終末case7 良い話と悪い話
息が白い。
水はキンキンに冷えていて、ただ米を研ぐという作業ですら、なにか試されているのだろうか、という気分になる。巫儀は畑から抜いたばかりの蕪を洗い終わって、千枚漬け用にスライスしているところだ。
白米に豆腐とわかめの味噌汁と蕪の千枚漬け。それに焼き鯖が今日の朝餉の献立。
研ぎ終えた米を水に浸し、手ぬぐいで水気を取り去った手に息を吐きかけると、周囲の空気よりも温かいそれは、ふわりと天に上っていった。
【ハーフ&ハーフ】で提示されるお題は、全部で十。
既に半ばを過ぎ、季節も巡った。かじかんだ手でETを操作し、ニュースアプリ『銀河』で、今終末のフタヒロ天使のお告げを確認する。
【演題7 良い話と悪い話】(お題提供主:ゆうけんさん)
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それはいつもの他愛ない会話の中に突然現れた。
「……良い話と悪い話があるんだけどさ」
大好きなキミの笑顔から出てきたのはそんなセリフ。
「う、うん」
もちろんボクはその唐突さにかなり困惑していた。それでも表情には出なかったと思う。一呼吸置いてから、彼女は静かに続ける。
「……どっちから聞きたい?」
良い話と悪い話。いったいなんだろう?
ボクには予想がつかない。
この場合は……どちらから聞くべきなんだ?
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開いている方の手で七輪の炭を用意しようと籠を開けると、中には砕けたカスがいくらか残っているだけだった。
「なんだ……この絶望的な終末感は……」
悪い話があると言われて、わざわざそれを聞きたがる奴なんているのか?
なぜ、こんな質問をする?
それはそうと、今日、巫儀がだんまりを決め込んでいるのはなぜだ? 別にそれが気に入らないわけじゃないけれど……なんなんだ一体。
肌が切れるような冷気をかき分けて、炭を保管してある蔵へ向かう。
そういえば、炭だけじゃなく、
上手く滑らない戸が煩わしい。やっとのことで入ると、暗い蔵の中はより一層寒く感じられた。
さっきからお題の回答を考えてみるものの、どうも『良い話』が思い浮かばない。こんな風に上手く立ち行かない時は、良くない方へ思考が偏りがちだ。
炭を籠に移して抱え、そそくさと蔵を出る。戸をぴたっと閉めたところで、ふと光明が差した。ETのノートアプリ『手帳』には、後で書くことにして……
-----------【続き】-----------
「悪い話なんて聞きたくない」
「うん。まあ、そうだよね」
でもキミが本当に聞いて欲しいのは、その『悪い話』の方だろ? 「共感」ってやつを求めてるんだ。
「じゃあさ、良い話から聞かせて。こっちも、心の準備ができる気がするから」
憂いたように俯き加減でいたキミが、顔を上げてやんわりとはにかんだ。その遠慮がちな笑みにざわつく何かをかき消したくて、なんとなく居住まいを正す。
「あの、ね。実は、好きな人ができたんだ。二組の……波里君って、知ってる?」
「そりゃあ、もちろん……」
物静かで派手に立ち振舞う奴じゃない。女子は近づきがたさを感じているようだが、実はオカルトに詳しくて、話が面白い。しかも何か武術を習っていて、結構強いらしい。実際に見たことはないけれど、男子の間では皆から一目置かれていて……
「すごく優しいんだ。たぶん……誰にでも、そうなんだろうけど、そこが良いなあって…………ああ、もう恥ずかしいなあ。やっぱり言うんじゃなかった!」
それがキミにとっての『良い話』?
