エピローグ 篝火花

 文化祭の翌朝。ベッドの上で夢と現実の合間を揺蕩っていると、突然枕元のスマホがメッセージの通知音を響かせた。

 目覚ましが鳴るまでごろごろしていたい僕だけど、流石に他人からの通知を無視できるほど人が出来ているわけではない。誰からかわからないから取り敢えずスマホを見てみると、風車からのメッセージだった。


『昨日はどうだった?』


 そんな、まるで『昨日動いたの、知ってるからな』と言うかのようなメッセージに、僕はいつものようにこう返す。


『どうだったと思う?』

『それが知りたいから聞いたんですけど?』


 予想していたかのように、即座に返信がきた。まあ似たようなことは何回もやってるから当然なのかもしれないけど。

 僕は返信を打つ。


『付き合うことなったよ』

『マジ?』


 少しの間を置いて、三文字だけが返信されてきた。


『ホントだよ。牡丹にも聞いてみたら?』


 返信してから、今までのように『牡丹』で打ったことに後悔を覚えた。しかしメッセージは既読が付いてるし、一々消して直して送信っていうのも面倒なので、そのままでいいようにも思えてしまう。

 返信がこないで早くも二分くらい経った。先のメッセージで眠気は彼方へと飛んでいったので、仕方なく部屋から出て、朝食を食べることにする。珍しい日もあるものだ、と両親には驚かれた。



『本当だったんだな。で、どこまで進んだ?』

『一切進んでないよ』


 というか付き合ってすぐにそんなやるわけないじゃん。

 朝食を食べ、部屋でごろごろしていたら着たメッセージに脊髄反射のように返信を打つと、すぐに風車からの返信はきた。メッセージの内容を予想してるのかな?


『本当かぁ? 花蓮から牡丹さんの様子がおかしかったってネタは上がってんだぜ』


 ……あー、そういえば風車、一華ちゃんのID知らなかったっけ。香木さんにも話が回るのも当然か。


『集合!』


 風車に返信を打とうとしたら、一華ちゃんからメッセージがきた。

 ご立腹……なんだろうなぁ。

 窓から一華ちゃんの家──その二階へと視線を向ければ、顔を真っ赤にした一華ちゃんが仁王立ちでこちらを睨んでいた。取り敢えず写真に収めようとスマホを向けたらカーテンを閉められてしまった。残念。

 あまり待たせるのも悪いし後が怖いので、僕はさっさと寝巻きから身近にあったズボンと薄手の長袖を着て家を出る。親も僕が外に出る理由は一つしかないとわかっているので呼び止められることもなかった。もう少し干渉してきても怒られないと思うけどね? というか子供を信用しすぎじゃない?


■■■■


「あの、一華ちゃん? 僕いつまで一華ちゃん専用の椅子になってればいいのかな?」

「……」


 一華ちゃんの家に入って早々、不機嫌そうな一華ちゃんに腕を引っ張られて部屋に入ったと思ったら、何故か僕は一華ちゃんの背もたれにされた。なお僕の背もたれは一華ちゃんが寝ているベッド。そして抵抗権はない模様。

