終末case9 苦い思い出の話

 立ち上る煙を眺めながら、はじめて秋刀魚のはらわたを食べた時のことを思い出した。文字通り苦い思い出だ。素材そのものの味をじっくりと吟味するようになったこともあり、今でこそ、その奥に含まれる旨味を感じることができるけれど、当初は苦手だった。大根おろしと醤油で誤魔化しながら食べたものだ。

 今日はすだちを絞ろうか。

 巫儀は沢山採れたきのこを炊き込みごはんにするか、きのこ汁にするか、と仄めかしていたが、今日は白米の気分だから、きのこ汁に軍配が上がって欲しい。ツヤツヤとした新米の甘みを噛み締めたい。


 秋は一年で最も実りある季節だ。


 冬支度を始める動物たちは蓄えるため奔走し、俺たちもこの時期の旬を堪能しようと活気づいている。

 先日の里芋をゴロゴロと入れた芋煮汁も最高だった。ホクホクするジャガイモも良いけれど、里芋のねっとりした食感も面白い。噛まずともほぐれるような柔らかさになった根菜に、こんにゃくの歯ごたえ、味噌の塩気と散らした青ネギの香りとシャキシャキ感。

 紅葉が深まる時期に川べりで芋煮会をするのもいい。とにかく食べるのが一年で一番楽しい季節だ。

 くし切りの梨をシャリシャリと齧りながら、今終末のフタヒロ天使のお告げを確認した。



【演題9 苦い思い出の話】(お題提供主:関川二尋さん)

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 公園で僕たちは並んでブランコに揺られていた。夕暮れが迫り、蝉が鳴いている。

 今日はずっと彼女の様子が変だった。だから人けのない静かな公園に彼女を誘ってみたのだ。

「関川君って、どんな子供だったの?」

「どんなって、まぁ、よく覚えてないかな。リア充ではなかったけど」

 ハハハ、と笑う。まぁそれだけは断言できる。明るくてかわいい彼女とは真逆の子供時代だったと思う。

「わたしはね、昔の自分が好きじゃないんだよね、今も思い出すとつらくなる」

「僕も昔にはいい思い出はないけどね」

「今でも関川君に話せないコト、話したくないコトあるんだよね」

 なんか思い詰めた様子でそんなことを話してくる。でも彼女、けっこう小さいことでも悩む癖がある。なんだそんなことか、というようなことでも。

「僕は今のキミが好きだよ。キミといられて幸せだと思ってる」

「でも、本当のわたしは関川君が思ってるような人じゃないかも」

 そう言って彼女はそっとため息をついた。


「ねぇ、関川君はわたしの昔の話を聞きたい? 聞きたくない?」


 僕には彼女が抱えていたキズが見えていなかった。いや、今が幸せすぎて、見ようとしなかったのかもしれない。でもそれでいいと思う自分がいる。過去はもう流れ過ぎたものだから。

 

 僕は迷っていた……それでもどちらかを選ばなければならなかった。

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「なっ……ゴホッ」

(んだ……この絶望的な終末感は……)

 舌に溶けていく梨の瑞々しい甘みに油断していると、喉に抜けた果汁にむせた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

 今回のお題はやけに設定がガッチリ固まっている。これはどう切り込めば……

 このリアリティに迫るお題……もしかして、この関川くんというのは、何処かに実在している人物がモデルなのだろうか。

 『世界を創造する万年筆』のこともあるし、最近はやはり『銀河』の実態が気になるところだ。俺が関川くんの世界の終末を描くことで、『銀河』のどこかで本当に終わりを迎える関川くんが居たりして……

 いや、気にしすぎかな。

 とにかく書いてしまおうと、ET画面の万年筆をつついて、ノートアプリ『手帳』を立ち上げた。



 -----------【続き】-----------

 蝉が鳴く季節、そろそろ頃合いだと思っていた。陽は傾けど、しっとりとした空気の中の熱は、まだ冷めやらない。


「関川君って、どんな子供だったの?」

 私は早速切り出した。まあ、聞かなくても知ってるんだけどね。フィギュアやジオラマを組み立てたりするのが好きで、毎日学校から帰ったら一人黙々と作業していたんでしょ。それって、さぞかし充実した日々だったでしょうね。

 なんとなく悔しくて、語気が強くなってしまう。

「わたしはね、昔の自分が好きじゃないんだよね、今も思い出すとつらくなる。今でも関川君に話せないコト、話したくないコトあるんだよね」

「僕は今のキミが好きだよ。キミといられて幸せだと思ってる」

 ああ、またそういう綺麗事を言う。関川君ってそういう人。

 今の私は『過去の私』の集大成。別人ってわけじゃないんだから。その土台と積み重ねてきたものを知らずに、『今の私』が好きだなんて……


 そうは言っても、困ったように頬を人差し指でかく姿を眺めていると、身体が沸々と熱を帯びる。周囲の水という水が霧散したような湿気がまとわりつく。

「でも、本当のわたしは関川君が思ってるような人じゃないかも」

 そもそも私は……

 関川君はあからさまに憐れむような顔をした。きっと私が酷い目にあった過去を抱えているのかもなんて想像しちゃってるんだろう。「キミの過去がどうであれ、僕は受け入れるつもりだ」とか、気障な台詞を考えているに違いない。

