第3話 決戦! 龍血の少女ソウ!
突然開く扉と、その場違いな腑抜けた声。花畑を踏み荒らすかのように訪れた混乱に、殆んどの者が付いていけなかった。
「――――何者だ!」
取り乱す大臣、その贅肉を揺らし、脂汗をまき散らす。
「だから宅配ですって。パーティやるからピッツァ注文したんでしょ?」
緑と黒の風変わりな服を着た“ムーン”。その手には薄く平らな箱。
「ぴ、ピザ?」
溢れんばかりの激情も、温度差の激しいムーンの姿によって馬鹿馬鹿しく感じ始める。というよりも、運動会をやっている最中に、1人裸で日光浴をしている様な男に、その場の空気が支配されていた。
「Pizzaだって、言ってんだろうがッ!」
手に持った箱を、フリスビーを投げる要領で大臣の顔面にヒットさせる。気の抜けるような声が大臣の喉から漏れ、ムーンが曲者だとその場の全員に知らしめる。
「――――曲者だぁ!」
取り乱す黒フード達。そして先ほどの凸凹の2人がその装束を脱ぎ捨て、その中から姿を現したのは、エドとソニアだった。
「ふむ。やはり某にはちと狭いかの」
「は、離せ下郎がッ」
子どもをあやすかの様に司祭を片手で抑えるエドは、低い天井に頭を打ちそうになり、弱音を吐いていた。
「何言ってるのよ。確かに狭い部屋だけど、アンタが大きすぎるんでしょう?」
ソニアは少女の傷を癒し、手足を縛るその拘束具を魔法で打ち砕く。
九死に一生を得る。死の一歩手前で訪れた眩い光が、少女の心を大きく揺るがす。そんな少女の洪水の様にあふれ出る感情を、ソニアは胸で優しく受け止めた。
だが、その束の間の安息に、忍び寄る影。
「――――邪魔はさせぬ!」
狼狽えるフード集団の中から飛び出す一瞬の閃光。ソニアとノルに向けられた凶刃は、その喉元にまで迫る。しかしそれを止めたのはムーンの大剣。
「……先ずは邪魔なお前から始末してくれようぞ」
「おっとお嬢さん。その綺麗な顔を傷つけたくはない。退いてくれ」
そう言ってムーンが向けたのは剣先ではなく、美しく咲き誇る一輪の薔薇だった。手品のように手元から現れたその花に、女の感情が起伏する。
「舐めるなよ。知れ者が」
――――消失。そう思った次の瞬間、彼女の剣がムーンの背中から迫る。
「血剣!」
「はやッ!」
血を纏った剣は、そのリーチを大きく伸ばし、大きなアドバンテージを作った。
すんでの所で刃を受け止めるムーン。しかし女の攻撃はまだまだ続く。
「血槍」
血によって槍の様に伸びた刀を、ムーンの喉元に目掛け放つ。
「ひえー。こんなサウナみてえに狭い部屋で、よく動けるな」
大剣は不利だと悟ったムーンは、あっさりと自らの代名詞でもあるそれを放り投げた。すると大鐘を突いたかのような轟音が、部屋の中を激しく飛び交う。
「大剣を捨てたから何だというのだ。丸腰のお前に、容易く止められる刃ではないぞ!」
ムーンを翻弄するかのように、目にも留まらぬ速さで駆ける龍血。
そこで彼は目をつむる。“目に見えぬのなら、音を聞こう”彼の閉じた瞳に、龍血は言いようもない気配を感じ取る。
「――――――――ッ!」
床に足が着く瞬間。そのタイミングを僅かな秒数で把握し、ムーンは女のゲシュタルトを捉える。
「見切られた!?」
「悪いな! お前の武器は貰うぜ」
彼の手には剣。龍血は己の剣が奪われたことを、ここで初めて気づく。
「日本刀か? これ」
物珍しそうに奪った刀を眺めるムーン。しかし武器を奪ったことで、彼女の底知れぬ力が今、解放されようとしている事実を彼はまだ知らない。
「……返せ」
「ああ? 聞こえねえなあ!」
耳に手を当て、とても勇者一行の1人とは思えないような煽りを披露するムーン。
「返せと言っているッ!」
「悪いなッ、お前の武器ねえから!」
その言葉が、これまで力の洪水をせき止めていた栓を引き抜いた。
「――――殺す」
彼女の瞳が赤く光り出す。腰からは尾が生え、耳のヒレも伸び、両手の爪がムーンを殺そうと、音を立ててその厚みを増させる。
「おいおい。まるで龍だな」
人間の原型を保っているが、その姿から連想できるのは、正しく龍そのもだ。
「ムーン、そ奴は竜人族だ! このままでは周りにも危害が及ぶ。一旦退くぞ!」
初めて見るエドの表情に、自然とムーンにも緊張感が生まれた。しかし。
「退くだと!? んな情けねえ真似できるか!」
「あんたが怒らせたからこうなったんでしょ、さっさとサンのとこまで行くわよ!」
少女をエドに担がせ、ソニアは一刻も早くこの場を離れたそうに叫んだ。しかしその悲痛な願いは、ムーンによって悉く打ち砕かれることになった。
