本当にあるの怖い話
桐谷はる
本当にあるの怖い話
怖い話って、いつも一定の需要はあるよね。
軒荻さんはそう言ってうっすらと笑った。
彼はフリーの編集者である。私は中堅ライターである。付き合いは、もう覚えていないほど長い。新宿にある場末の居酒屋でゆっくりと安酒を傾けながら、厄介な仕事を終えた後の打ち上げ兼夜食をとっている。お互いもう若くはない。泥のように疲れた体を酒で暖め、軽口を叩き合い、自宅に帰る元気を絞り出さねばならない。午後十時の居酒屋はまだまだ活気があるものの、どの卓も「そろそろお開き」のタイミングを計っている感じがする。軒荻さんは酢モツをつまみ、私はお通しのサラミをかじる。中年の女性店員が追加で頼んだベーコンの炙り焼きを運んできた。ふと顔を見ると、人形のように整った顔立ちのおそろしいような美人だった。真っ白な肌は光り輝き、形の良い瞳やくちびるが完璧な左右対称で配置されていた。
旅行先で本屋見つけるとついつい入っちゃうんだけどさ、と軒荻さんが呟いた。
「ちょっと大きい書店なら、必ずちょっとは怖い話のコーナーってあるよね。まあ棚ひとつ丸ごととはいかないけど、ちょっとはまとめて置いてある。文庫でもハードカバーでも、新刊のうち一冊くらいはある。子ども向けだけど絵本じゃなくて、小学生とか中学生向けのコーナーもね、小さくても必ず何冊かはあるよ。ボクはいつもぞっとするんだ。この店にもある、ここにもある、って」
どうしてですか、と私は聞いた。
怪談本のコーナーがどこにでもあるのは良いことだ。私たちはオカルト系のネタを好む編集者とライターである。基本的にはなんでもやるが、どちらも怪談関係に強い。子供向けも成人向けも、怖い話ならなんでもやる。なんでもやらないと食えないどころか、なんでもやってもほぼ食えない世界であるので、仕事さえあるならどこにでも行くが、こと怪談関係とあれば採算が合わなくても引き受けてしまう。
「怖い話好きなやつって、気味悪くない?」
軒荻さんはゆっくりと酒杯を傾ける。すいすいと飲んでいるが顔色は変わらず、若いころから相当強い。
怖いものが好きというなら、私も相当好きだし、軒荻さんは常軌を逸するくらい好きだろう。彼はあまりお金にならないこの分野でしぶとく仕事を続けている経験を買われ、様々な人に重宝されているし、いつも忙しくしている。優秀で人格のバランスもいいから、分野にこだわらなければもっと稼げていたんじゃないかと、傍で見ていて思う。
「ネットの掲示板で怪談語りが始まったりするだろ。聞いた話とか、自分の体験談とか。夏になると特に多いよね。昔一緒に仕事してたフリーライターでそういうの得意な子がいてさ、特集組んでみたいと思って調べてもらったんだよ。投稿型の怪談サイトやら、『知ってる怖い話語ろうぜ』みたいなスレッドとか。類似の噂がないかどうかから始めて、そういう事件があったかどうか、シチュエーション的にありえるのはどこか、とか。まあ、調べられるほどの手がかりがあるものに限ってだけどね。もちろん彼も他の仕事と並行してだけど、一年くらいは続けたかなあ。まあ、伊藤ちゃんも想像つくだろうけど、手間ばっかりかかるわりに収穫は全然ない仕事でねえ。半分趣味みたいなものだった。少し手が空いたり、面倒な仕事が行き詰まったりすると、あれでもやるか、ってなもので」
面白そうですけどすっごく面倒そうですねと率直に言うと、そりゃそうだよ、道楽半分だからできたことだよ、金になんかならないよと彼は笑った。顔が広いこの人の伝手があったからこそ、優秀なライターがいたからこそ、ある程度は辿ってゆけたのだろう。こんな雲を掴むような仕事、いつまとまるのかもわからない。恐ろしく面倒そうな反面、面白そうだというのも素直な気持ちだ。実話系の怪談は、作家が練り上げた小説とは違う粗削りな味わいと真実味がある。
「不思議とね、十あったら一つくらいは本物らしきものがあるんだ」
「はあ。本物ねえ」
新しい企画か何かだろうか。
そうすると、この会話は採用面接のような意味合いを帯びてくる。知識や人脈を測られているのかもしれない。私はさりげなく水を飲み、酔いを追い払い、腹に力を入れた。次の仕事はいつだって欲しいのがフリーランスというものだ。
「まあ、本当にあった事件を参考にしたんだろうなって程度だよね。話とシチュエーションが似た殺人事件や失踪事件がある。類似の噂がいくつかある。どうやら元は同じ話らしい、とかね」
怪談の舞台と特徴が一致する心霊スポットがあったり、地方の民話に噂と類似が多い妖怪が出てくる、とかもあったな、と言う。怖いですねぇとあいづちを打ちつつ、それくらいは偶然の範疇じゃないかなとも思う。
店員を呼び止めて酒の追加を頼む。ハムカツも頼むことにする。ひどくお腹が空いていた。豚の生姜焼きや和牛竜田揚げ、焼き鳥盛り合わせを塩で食べたい。昼食はとったのに、どうしたのだろう。軒荻さんは塩辛をつまみ、たまにハイボールを飲み、ぼんやりと壁を見ている。
