【茶話】弐 カラスと狼の時間

 やれやれだ。


 畳に敷いた布団に巫儀フギを転がして、団扇で緩く風を送りながらため息をついた。風呂でのぼせたコイツをここまで運んでくることは、別に珍しいことじゃない。

 長湯はするなと言っているのに、一仕事終えると気が抜けるらしい。

「無二、巫儀の様子はどう?」

 襖を開けて入ってきたのは麗樹レキだ。前にも言ったことだが、ここに居るのは誰も彼もが。こうして大抵は人の姿で過ごしてはいるものの、本質の話をするならば、俺と巫儀はワタリガラスだし、麗樹は白い狼だ。

 隣に腰を下ろした麗樹が、苺を盛った硝子の器をコトリと置いた。

「どうしたんだ、それ?」

 ヘタは丁寧に取ってある。

「お裾分け。『いすみ屋』のご主人から。苺の練乳ソイミルクを試作するのに、一度に沢山買い過ぎちゃったからって」

「ふうん」

「お豆腐カフェの展開を考えてるんだって」

 成程。苺のソイナントカも、ちゃっかり食べてきたに違いない。

「モチロン!」

「俺は何も言ってな――」

 不意に甘酸っぱい香りに遮られ、ニヤリとした麗樹の顔が目に入った。油断しているつもりなんてないのに、間抜けだ、とつくづく思う。黙って口の中に押し込まれた苺を咀嚼する。その間に、麗樹も二つ三つ、ひょいひょいと苺を摘んだ。

「……それは、巫儀のために持ってきたんじゃなかったのか?」

「だって、まだ寝てるから」

 まあ、暫くはこのままだろうな。



 この羅土ラドの屋敷の一角には、おあつらえ向きに温泉が湧いている。岩と石に囲まれた窪地に絶えず源泉が流れ込み、加温の必要もない。湯気が漂う一帯は幻想的だ。

 今日も朝餉の片付けが済んで一息ついた後、巫儀と二人して温泉に浸かっていた。

「どうせまた、二人で長話してたんでしょ」

「いつも通り、巫儀が一人で喋ってただけだ」

 そう、例の『ハーフ&ハーフ』の話をしていて……

「ねえ、あの『ハーフ&ハーフ』って面白いよね」

「……知ってたのか?」

「そりゃあね。無二も書いてるでしょ?」

 まさか、読まれ……まあ、別に変なことは書いていないはずだ。

 『銀河』の彼方、青空劇場フリーメイソン『フタヒロ座』で募集している脚本は、主に「恋愛にまつわる二択を迫られる」というシチュエーションだ。だが、少なくとも今までのお題のような状況に実際に遭遇したことがないので、ああいった時に人がどういう心理になるのか想像が及ばない。

 少なくとも、俺の中では「電光石火で関川君の世界を終わらせる」がテーマだ。なら、これまで投稿したような展開で間違ってはいないはずだ。

 巫儀は俺のことを恋愛オンチだとか言っていたが、全くもって失礼な話だ。

「最近、『琥珀』って名前のキャラクターがチラホラ登場してるよね」

 硝子の器から苺を一粒つまみ上げたところで、麗樹レキがポツリと言った。それは俺も気になっていた。琥珀は植物樹脂の化石だ。別名『太陽の石』とか『燃ゆる石』とか。有機物ではあるものの、あくまで石だ。にもかかわらず、人としてのキャラクターが散見される。

「しかも、ある共通したイメージがあるみたい」

「麗樹もそう感じたのか」

「ええ」

 例えば、『愛宕平九郎』という投稿者の小劇場『二択探偵フタヒロ』では、外事課の捜査員が目を光らせている危険人物として琥珀の名が挙がった。

 さらには『tolico』という投稿者の小劇場『関川さんと遊ぼう』では殺し屋関川というキャラクターが登場する。その中のエピソードの一つ、【優しくする、もうひとつの回答編】では殺し屋の後輩として琥珀が登場していた。