「いや、ここは俺が時間を稼ぐ。お前らはさっさと行け!」
「はあ!? なに恰好つけてんのよッ。一人で倒せるような相手じゃないわ!」
「うるせえ。まだピザの代金貰ってねえんだよ」
呆れるソニア。それでも連れて行こうと説得する彼女の肩に、エドが手を置き首を横に振った。何を言っても聞かない性格なのは、2人が一番よく分かっていた。
「勝手にしなさい!」
先に部屋を出るソニア。
「小僧。上で待っとるぞ」
彼女に続いて部屋を飛び出すエドが、去り際にそう言った。
「分かってるって」
振り向くことはせず、その視線を龍血に向けたまま彼は返事をする。
「しかし美人っていうのは、どこまで行っても美人なんだな」
糸の様に細い瞳孔。雪の様に白い肌に、赤く染まった大爪。どこか神々しさを感じさせるその姿に、ムーンは呆気にとられる。
「お前の仲間は、別にお前を殺してからでも追い付ける」
「何だって? 何か言ったか?」
――――挑発とも捉えられる言葉だが、それを言い終える頃には、彼女の爪が心臓を貫こうと胸の前に迫っていた。
「ッく!」
肋骨を少し砕いたところで、その爪はムーンによって妨げられる。
「さっきと比べ物にならねえじゃねえかッ」
龍血から距離を置き、ムーンは呼吸を整え、顔に浮いた汗を拭う。しかしどれだけ拭いても吹き出す大粒。狩られるという恐怖を、遺伝子を通じて思い出す。
「龍血槍」
手首の動脈から溢れ出る血液。燃えるように赤いその血は、空中で槍の形を作り上げると、ムーン目掛けて弾丸の如く速さで飛翔する。
「クソ! クソ! クソ!」
休むことなく飛んでくる血液の槍。息も絶え絶えに躱し続けるムーンだが、ここで一本の槍が彼の腕を貫く。
痛みによる抑えられない叫び。その声は廊下を渡り、エドやソニアの耳に飛び込んだ。
「――――今のはムーンの声!?」
駆け足を止めて振り返るソニア。しかしエドは少女を担いだまま走り続ける。
「止まるな! 今は一刻も早くこの少女を助け、サンを小僧の元へと向かわせるのだ」
その言葉に歯を食いしばるソニア。何もできない焦燥感が、2人の脳内で嫌な記憶を掘り起こす。
「――――2度も死んでたまるかよ!」
左手に傷を負ったムーンだが、それでも怯むことなく、残った右腕で刀を振る。しかしそんな刃で討てるほど、龍血は生易しいものではなかった。
「龍 炎」
ロウソクを消すかのように息を吹き出す龍血。しかし、その吐息は熱を持ち、果てには焔をも纏った。
一切の隙間なく部屋を満たす橙色の熱炎。熱に耐性のある龍人族にとっては、生湯に浸かっているような心地だが、人間であるムーンにとっては、地獄の業火に焼かれるような激しい火傷である。
溶解する鎧。焼けただれる肌。焦げたタンパク質の匂い。この世の苦しみを凝縮したかのような痛みに、ムーンは声すらも上げられなかった。
「……所詮は人間。龍の息吹には到底敵わぬ」
足元に転がるムーンを見下ろしながら、龍血の女は元の姿へと戻ってゆく。装束は焼け、鎧は熱によってドロドロに形を崩している。それでも、彼女の身体は健全そのものだ。
「さて、残るは3人」
エドやソニアの後を追うように、龍血が一歩踏み出したその時、彼女の歩みをムーンの手が止めた。
「死に損ないか。憐れだな人間」
無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。
――――さて、ここからどうしよう。
「おい! 良いところで止めるんじゃねえ」
いや、ここからどういう展開にしようかと思ってだな。
「はあ? ここまで盛り上げといて何言ってるんだよ」
サンや他の仲間が助けに来てくれるのは定石だが、それだと在り来たりなのだ。それに、龍血の少女はムーンのライバル的ポジションにしたいと考えている。
「なーるほどなあ。そういうイメージを持たせたいから、仲間の救援を避けたいって事か」
そういう事だ。だから、ここから考えれられることは…………。
――――その一。
「死に損ないか。憐れだな人間」
無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。
「おい、どこを見ている!」
空を切る刃を止め、その声の方へ振り向くと、すると全くの無傷であるムーンの姿が目に入った。
「なぜ生きている!」
龍血は額に汗を浮かべながら問う。
「ふっふっふ。そいつぁは俺の双子の弟だッ」
「あ、兄者ぁ」
「――――ストップ!」
やっぱり?
