第7話 金木犀
風車からゲームで菓子代を回収し、無事に文化祭が終わった教室の後片付けを終えた僕は、机の中に見覚えのない封筒があるのに気がついた。
差出人は──堂々と書いてあった。牡丹だ。
僕は教室を見渡す。自由解散だからか人はまばらで、牡丹の姿もない。
育った環境が似たからか、考えることは同じなのだろうか……いや、それは自惚れが過ぎるか。
牡丹からの手紙を読み、本当に似た者同士だと思いながら、僕は教室を出て行くと決めていた場所へと向かった。
牡丹が手紙で指定してきた高校の裏手には金木犀の木が何本か植えてある。校章のデザインにも使われている金木犀は、開校当初からあったらしい。
最近はたまに風に乗って微かな香りが鼻腔をくすぐってきて、季節の移ろいが感じられて面白いな、と少し思っていた。
「──待たせたかな。牡丹」
「ううん。少し前に私も来たところだよ」
牡丹は一番大きい金木犀の木の下にいた。普段なら来ないような学校の裏手、それも夕日の当たって幻想的に咲いている金木犀の下で佇んでいる牡丹は、その綺麗な黒髪に天使の輪を作り悠々としているためか神秘的にも見える。
この光景を見ていると、金木犀の下で待ち合わせというシチュエーションは中々珍しいかもしれないが、別段おかしなことでもないように思えてくる。まあそれもこの金木犀にあるジンクスが原因なのだけれど。
──花香る黄昏時、金木犀の下で告白すると初恋が叶う
そんな、この学校に通う生徒の一部しか知らない噂話。
故にここで待ち合わせ──もとい呼び出してまで伝える要件というのは一つしかなく、僕の心臓は異様なまでに脈打っている。
「珍しいね。泉が放課後に呼び出して話をするなんて……今までなかったんじゃない?」
「ま、まあね……でも、こうして呼び出すことは牡丹もなかったでしょ」
だから少し緊張してるの──と、僕が机に入っていた牡丹からの手紙をヒラヒラしながら言うのに倣って、牡丹は僕が机に入れた手紙をヒラヒラさせながら言う。
本当に緊張しているのだろう。その様子はいつもの牡丹とは違うことだけはわかる。そして、後ろ髪をまとめているから、気合いが入っているとも。
「──今回は、泉に最初を譲ってあげる」
「いいの?」
僕がそう問うと、牡丹は神妙な面持ちで頷く。
いつもとは違う真面目な雰囲気の牡丹を前に、僕は暴れる心臓を抑えるように深呼吸を一つする。
まさか対面していざ話すとここまで緊張するとは……今更ながら、一週間ほど前の牡丹の心象がわかった気がした。
「牡丹一華さん。僕と恋人として付き合ってくれませんか?」
いっそ一思いに……そう思い、振られる前提で、僕は一息に告白の言葉を口にする。
これは『縁』だ。
僕と牡丹が『仲の良い幼馴染み』から『小学校以来の腐れ縁』になるための縁。儀式とも言えるかもしれない。
故に、僕は目を瞑り、牡丹の表情をみないようにしてしまう。
「泉──」
「返事は……出来れば今、欲しい」
断られるとわかっている事に、あまり日をかけたくない。そして、彼女の足をこれ以上引っ張りたくないという感情が、初恋をさっさと諦めさせようと、そんな言葉を口に出させた。
「その前に、私からもいい?」
「……いいよ」
「──篝火泉君」
牡丹は神聖な儀式を行うかのように両目を閉じて僕のフルネームを呼ぶ。彼女の後ろにある金木犀が、絶妙な塩梅で夕日に照らされて黄金色に輝いており、牡丹の神聖さを更に引き立てる。
そして何気なく、牡丹が僕をフルネームで呼ぶのはこれが始めてだと気が付いた。
「私は──ううん。私も、君のことが好きです」
──これは夢なのだろうか。牡丹の口から紡がれた言葉は、僕の予想とは正反対の、何とも都合のいい言葉に思えて現実感を持てない。予想外すぎて、言われた今、とても気恥ずかしい。
「……正直、牡丹に好意を抱かれているとは思わなかったよ」
「そう? 私、泉以外の男子とは全然喋らないし、登下校もいつも泉と一緒だったよ。言葉にするのは難しいくらいには親しいし」
「まあ、確かに」