 特筆すべきは、この二者の描く『琥珀』の外見的特徴が似通っていることだ。

 これは二つの作品が交錯する関係にあるのか、『琥珀』の二文字、または石から連想される強烈なイメージがあるのか、はたまた誰か特定の人物をモデルにしているのか。まあ、広い宇宙を見渡せば、同じようなことを想起する者は、いくらでもいるのだろうけれど。

「たしか蒼翠課長というキャラクターも琥珀という名じゃなかったっけ?」

 ああ、確か『涼月』という投稿者の……

「あの琥珀も氷の女なんて呼ばれていて、心の内や行動を読まさないキャラクターだったな。ある意味では危険人物のようなものか」

「そうそう。共通する二つのイメージは『危険』と『女』。不思議なものね」

 イメージの偏りが見られる。が、恐らくこれはフタヒロ星系界隈の局所的なもので、これと対を為すようなイメージも『銀河』のどこかにあるのだろう。でなければ、バランスが崩れ、世界は均衡を保てない。全く宇宙の構造は不思議なものだ。


 いつの間にか苺は残り一つ。

 迷わずそれを摘み上げ、麗樹の口に押し込んだ。いつも俺の指まで咥えようとするけれど、そんなことはさせるはずもない。

 満足と物足りなさの間を行き来するような麗樹の顔から目を逸らし、未だに眠ったままの巫儀を眺めた。幾分火照りも落ち着き、顔色も良くなったように見える。まあ、もう大丈夫だろう。目が覚めたらミネラルと水分を摂らせて……

 不意に頬に触れる感触があった。それはこちらを見ろという合図に他ならない。身体を捻ると、期待を込めた視線がこちらに寄せられていた。

 手を伸ばして撫でた頬はふわりと柔らかい。きっと麗樹も温泉に入ってきたのだろう。ここのとろみのあるナトリウム炭酸水素塩泉は、角質が分解されて肌が柔らかくなる。皆の肌艶が良いのは、ひとえにこの温泉の賜物だ。

 麗樹の長い髪をかき上げて形の良い耳を擦ると、くすぐったそうにした。指通りの良い滑らかな髪は、撫でるこちらまで心地よい。身体をそちらへ傾けるのと、麗樹が顔を寄せてくるのは殆ど同時だった。

 苺よりずっと柔らかなそれは、充分に甘い。苺に練乳を加えるだなんて、甘すぎやしないだろうか。

 とはいえ、この暫しのやり取りはただの前菜に過ぎない。一旦離れて本格的に身体の向きを変え、麗樹を引き寄せると、何の負荷も無く柔らかな感触と体重が預けられた。

 だが、あらためて味わおうと顎を掬い上げたろころで、ハタと気づいた。

「お二人さん、ぼくのことを忘れてない?」

「ああ、巫儀……居たのか」

 目を覚ました巫儀がのそのそと身体を起こした。

「ここはぼくの部屋でしょ。ねえ、この硝子の器、何が入ってたの? 水じゃないよね。いや、香りで大体わかってるんだけどさ。ぼくが目覚めた時には空っぽだったけど、これってぼくのための……」

 いつも通りだ。これだけ喋れるなら心配には及ばない。

 俺の場合、二択を迫られるより、こうして邪魔が入ることの方が多い気がする。全く、どいつもこいつも。

 一度だけ麗樹の頬に触れて、名残惜しくもその身体を解放した。






-------鳥の知らせ-------


こちらで取り上げた『琥珀』が登場する三作です。


◉関川さんと遊ぼう(作者:tolicoさん)

https://kakuyomu.jp/works/16816452219578079140


◉二択探偵フタヒロ(作者:愛宕平九郎さん)

https://kakuyomu.jp/works/16816452219638120621


◉ハーフ&ハーフ参加作品集(作者:涼月さん)

https://kakuyomu.jp/works/16816452219634382982


*『琥珀』はフリー素材。ご自由に。そもそも、石の名ですから。

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