「駄目に決まってんだろ。なんだ双子の弟って!」
実は今まで物語で活躍していたムーンは双子であって、サン達が知らない所でスイッチしてたのだ。だから無尽蔵な体力っていう設定が伏線になっているのだ。
「まてまてまて、それでもだろ。第四章にして弟の登場じゃあ、いくら何でも遅すぎる。映画じゃあるまいしよ」
面白いと思ったのだがな。
「それに弟の扱いが可哀想すぎるだろ。兄者ぁって言っちゃってるし」
ふむ。やはり無理があるか。それならこうしよう。
――――その二。
「死に損ないか。憐れだな人間」
無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。
しかし彼女の刃がムーンの心臓を貫こうと、勢いを増したその時!
――――ガキンッ。
その刀は心の臓に達することなく、半ば途中で小枝の様にへし折れてしまったのだ。折れた刀と、ムーンを交互に見る龍血。何が起きているのかまるで分かっていない様子だ。
「ふふふ、悪いな。俺の身体はなあ、サンの魔術で超合金になっているんだよ」
「何だと!?」
「悪いが、お前は一生、俺には敵わねえよ」
「――――いやいや。ダサすぎるだろ」
そうかい? 体を鉄の様に硬くする魔法ならドラクエにもあるだろ。
「だからだよ。お前あの魔法を1度でもカッコいいと思った事あるか?」
…………ないな。
「だろ? 体も動かなくなるし、特にメリットのない魔法なのに、どうしてここで採用するんだよ」
面白いかなって思って。
「ゲームの開発者もそういう考えで採用したんだろうな」
しかし、体を超合金にしたら結構使い道あると思うのだが。
「例えば?」
空高く飛びあがった君を、サンが魔法で超合金にして落とす。下にいる敵はミンチだよ。
「インパクトはあるが絵面がマズいだろ。どこの異世界に、仲間を鉄にして敵を肉塊にする勇者がいるんだよ」
言われてみれば確かにそうだな。
「だろ? だから不採用だ。次だ次」
――――その三。
「死に損ないか。憐れだな人間」
無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。
「っう!」
彼女が付き立てた刃は、そのままムーンの息の根を止めてしまった。たった一瞬の痛み。その一瞬が、地獄の様に続いた彼の苦しみを終わらせたのだ。
「あとは私に任せるがよい」
龍血は彼の亡骸に誓った。そう。彼女もまた、このサウ・アメノを龍から救ってくれたサンに、計り知れない恩を感じていたのだ。
これまでの全てが演技。彼女の行動の一つ一つが、サンへと繋がる道だったのだ。
――――その3年後。
「これで、終わりか……」
この世界に蔓延る全ての龍を討ち、世界には平和が訪れようとしていた。
「長かったな。ここまでの道のりは」
サンの横で、エドが空を見上げながらつぶやく。龍のいない平和で自由なその空を眺めながら。
「ああ。お前らがいなかったら俺はここまで来られなかったよ」
サンは仲間一人一人に目を向ける。
「ありがとうな。エド、ソニア、ソウ!」
「ワールド様の為に尽力したまでです」
龍血の少女ソウは、まんざらでもない様子でその頬を赤らめた。
「でも、ムーンがいないのは寂しいわね」
今は亡きムーンを想ってか、ソニアは目元に涙を浮かべ、天を仰ぐ。
「そうだな。あの日ムーンを失ったことを、俺は仕方ないと受け止めていたが」
首にかけたネックレスを握りしめ、サンは続ける。
「それでも、アイツを失ったことは……。やっぱつれぇわ」
「そりゃつれえでしょ」
ありがとうムーン。さようならムーン。また会う日まで。
「――――死んでんじゃねえかッ」
実はまだ生きている。この後、主人公のピンチに駆けつけるのだ。
「もういいって、その展開は。何で二回も“生きてましたサプライズ"しないといけないんだよ」
何回やっても盛り上がりそうだろ? 「流石に死んだか?」と思わせておきながら、転生や蘇生を繰り返すのだ。
「倫理観が崩壊してんな。っていうか、コイツらは何で俺の仇と仲良く旅してるわけ?」
そこは追々と考えるつもりだが、そうだな、今考えられると理由としては。実はムーンは転生したが、それはムーンではなく、かつての敵であったオダ・ロウだった。という感じだろうか。
「なるほどな。ちょっと納得出来ちまう理由があるのが腹立つな」
気に入らないかい?