 でも、もう潮時なのだ。解っている。けれど、最後に聞いてみたかった。

「ねぇ、関川君はわたしの昔の話を聞きたい? 聞きたくない?」

 迷った挙げ句、口を開いた関川君の言葉は、どっと湧いた蝉時雨に掻き消された。すると全てが暗転し、私は地に落ちたような感覚の中に取り残された。



 今年は一度も雨が降らないまま、夏が来た。



 ずっと昔、土砂降りの雨に濡れ、雷に打たれる寸前の関川君を、気まぐれに助けたことがある。それは風雷神を退けるという、私にとっては他愛のないことだった。

 泥濘ぬかるんだ土を乾かし、山中で道に迷っていたらしい子供の関川君が、無事に山を下りられるように導いた。

 何も話していない。ただ先を歩き、時折振り返る。子供は不安になると高い方へ登ろうとするから。同じ人の子の姿を借りて、堂々と下る姿を見せた。それだけだ。


 里が近づいてきた頃合いを見計らって、私は一気に駆けた。慌てて追ってきた関川君は、姿をくらました私を探してキョロキョロと狼狽えていたけれど、しばらくすると、諦めたというよりは何か悟ったようにギュッと拳を握り、「ありがとう」と今下りてきた道に向かって叫んだ。

 振り返らずに里に向かって駆けていく関川君の後ろ姿が見えなくなるまで、私はずっと眺めていた。


 雨が多く、山に新しい谷川ができた年だった。


 最後に見た関川君の安堵と切なさの入り混じった顔が忘れられずに、私は濁流から清らかな流れに落ち着いたその新しい川で水浴びをした。何度も、なんども。

 でも、冷たい水に包まれても、内から湧き上がってくる熱を冷ますのに事足りることはなかった。

 だから……

 我慢できずに逢いに行ってしまったのだ。成長した関川君に。私も年の頃を同じくした姿で。逢瀬を重ねる度に雨が減り、里は乾いた。細々とした山の谷川だけが唯一の水源となってしまった。

 これ以上はダメだと思いながらも、先延ばしにした。

 関川君には生きて欲しい。だから、私が去れば……


 この堕落は当然の報いなのだろう。


 私は人が好きだ。

 だが、特定の誰かに情熱を燃やす度に、地上は酷い旱魃かんばつに見舞われる。日照りが続き、作物が育たない。池も川も干上がって、生き物が何より必要としている水を奪い尽くす。雨雲は彼方に追いやられ、その土地はカラカラに乾く。

 結果、愛した者が生きる場所を奪ってしまう。


 住む世界が違うのだと、思い知らされた。これまでに何度も。

 


タイトル『日照りの神・バツの憂鬱』

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「こんなところか」


 一見悲恋に視えるこの話にも、続きがあるかもしれない。

 蝉時雨だと思った音の滝は慈雨の恵みで、季節は夏を乗り越え秋を迎えていた。お題の中で『過去はもう流れ過ぎた』なんて言っていることから、関川君も実は人ではなく水源・水流の主、つまり竜神であり、里に水源をもたらす谷川を創った張本人という可能性もある。

 そして人の姿のまま、関川君の腕の中で目覚めたバツは、掻き消された言葉が「全て知っていた」だったことに驚愕する。

 そんなこんなで、互いを尊重することで日照りと雨のバランスを取り、清浄に水循環する里を守っていこうというハッピーエンドに落ち着くかもしれない。


 至極勝手な妄想ではあるけれど、物語の解釈や、まだ書かれていないその続きは、自由に想像して構わない。


『明るくてかわいい彼女とは真逆の子供時代だったと思う』というお題の一文は、燦々さんさんと輝く彼女に対して、雨をもたらす関川君にはいつも暗雲や冷たい風が伴っていたと解釈することもできそうだ。




 良い色に焼き上がった秋刀魚を羅土が焼いた平皿に移し、大根おろしと半分に切ったすだちを添える。想像の中でパリッと皮を割り、身をほぐし口に運ぶと、舌鼓を打たずにはいられない。

 炊きあがった白米と味噌の香りが土間を包み、空きっ腹を大いに刺激する。この香りが廊下を伝い、皆を心地よい微睡みから揺り起こすのだ。


 これが俺たちの『朝の知らせ』であり、日課だ。


 待ちきれない想いで、朝餉の席の準備に取り掛かる。こうして今日もまた、平穏な一日が始まるのだ。

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