は、意外な形で幕を降ろすこととなった。




「――――いいじゃねえか! 最高にイカシた戦いだったぜ!」


 そうかい?


「ああ。まさかここで、昔戦った強敵が出てくるとは思うまい!」


 オダは気にっているキャラクターだから、最後にもう一度だけ出そうと思っていたのだ。


「なるほどなあ。まさにアンタ好みの展開だったわけだ」


 そういうことだ。


「さて、それじゃあここからどうするか、また話し合うとするか」




 ――――この時、僕のパソコンに一通のメールが届いた。


 その内容は、僕の執筆した物語を書籍化したいという出版社からの連絡だった。


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