「そうだな。台詞も受け売りだしよ」
そこは気にしてはいけない。名言というのは、人から人へ伝わるから名言なのだ。
「はいはい。…………ところで俺も一つ提案があるんだが、聞いてくれるか?」
もちろんだ。
「俺は龍血に刺されて一回死ぬが、死の世界で昔の強敵オダ・ロウに会うんだ」
まさかオダ・ロウがここに来て、再び活躍しだすとは思わなかった。でも面白そうだ。続きを聞かせて欲しい。
「そして冥界でオダ・ロウと再会した俺は、なんやかんやで彼の能力を受け継ぐ。そこから怒涛の第二ラウンド開始だ!」
成程。なかなか面白そうだ。じゃあついでに、ムーンは倒した相手の能力を引き継ぐっていう能力を付け加えよう。
「いいじゃねえか! 俺がどんどん強くなっていくぜ」
よし。それじゃあ、続きを書いていこうと思う。
――――無様にも地面を這いつくばるムーンに、今とどめを刺そうと女が刀を振り上げる。
「っう!」
彼女が付き立てた刃は、そのままムーンの息の根を止めてしまった。たった一瞬の痛み。その一瞬が、彼を更なる深みへと誘ってゆく。
「ここは……」
目を覚ますムーン。しかし何もない真っ白な空間。どこが上で、どこが下なのかも分からない無の世界。その恐らく中心部であろう場所で、ムーンは一人ぷかぷかと空を漂っている。
「俺は、確か」
「目覚めたか? 我が宿敵」
――――懐かしい声。脳の髄から溢れ出る記憶。それらはレモンの様に酸い思い出だが、今のムーンにとっては、親友に久しく会うような甘酸っぱい感覚だ。
「オダ。お前、生きていたのか?」
龍血に止めを刺され意識が途切れたはずなのに、今では真昼間のように鮮明としている。そしてその意識は、いま目の前に立つ、かつての宿敵オダ・ロウによって確実なものとなった。
「何を抜かしておる。儂はお主に負け、ここにおるのだ」
「そうだったな」
ムーンは再び周りを見回し、この面妖な場所について問う。
「オダ、ここはどこなんだ?」
オダは頭の後ろで手を組むと、無重力空間を伸び伸びと行き交う。特別不自由はしていない様子だ。
「ここは所謂、精神世界だ。あの世と現世の狭間。刑務所の面会室の様なものだ」
「なるほどな。てこたあ、俺は死んだのか」
最後の記憶、命が消える瞬間の感覚。それらが彼に死を実感させる。
「……お主、まだ生きたいと願うか?」
「何言ってんだてめえ。当り前じゃねえか」
茶化しているようにしか聞こえないオダの発言に、ムーンの眉間にはシワが集まってゆく。
「そう波風を立てるな」
「お前なあ、相打ちとはいえ一回目はお前に殺されてんだぞ? 気を付けて物を言え」
オダは笑う。決してムーンの苛立った様子が面白いからではない。
「相変わらず、人の話を聞かん奴だな」
「ああ?」
座布団の上で胡坐をかいているかの様な姿勢で、ふわふわと漂うオダ。そして人を馬鹿にしたように笑い、涙を浮かべる。
「何も分かっておらぬのだな」
「いい加減分かるように言え。こちとら、死んでまでお前の面ぁ見たかねえんだよ」
ムーンが言い終えると同時に笑い終えるオダ。一つ大きく息を吐き、涙を拭う、そして話を切り出す合図を咳払いで示す。
「お主、自分の中に、儂の能力が混じっている事に気付いておらぬな?」
「儂の能力だあ?」
「それだけではない。お主がこれまで倒してきた者、その全員の力を、お主はまだ理解しておらぬ」
人差し指を立てながらオダは教鞭をとる。
「お主の能力。それは自らの御敵を、自らの御心に宿す。名を付けるなら
“カイライ”そんな所かのお」
「カイライ? そんなもの感じたことないが」
自分の胸に手を当て、オダの言う力に意識を集中させるも、影どころか気配すら感じない。