ポツリと話し始めた割に、恥ずかしさを発散するかのように声を大きくする。そんなキミの頬は朱に染まっていて、とてもじゃないけど見ていられない。
ボクの心は……何一つ、準備できちゃいなかったんだから。
タイトル 『関川くんの初恋の行方』
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「こんなところか」
『悪い話』が何だったのか、これは想像に委ねる。
例えば、波里君が中国武術である意拳の修行をするために、本場中国に渡ることになって、いつ戻ってくるかわからない、とか。
この場合、キミにとっての『悪い話』が、関川くんにとっての『良い話』になる。
キミは好きになった相手が夢を追うことを『悪い話』としている自分に嫌悪し、関川くんはキミが失恋することを自分にとって『良い話』としているダークな自分に気付いてしまう。まあでも、そんなものだろう。初恋は実るだろうか。
ところで、ここで関川くんのライバルとして登場した波里君のモデルは、薬膳料理『久庵』のご主人だ。かつて鍼灸師の叔父さんと共に中国に渡り、漢方について学びながら意拳の修行をしてきたらしく、どこか泰然としている。
自身も鍼灸指圧師としても腕利きで、俺たちも時折世話になっているし、何より意拳の基礎鍛錬法である
そんなわけで、俺たちとは早朝仲間という妙な連帯感もあり、生薬に興味を持って野山を駆け回っている
それはそうと、この『関川くんの世界の終焉』シリーズ、今回の話は、より恋愛におけるワンシーンっぽくないだろうか。まあ、自画自賛ではあるけれど。
「『銀河』に送信する前に、巫儀に聞いてみるか」
ただ、今日に限って、黙々と作業する巫儀の様子が気がかりだ。
土間に入ると、巫儀は小上がりに腰を下ろして呆けていた。日頃よく喋るだけに、ぼんやりとした姿は妙に話しかけづらい。
「巫儀?」
「……ああ、無二。どこへ行ってたの?」
「蔵へ。炭が無かったから」
「そっか」
なんだよ。なにかあったのか? 悪い話……なんて聞きたくない。
「
隣に腰を下ろして、竈を眺めながら尋ねた。
「そのこと、なんだけどさ……」
巫儀が口を噤むなんて只事じゃない。まさか……
「燃え尽きたのか?」
黙りこくったまま、小さく頷いた巫儀の顔は憂いに満ちていた。
「煙火」というのは、ここに居着いている火鼠の親分、竃を取り仕切る
家鼠の寿命はおおよそ三年。だが、この火鼠たちは「あっしらは規格外ですから」と言わんばかりに長生きした。
俺たちだって、煙火の変化に気づかなかったわけじゃない。一日では見えないほどの違いも、積み重ねると大きくなる。元々熊鼠ほどの大きさだった煙火は徐々に小さくなり、立春の頃には二十日鼠ほどになった。つまり体長は半分以下、体重に至っては十分の一ほどに。
『火鼠は走りながら命を燃やしているのではないか』
そんな風に俺たちが考え始めたことを払拭するかのように、煙火は変わらず他の火鼠を率いて走り続けた。周りの火鼠たちも、煙火が自分たちよりも遥かに小さくなっていることなど、まるで気にしていないようで、一体感のある関係が変わることもなかった。
だからこそ、小さくなっていく煙火が、火鼠たちの残り時間を象徴しているように見えたのだ。
「きっと、昨日
「そう、か。今朝の冷え込みが、残りの僅かな熱を奪っていったのかもしれないな」
とはいえ、俺たちはまだ生きている。身体を維持するための熱も、動くためのエネルギーも必要だ。なら、食べねばなるまい。
「無二、どうしたの?」
勢いよく立ち上がると、巫儀が不思議そうに顔を上げた。
「久しぶりに火打石の出番だ」
火は熾すだけでなく、育て面倒を見なくてはならない。火鼠という存在の有り難みが、あらためて身に染みる。
収納庫を開けて、ガサゴソと火打石を探した。暫く使っていないから……何処へ仕舞っただろう。
「でもさ、無二……」
「なんだよ。朝餉が白米と漬物だけでいいのか?」
俺はゴメンだ。何より早く火が欲しい。白湯を飲んで身体を温めたい。
「それは少し寂しいけど」
「だったら……お、あったあった。これで火を熾すんだ。巫儀がやれよ。得意だろ」
いつまでも感傷に浸っているよりは、何かしている方が気も紛れる。俺だって、何とも思っていないわけじゃないんだ。
つるりとした黒曜石の感触が懐かしい。たしか、いい
戻って道具を手渡そうとすると、不意に巫儀の懐がモゾモゾと動いたように見えた。慌てて手を引っ込めると同時に、黒衣の胸元から赤茶色の毛玉がひょっこりと現われる。火鼠だ。
初めの一匹がキョロキョロと辺りを見回したかと思うと、器用に抜け出して巫儀を駆け下りる。続けざまに他の火鼠たちも飛び出してきた。
ポカンとしていると、申し訳無さそうな声が聞こえて、我に返った。
「流石に、そろそろお腹が空いたんだろうね。向日葵の種をあげないと。あ、いや、何度か言おうとしたんだけどさ。えっと……燃え尽きてたのは煙火だけで、竈の中を覗いてしんみりしてたら、寒そうに寄り集まってた他の火鼠たちが、次々に懐に入ってきて。それで、こういう時は拠り処が必要だろって、コイツらなりに気を遣ってくれたのかなって。おかげで、今朝はほっこりしながら作業できたよ。こういうのを共生って言うのかな、なんて」
ほう。つまり、黙って一人ぬくぬくとしていたわけか。
-------鳥の知らせ-------
このエピソードで登場した『鍼灸師の叔父さん』は、なみさとひさしさんの『燃えよヤイト拳! 〜地獄の小学生〜』に登場する叔父さんをイメージしています。
少年心をくすぐる環境で過ごした、小学生の熱い夏の日々。人里離れた山奥でひっそりと鍼灸院を営む叔父さんは一見ファンキーな風貌ながら、子供の頃にこんな大人が身近に居たら人生変わるだろうな、と感じさせてくれます。
大人も子供も、夏が待ち遠しくなる素敵な作品です。
是非、併せてお楽しみください。
◉燃えよヤイト拳! 〜地獄の小学生〜(作者:なみさとひさしさん)
https://kakuyomu.jp/works/1177354055572272730
(追記)
なみさとさんがコメント欄に『波里君と関川くんの決闘シーン』を綴ってくださいました。是非、ご覧ください。
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