「でしょ? 結構怖いよね。でさ、投稿した本人と連絡を取って、これこれこういうわけなんだが、可能な範囲で具体的な話を是非にと頼むと、『あれは実は自分の創作で』って言われちゃってさ。これこれこういう時期にこの場所で事故があって、車に乗っていたのはこういう人たちで、こういう証言をしていて、過去にはこんな事件があって、って一致する点を順々にあげても、『そんなことは知らない。これは自分の作り話だ。本当にあったなんて信じられない』の一点張り。逆に怖がって泣かれちゃったこともあるよ」
「いやあ、私だってそんなふうに接触されたら泣きますよ。作り話が、本当に同じような事件がありましたなんて言われたら」
むしろよく警察沙汰にならなかったな、と思う。
「そうだよねえ。怖いよね。でもさ、ボク思うんだけどさ、作り話っていうのは結構本当になるんだよ。怖い話の書き手って毎年ぽこぽこ出てくるけどさ、いつのまにかほとんど消えてくじゃない。あれなんかさ、生きてんのかなあなんて、怖くなっちゃうよ」
「どうですかねえ。他のジャンルに転向したとか。仕事もらえなくなる人だっていっぱいいるでしょうし」
「まあねえ。伊藤ちゃん、オカルト好きだけどいつもけっこうドライだよね」
「オカルトはちゃんと好きですよ。エンターテイメントとして」
「そういう割り切った姿勢がさ、伊藤ちゃんの魅力だったんだろうな。キミのそういうところ、ボクは好きだよ。ドライなようでいて情熱もあるし、仕事はいつもきっちりしてた」
「やだなあ、何も出ませんよ」
なんだか本当にお腹が空いた。メニューにはおいしそうなものばかり並んでいる。安い割にいい店だ。和風みぞれハンバーグ、馬肉ユッケ、ローストビーフのマッシュポテト添え。既に夜中にしては食べすぎの量を頼んでいるが、追加をしてもいいかもしれない。彼の話に集中すべきだと思いつつ、メニューから目が離せない。生暖かい水が唇からあふれ、あごをしたたり落ち、テーブルにしみをつくった。
「本当に怖いものはいるんだよ、伊藤ちゃん。ボクらは結局それが好きなんだよ」
「ねえ、サーロインステーキ、頼みませんか」
「震えあがるのが楽しいなんておかしいよなあ」
「鶏モモの山賊焼きと、あとラムのスペアリブオーブン焼きと、」
いつのまにか私の隣には、ぎょっとするほど美人の店員が立っていて、大きな銀色の皿をテーブルに置いた。赤ん坊ほどもある大きさの生焼け肉がぬるぬると輝いている。ぷぅんとうまそうな匂いがする。ボジョレー・ヌーボーのように香り高い脂身だ。
私は大慌てでナイフとフォークを握った。
思い切り分厚い一切れをとった。
たまらず頬張ろうとしたまさにそのとき、おかしいぞ、と頭の隅にひらめくものがあった。おかしい。これは間違っている。そうだ、どうして忘れていたんだろう、もう2年も前に軒荻さんは、彼は、取材中に忽然と行方知れずに、
「なんだ、食べないのか」
残念そうに軒荻さんは言った。そこで、目が覚めた。
背中やひじに痛みを感じながら体を起こすと、そこは見慣れた自室のパソコンデスクだった。節々がみりみりと痛む。無理な姿勢で眠っていたせいだ。
ノートパソコンの画面には、完成間近の原稿がある。青少年向けの「怖い話」だ。噂話を題材にしてはいるが、あちこち色を付けて、ほぼ小説のようなものである。出来はまあまあといったところ。所詮は子供だましだ。
これは、だめだ、と思った。
私はほぼ完成しているものがたりを消去し、ゴミ箱からも消し去り、下書きや資料のメモも含めてできるかぎり痕跡を拭い去る。編集者にあててメールを打つ。トラブルがあって原稿が遅れること、約束の時間には間に合わないかもしれないが期日には必ず間に合わせる(彼女とは古い付き合いで、締め切りに必ず三日はサバを読むことを私は知っている。当人も私がそれを知っていると知っていて、やむをえず本当に真剣に頼めば、1日くらいは締め切りを伸ばしても次の仕事を恵んでくれる)こと。
怖い話を作るとき、知らずにどこかで一線を越えると、軒荻さんが夢に出る。
いい出来の話なら必ず出るわけでもない。どこかで読んだ話の焼き直しでも、どんなにくだらない話でも、出る時は出る。そうなると私はどんなに切羽詰まっているときでもその話をこの世から消し去ってしまう。かかわりを持つのが怖いのだ。夢に出る私はいつもどんどん様子がおかしくなる。ベテラン編集者の軒荻さん。いつの間にか行方知れずになった軒荻さん。後に彼の自宅から、食いちぎったような断面の人差し指が二十五本も見つかった。
ヘアブラシから採取されたDNAと照らし合わせる限り、すべて軒荻さん自身の指であるらしい。
本当にあるの怖い話 桐谷はる @kiriyaharu
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