「鈍感なんだな、やはりお主は」
「うるせー。デタラメこいてると、面会終了させるぞ」
大きなため息。まるで三歳の子供に言い聞かせるかのようで骨が折れる。と、オダは思った。
「それお前が思ってるだろ?」
ここでオダが咳払い。話に集中しないムーンに、彼は嫌気を感じ始めている。
「致し方ない。お主の中にいる某が、少々暴れてやるとするかのお」
「暴れるだ?」
「左様。さすれば、お主もカイライを理解するはずだ」
オダの話が終わると唐突に眠気が襲ってきた。ムーンも寝まいと必死に抗うが、まるで誰かに押さえつけられているかのように、脳が真っ白になり意識が途切れた。
――――龍血は足元に転がる焼死体を見下ろす。
真っ赤に焼けただれた亡骸は突如、自身の足元を掴んだ。しかしその様子を見るに、最早呼吸すらも絶え、動くことも困難だ。
「気のせいか?」
生気なく絡みつく手を足で退ける。その死体はまだ炎を纏っているが、苦しんでいる様子も無ければ、呼吸による体の微動も無い、ただの薪と化した燃料だ。
人間に向けるものではない眼で、龍血はその死体を横目に部屋を出ようとする。それでも、先ほどから絶え間なく感じる異様な空気に、彼女は警戒を解けずにいた。
(あの人間の生気は最早感じぬ。ならばこれは一体なんだ?)
彼女に纏わりつく異常な気配。しかしその正体は、次の瞬間で露わとなる。
「我が主に……捧げる………我……祝詞」
今にも途切れそうな声。それは、死体だと思っていたはずの男の口から発せられていた。
「……聞し召せと…………。畏み……」
それが何かしらの呪文の詠唱であると分かった時、彼女は真に止めを刺そうと駆け出す。
「我が肉体に、最大の祝福を与えん」
光に包まれる身体。龍血の放つ突きは、その眩さによって止めざるを得ず、さらに行うべきは最大限の警戒。彼女の身体は既に臨戦態勢をとっていた。
「最高位回復呪文!?」
「祝詞だ。神道、我が祖国に伝わる秘伝の術」
ムーンとは異なる気配を放つ男。姿形はムーンそのものだが、喋り方や仕草で、それが別人だということは瞭然だった。
「貴様、何者だ」
「手前は、名をオダ・ロウ。東の小国、サムライの一人。して、お主は?」
いかにも育ちが悪そうなムーンとは違い、その凛とした佇まいから、彼女はオダが只者ではないと悟る。
「……龍血、ソウ・ヨウ」
「ふむ。我が祖国のさらに東の大陸の生まれか?」
「今は関係なかろう」
穏やかなオダとは違い、今にも殺らんと構える龍血の少女ソウ。その姿を見て、オダは笑う。
「全く、何奴も此奴も人の話を聞かぬ」
彼はひとしきり笑うと、呆れた様なため息を吐いた。
「時間がないので」
「最近は、何をするにも速さを求める風潮があるが、全くもって分かっておらぬ」
溶解し切った鎧を脱ぎ捨て、ずたぼろの布切れを腰に巻きつける。そうして上裸になったオダは、身軽そうに肩を回す。
「もっと耳や目を鍛えねば……」
「――――血剣!」
龍血はオダの言葉を待たず飛び出す。只ならぬ気配に底上げされた、恐らく最大速力での突き。だがしかし……。
「雅な世に失礼だとは思わんか」
彼女の腕を掴む左手。引き抜こうとするも、しかし抜けない。
「話を聞けと――――」
ソウの腕を捻り、足元を払う。
「言っとるだろうが」
何が起きたか分からず混乱する龍血は、すぐさま距離を置き、再び“龍の姿"へと移行する。
「ほおう、これまた面妖な。汝、龍人族か?」
力に関してはムーンとは互角。しかし経験で言えば圧倒的格上。彼女は口を開く余裕すらも生み出せずにいた。
「龍血泉!」
血が床に染み込み、オダの足元で剣山の様に炸裂する。
しかし広範囲に展開されたそれさえも、オダは簡単に避けてしまった。