 なので些細な抵抗として、一華ちゃんを後ろからハグする。所謂『あすなろ抱き』というやつをやってみた。

 けどこれ、ちょっと諸刃の剣がすぎる。一華ちゃんの甘い香りが鼻腔と思考を蕩けさせてきて──普通にヤバい。


「ちょ、泉──!?!?!」


 慌ててふりかえって、顔の近さに驚いたのか、すぐにまた前を向いてしまう一華ちゃん。耳まで真っ赤にしてて可愛い。


「風車に言ったのはゴメン。けど、その内バレるのに秘密にする必要はないと思うよ」

「……絶対、花蓮ちゃん達に言ったら茶々を入れてくるじゃない」


 明らかに不機嫌そうに一華ちゃんは言う。

 確かに。でも僕らも風車と香木さんが付き合った時は目茶苦茶煽ったから因果応報なのでは? 口には出さないけど。


「それは仕方ないことじゃないかな? それに──」

「? ──ひゃ!?」


 僕は言葉を一旦切って、一華ちゃんの細い首筋にキスをする。


「泉!? ちょ、やめ──」

「人前で出来ないのような恥ずかしいことをしておけば幾ばくかマシになる、でしょ?」

「……いじわる。どこでそんなの覚えたの?」

「その昔、僕に大量に少女漫画を勧めてきたのは誰だっけ?」

「ぐぬぬ……」


 恥じらいや怒りやらで耳まで真っ赤にした一華ちゃんはぶすっとした様子で、僕に背を預けなおす。


「……で、何やるの?」

「乗り気だね。何からやる?」

「……」


 一華ちゃんは無言で頭を右に傾け、その白くて細い首を見せてくる。


「どうせなら、泉にしか付けられない『印』を付けてよ」

「……あのさ、吸血鬼いじりって何年前の話だと思ってるの?」


 確かに僕の犬歯って他の歯より長かったりする。それで僕は『吸血鬼』なんて大層な名前で呼ばれていたけれど、それでいじられたのは小学生の頃。それも低学年の時のみだ。

 まあそのおかげで少しだけ、僕は吸血鬼と首の辺りの血管について詳しくなったけれど、使うところのない雑学になってる。あ、でも中学の頃少しだけ役に立った。案外雑学も捨てたもんじゃない。


「十年は前の話だけど、今でも吸血鬼じゃん」


 さも当然というように、僕の犬歯が他の歯より突出して長いことを信じて疑わない一華ちゃん。まあ確かに他の歯よりか長いけれど。


「……あのさ、首って重要な血管あるし辞退していい?」

「肩でもいいから、早く」


 強情だなぁ。もう。

 しかしそんな彼女に惚れたのだ。僕は忠実に一華ちゃんの命令に従い、僧帽筋の端の辺りに目星をつけて、跡になる程度には力を入れて咬む。


「っっ!」

「……大丈夫?」

「うん……寧ろ、ちょっと嬉しい」


 再び僕に体重を預け、微笑みを浮かべて僕が咬んだ所にそっと触れる一華ちゃん。その声音はどこか艶やかさがあって心臓に悪い。


「──実はさ、泉と付き合い始めたのが夢なんじゃないかって、少しだけ怖かったんだ」

「……」


 突然、一華ちゃんはそんな話をし始めた。


「金木犀の下での告白も、キスも……私の深層心理が見せた夢幻ゆめまぼろしなんじゃないかって」

「……全部、本物だよ」


 段々と弱気になっていく一華ちゃんを、強く抱きしめる。


「でも、私だよ? 強気で、可愛げのないような、いじめっ子気質な私だよ? 泉には、いっぱい嫌なことしちゃってるって、自覚はしてたし」

「……僕が一華ちゃんを好きなことも、昨日キスされたその感触も、絶対に本物だよ。それに今の僕の心臓の音、聞こえてる?」

「うん……すごい。バクバク言ってる」


 一華ちゃんは苦笑気味に言う。

 平生を装っているけれど、その内情は真逆で、余裕がない。自制心や理性を総動員させてこれなのだ。


「……私、嫉妬深いからね」

「僕も独占欲が強いよ」

「束縛するかもしれない」

「浮気したら監禁しちゃうかもね」

「──知ってる。私もだもん」


 怖いなぁ。自慢気に言う一華ちゃんの言葉に対して、自分の心情ことは棚に上げて思う。

 似た者同士なんだなって。


「だから、絶対離さないから」

「離す気はないけど」

「それも知ってる──大好き」


 一華ちゃんは小柄な体型を活かして器用に振り返り、僕のことを抱き締めて言った。


「うん、僕も好きだよ。一華ちゃん」


 照れ臭さを隠すように、僕は少しだけ強く抱きしめ返す。


「そういえばさっき泉って呼ばなかった?」

「あれは……だって、昨日のことが恥ずかしくて……」


 語尾が小さくなっていき、グリグリと頭を僕の胸に押し付けるその姿は、可愛いの一言に尽きる。僕を悶え殺そうとしているのだろうか。

 あー、ヤバい。監禁してしまいたい。


「僕は嬉しかったよ」

「……バカ」

「成績優秀な一華ちゃんと比べればね」

「……鈍感。人誑し」


 ……後半は覚えがありませんけど?

 まだまだ罵倒の出てきそうな口を、僕は無理やり封じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暮れ方の金木犀は鮮やかに映る 束白心吏 @ShiYu050766

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