怒り

「ねえ菊、あの子のこと好きなの?」


 学校にいる間姿を消していて見えなくなっていたオセが、気がつくと菊の横に並んで歩いていた。


「ずっとみてたんですか」


「そばにいたよ」


 菊はオセに聞かれた最初の質問には答えずに無言で歩き続けた。


 その様子をみてオセは楽しそうに笑みを浮かべながら菊の顔を覗き込んでいる。


「いつもああやって逃げるの?」


「なんのことですか」


「君もわかってるんでしょ、今日彼女を迎えにくるのが彼女の両親じゃ無いことくらい」


 その質問にも菊は無言で答えようとはしなかった。


 そして、それを見たオセはさらに広角を引き揚げ不気味な笑顔を浮かべる。


「彼女の身を犠牲にしてまで守ってもらっているのに、彼女のことが好きだなんて都合が良すぎないかい?」


 オセはお気に入りのおもちゃを見つけた子供のようにはしゃぎながら、菊の周りを回り始めた。


「これじゃ彼女が可哀想だよ、大切な体を穢されてまで守った男の子がこんなにもへたれだなんて。彼女に同情するよ」


 菊は何か言い返したかったが、何も言い返す事はできなかった。代わりに奥歯を強く食いしばった。


「君は彼女を守ろうとは思わないのかい?」


「僕に何ができるって言うんですか」


 菊は立ち止まるとそう言った。


「彼女を救えるんじゃないかな」


 オセが菊の背負っていたカバンから本を一冊取り出すと菊に手渡した。


「ほら、イメージして見て。あの時みたいに、本をナイフに」


 頭の中でイメージすると、菊の手に握られていた本は簡単にナイフへと変化した。


「せっかく便利な力があるんだから活用しなきゃ。今なら簡単に彼女を不幸にしている元凶を殺せるんじゃない?」


 菊の耳元に口を寄せたオセが小さな声でそう囁いた。生暖かい吐息と共に聞こえたその提案は菊にはとても魅力的なものに感じた。


 オセはさらに続ける。


「ほら、早くしないと彼女は今も傷ついてるよ。君のせいで」


 頭の中がふやけていく感じがして、菊の思考はうまく回らなかった。


「それで一刺し、簡単でしょ」


 菊の呼吸が荒くなり、無意識のうちに手に握っていたナイフを強く握り締めていた。頭の中にはあの男のにやけた顔が鮮明に浮かび始める。殺意の感情で溢れかえり、すぐに飛び出す寸前だった。


「つっ!!」


 右手に走った痛みで菊は我に返った。右手に持ったナイフをあまりにも強く握り締めていたため、爪が食い込み血が出ていた。


 流れる血を眺めながら、自分が考えていた事が恐ろしくなりはじめる。あまりにも簡単に人を殺そうとしていた事実に驚いていた。右手の痛みがなければすぐに大葉の元に走り出していたかもしれない。


「戻れ」


 菊は右手に持ったナイフを元の本に戻すと、オセを置いて早足で家へと向かった。これ以上オセの顔を見ていると、またおかしくなりそうに感じたのだ。

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