「愉快な術だな。しかし火力はないか」
「舐めるな!」
真っ赤に染まった瞳、その目尻から赤い紋様が浮き始め、頭からは真っ白な角が筍のように生える。
「龍脚」
足が音を立てて変形し始め、馬脚の様な形を成すと、烏の爪の様な足が地面にのめり込む。
瞬きほどの一瞬。あるいはそれ以下の秒数。龍血は姿を消し、オダの認知が及ばない速度で、その顔面に蹴りを放った。
「小娘が、やりおるわい」
それでも彼は倒れず、口の中で砕けた歯を血反吐と共に吐き出す。
「何故倒れぬ!」
「言ったであろう。速さとは何の意味もなさぬと」
空気の漏れる音。長く、そして亀ほど鈍い呼吸。それは自転車のタイヤから漏れるように一定の速度を保っている。
「酸素とは、体内に巡らすもの。呼吸とは、心臓を強くするもの」
息を吐き尽くし腰を落とす。だがその手は何かを探しているように落ち着かない。
「刀、差してないんだった」
――――抜刀。腰に得物は差しておらずとも、その動作は居合、そして払い切りそのものだ。
流星の如く放たれた手刀は、龍血の指、角、尾を落とす。同時に悲痛な叫び声。そしてオダが声を高らかにして嗤う。
「よいッ、よい鳴き声だッ! 感謝するぞ龍よ、久しく味わう! ははははッ!」
先程のたたずまいとは違い、ゲラゲラと下品に笑うオダ。しかし龍血も、いつまでも音を上げている訳ではない。
「り、龍焔・龍尾」
蛇の如く口を開いた尻尾の切断面、その先で炎が渦を巻いて圧縮される。
「ふむ。芸の多い奴よ」
熱線。それは笛のように細く、甲高い音をあげながら、ありとあらゆる物体を溶断する。その猛烈な進撃に、オダも警戒せざるを得なかった。
「コレは少しマズいかのお」
「逃がしはせぬ!」
鞭のように波打つ尾。オダもこれには手も足も出ず、躱すだけで精一杯である。
――――しかし、その熱線は徐々に火力を失ってゆき、遂にはあんぐりと口を開けた尻尾だけが虚しく
「これだけの大技。反動も大きかろうに」
その言葉通り、龍血は膝をつき、その口からは大量のよだれが零れる。
「体内の熱を逃がす方法が、少し残念じゃのお。美人が台無しだ」
「…………くそ」
龍血はそのまま意識を失い、手で支える事もなく上半身を地面に叩きつけた。
大きく呼吸を一つ。浅くお辞儀をすると、オダは暑そうに手で顔を扇ぐ。
「どうだ? これが儂の能力“ヤオキ”だ。賢く使えよ」
それだけ言葉を言い残し、オダも同じく足元から崩れ倒れる。そして数秒後、今度はムーンが目を覚ました。
「知ってるよ。どんな攻撃も半分のダメージ量に抑える極悪スキルだ。俺が一番よく知ってる」
気を失った龍血を見下ろしながら、ムーンは口内炎を気にするかのような表情でつぶやく。
「わりいな。今回はズルしちまった」
そして今度は胸に手を当てる。
「オダ、これで本当のお別れだな。お前の能力、大事に使わせてもらうよ」
こうして、ムーンと龍血ソウとの激闘は、意外な形で幕を降ろすこととなった。
「――――いいじゃねえか! 最高にイカシた戦いだったぜ!」
そうかい?
「ああ。まさかここで、昔戦った強敵が出てくるとは思うまい!」
オダは気にっているキャラクターだから、最後にもう一度だけ出そうと思っていたのだ。
「なるほどなあ。まさにアンタ好みの展開だったわけだ」
そういうことだ。
「さて、それじゃあここからどうするか、また話し合うとするか」
――――この時、僕のパソコンに一通のメールが届いた。
その内容は、僕の執筆した物語を書籍化したいという出版社からの連絡だった。
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