戦闘開始
家ではオセを避けるようにして過ごした。なるべく顔を見ないようにして会話もしていない。それでもオセは平気で菊の部屋に入ってきて過ごしている。気を遣う事ができないのか、わざとやっているのかはわからなかったが菊はすぐに寝る事にした。風呂から上がるとすぐに自分の布団に潜り込み目を閉じた。
それからしばらくたった。一時間か二時間ほど眠っていると菊はオセに起こされた。
「菊、起きろ! 昨日のやつだ」
短い睡眠とはいえ、菊の頭は少しぼんやりとしていた。寝起きに言われてもすぐに理解が追いつかなかった。
「早く家から離れるぞ」
「どう言う事ですか?」
「昨日の男がこの家に近づいてきてる」
必死に菊の体を揺さぶる姿に、これは冗談や嫌がらせではない事を菊は感じ取った。
「なんでバレてるんですか」
「それはわからない、だが確実にここに近づいている。それも、わざわざ気配を気づかせるために力まで使ってな」
「どうすれば」
「ひとまず外に出るぞ、母親を巻き込みたくはないだろ」
菊は大急ぎで家を飛び出した。オセの情報が正しければ、まだ少しは距離があるらしい。ひとまず夜の人気が少ない近所の大きな公園にいくことにした。公園へと向かいながら何度も後ろを振り返るが、その男の姿が菊の視界に映る事はなかった。だが、確実に後ろをつけてきていて一定の距離でつけられていた。
公園に着くと周りに人はいなかった。時刻は夜の十二時をもう少しで迎えようとしている。あたりは真っ暗で、公園内の道を照らす等間隔で並んだ外灯だけが眩しく光っていた。時折遠くから改造された車かバイクのエンジン音だけが聞こえてくる。それ以外は人や動物の声は聞こえない静かな夜だった。
菊は公園内でも比較的外灯の多い明るい場所にくると後ろをむいて叫んだ。
「なぜ僕の後ろをついてくるんだ!」
静かな公園に菊の声が響き渡った。
理由を聞いたのはいいが、菊にはなぜつけられているのかなどすでにわかっていた。自分を殺すためだ。わかっていてもこう聞かずにはいられなかった。
菊の大きな声が公園に響いた後、再び静寂が戻ってきた。改めて静かになると、外灯からジーと言う音が微かに聞こえてくる。
コッコッコッ
静かな空間の中で革靴が地面に当たる音が聞こえてきた。菊の前にある外灯に照らされた、明るい場所の奥の暗闇からその音は響いてくる。その足音は徐々に菊とオセがいる方へと近づいてきている。
菊は思わず唾を飲み込んだ。頬に気持ちの悪い汗が流れ、手も手汗でぐっしょりと濡れていた。
近づいてきた足音はついに外灯で照らされた地面の上までやってきた。
やはり、昨日港の倉庫で見た初老の男だった。革靴を履いてスーツを着ている。上着の白いワイシャツは腕まくりをしていて、筋肉質のたくましい腕が見えている。右腕には脱いだスーツの上着をかけ、両手には黒い革の手袋をしている。
一見すると、優秀なビジネスマンといった格好だ。
その男は菊に声が届く数メートル先の該当の下で立ち止まった。
「初めまして、鍵谷菊くんでよかったかな?」
菊は男を警戒して見ているだけで、その質問には答えなかった。
「一応確認だけど、王戦参加者でいいんだよね? 隣にいる女の子が悪魔で」
王戦の参加者同士が出会ったらすぐに殺し合いが始まるのかと思ったが、どうやらそうではないらしいと菊は少し安堵のため息を漏らす。二つ目の質問に菊は小さく肯いて答えた。
「わかった、それじゃあ戦いを始めたいんだけど良いかな」
男は革の手袋を付け直しながらそう言った。
菊が息をついたのも束の間すぐに戦いを始めようとしていた。まだ覚悟が決まっていなかった菊は、何か話をして戦いを先送りにしようとした。話したところで、何かが変わるわけでもなく最後には戦わなければいけないのだが。
「あ、あの! なんでそんな簡単に人を殺せるんですか?」
混乱して思考がまとまらない中で出た質問はこれだった。
菊はひとまず意味があるかはわからないこの会話を続け、その間に逃げるか戦うかの作戦を考えることにした。
男は少し驚いたような表情を浮かべた後、ゆっくりと答えた。
「もちろん王になるためって言っても、そんなことが聞きたいんじゃないんだろうね」
なぜか少し楽しそうな薄い笑みを浮かべている。
男は付け直していた手袋をもう一度外すと胸ポケットにしまい代わりにタバコとライターを取り出す。タバコに火をつけ口から白い煙を吐き出すと話し始めた。
「君は自分の力でどのくらいの人を守れると思う?」
その質問に菊は数秒思考を巡らせて答えた。
「僕が人を守れるとは思いません」
守りたい人と考えてすぐに浮かんだのは香奈の顔だった。しかし、守るどころか守られているだけだ。そんな自分に他人を守れる力があるなどとは思えなかった。
「そうか、君は自分に力があると過信したりはしないんだな」