牡丹が嫌いな奴と登下校を共にする好き者でないとは知っている。しかし牡丹一華が僕を好いていると思えるほど能天気な思考を持ってるわけじゃない。
また牡丹の関係を言い表す言葉は僕も持っていなかった。幼馴染みというには遠くて腐れ縁というには仲が良すぎる。意味合いが少し異なってしまうから『遠くて近きは男女の仲』という諺もまた異なる。字面通りに受けとれば一番近いのかもしれないし、惚れてる僕からしてみるとその通りであってほしかったけれど。
長年同じクラスというだけで朝の挨拶と他愛ない雑談をしながら登校する程度の仲は、本当に筆舌し難い関係なのだ。だからかこの説明の難しい関係を疎ましく思ったことも少しだけあったりもしたが、今までは寧ろ心地よささえ感じているくらいだから、心象というのは不思議なものである。
だけど、まあ──
「なんだ。僕達、両想いだったんだね」
「うん……なんだか、言葉にすると可笑しく思えてきちゃうね」
牡丹はそう言って笑う。僕もつられて笑う。
本当にそうだ。一体どれだけの間、僕達は両片想いを続けていたのやら……それを思うと、今までの自分が滑稽に思えてくる。
「……でも、本当にいいの?」
「うん。私も泉のこと、好きなんだから」
そう言って牡丹は笑う。せっかちな部分はあるが、彼女は優良物件だ。内面はともかく外見は良く文武両道。背丈も比較的高く、スタイルも良い。ついでに顔もいいとか、神はお前に何物与えているんだって感じがするくらいには美しい。
それに比べ僕といったら特徴のある人間ではない。学校では普通に授業を受け、家では好きなようにダラダラと過ごす凡人。この時点で比べることすら烏滸がましく感じてくる。
たぶん牡丹は釣り合わないとか、そんなことを思ってもいないし考えてすらいないだろう。
「じゃあ、無事に恋人関係になれたし、そろそろ帰ろう。一華ちゃん」
「──!? うん」
夕焼けに照らされながら、僕と一華ちゃんは肩を並べて、金木犀の花の香りが漂う学校の裏門から出る。
手は自然と、どちらからともなく絡み合い、僕と一華ちゃんは思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
「こうして歩くのって、何気に初めてじゃない?」
「いつも並んで歩いてたけど、ここまで近くなかったし、手も繋いでなかったからでしょ」
「そうかも」
手は繋いだまま、軽い足取りで僕と一華ちゃんは学校裏の住宅街を歩く。
前も思ったけれど、一華ちゃんの手は華奢だ。実際に握るとそれを強く実感して、ちょっと力を入れたら壊れてしまうのではないかと思ってしまう。
何故か今日の帰路は短く思えた。会話もそれほどなかったのに家の前に着くと「もう着いてしまった」なんて思ってしまった。
「もう着いちゃったね」
「そうだね」
一華ちゃんも同じことを思っていたようで、繋がれた手は中々離れそうにない。
「……ねえ、泉」
「? どうしたの一華ちゃ──ん!?」
脈絡もなく呼ばれて体ごとそちらを向くと、一華ちゃんの顔が近付いてきて、そのままキスをされた。
啄むような一瞬の接吻。されど僕を固まらせるのには十分な威力だった。
「ま、また明日ね、泉!」
「──」
耳の先まで真っ赤にして、一華ちゃんは逃げるように家に入ってしまう。
僕に出来たのは、その光景を見ていることだけ。それから十秒ほどしてやっと脳が再起動した。
「……それはズルすぎるって」
僕は唇に残ってる感触と彼女の微かな残り香に、顔が熱くなるのを感じながら、自分の家に入る。
──牡丹一華の恵まれた容姿や天賦の才に昔から憧れていた。
それを妬んだ時期もあったし、羨んだこともある。それらと共にこの想いは昔から変わらずに在ってそれは今日、見事に叶えてしまった。
玉の輿に乗った気分だ。一目惚れから始まった、叶わぬと諦めていた初恋が、まさか行動ひとつ、縁ひとつで叶ってしまうとは思いもしなかったのだから。
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