男はタバコをふかしながらそう言った。浮かべている笑顔はどこか自嘲した笑顔のように菊は感じていた。
「改めて自己紹介をしようか。私の名前は篠崎秀一と言う、これから殺し合いをしようってときに呑気に自己紹介とは不思議な感覚だよ」
ふっと鼻で笑って話を続けた。
「私は昔自衛隊にいたんだ。私がこの国のみんなを守るんだって大きな夢を持って入隊したよ」
懐かしいなと小さく呟いた。
「誰よりも強い男になって目の前で助けを求め手を伸ばす人は救うつもりだった。毎日毎日訓練に明け暮れ、自分の成長を実感したり階級が上がったりすると不思議と強くなった気がして自身だけは一人前になっていた。だけど現実はそんなに甘い世界じゃなかったんだ」
一本目のタバコを吸い終わると、二本目を咥えて火をつけた。
「もう少しかかるがこんな話でよかったかい? 歳をとるとつい自分の昔話を話したくなってしまうようだ」
「はい、聞かせてください」
菊はまだ作戦を思いついてはいなかった。思いつくまでもう少し続けてもらわないと困るので話の続きを促した。それに少しだけだが、篠崎の話が気になってもいた。
「二十代を折り返すぐらいのとき、自衛隊でもかなり上にある特殊部隊に入ることができた。一般人には公開されていないような隊だった。そして俺は海外の紛争地帯を飛び回った。もちろん公になどされない、活動だ。紛争に巻き込まれて死んでしまう子供を一人でも多く救うために、そのためなら殺しだってする。そんな仕事だった」
篠崎は少しの間空を見つめるようにして、無言になった。しばらくして、大きな深呼吸をすると再び口を開いた。先ほどまでとは違う悲しそうな表情が菊の目に映った。
「いくつもの戦場を渡り歩いてたくさんの命を救ってきた。戦闘能力のない女性や子供を多く救い出している自分に酔っていた。浮かれていたのだろう。あれはそんな私に神様が与えた罰だったのかもしれない」
二本目のタバコの吸い殻を小さな灰皿に入れると、胸ポケットにしまった。
「目の前で幼い女の子が殺されたのだ。どこの国かは忘れてしまったが、国境沿の亡命が絶えない場所での戦闘だった。その少女も国境を超えるため銃弾の雨の中を必死に駆けて来た。私もその少女を一秒でも早く安全な場所に隠すため手を伸ばした。なんとか少女の手を掴み私の隠れている物陰に引っ張ったが、もう手遅れだった。飛び交う銃弾の一発が少女の首筋に命中していた。私の腕の中でゆっくりと目を閉じてそのまま覚めることはなかったよ」
菊は最初に自分が何の質問をしたかも忘れて、話に聞き入っていた。
「自分の無力さを痛感したよ。後一秒早ければと今でも毎日後悔している。しかし、どれだけ鍛えてもその一秒は手に入らないことも知ってしまった。それで私は不様にも戦場から逃げ出した。だが、一度逃げ出した戦場にもう一度だけ戻れるチャンスが訪れた」
「王戦・・・・・・」
「そうだ、これは神様が私に与えてくれた最後の試練だと思っている。71人。私がその罪を背負うことであの少女が笑顔で過ごせるのなら、私は喜んでその罪を背負おう」
篠崎はタバコを吸うために外していた革の手袋を付け直すと、菊の目を見るように前を向いた。
「これが、私が人を殺す理由のようなものだ。納得して貰えたかね?」
「ええ、まあ」
菊は篠崎が巻き込まれただけであろう王戦に目的を持って挑んでいる事に驚いていた。そして、この場で戦っても死ぬだけだと感じた。自衛隊の特殊部隊と言われただけで勝ち目はゼロに等しい。そして、王戦に挑む気持ちが菊とは百八十度逆だった。そんな相手にかなう気はせず選択肢は逃げの一手に決めていた。
「それでは、セーレ君よろしくお願いします」
「承知しました」
突如篠崎の後ろから青年が現れた。非常に整った顔立ちでいわゆる美少年と言われる部類の顔で、背は篠崎よりも高くすらっとした体型だ。暗かったため菊にはすぐに視認することはできなかったが、セーレと呼ばれた男が外灯の下に立つと執事の服装をしていた。白い手袋をはめ、シワひとつない燕尾服を身につけている。
セーレは篠崎からスーツの上着を預かると、菊とオセのいる方向を向いて二人に挨拶をした。
「お久しぶりです、オセ」
セーレはそう言うと、二人の方向に深いお辞儀をした。
「お前も相変わらずだな」
オセは笑ってセーレに答えた後、菊に向かって忠告した。
「菊、あの男から目を話すなよ」
「え? どうい・・・!!!」
菊が篠崎の方に意識を向けると、そこにはセーレの姿しかなかった。近くに立っていたはずの篠崎の姿はどこにもない。
「後ろだ! 菊!!」
ソロモン みつやゆい @mituya-yui
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