ミッドナイトの夕暮れ

柏木祥子

ミッドナイトの夕暮れ

 それが彼の所為かは知らない。ただ、彼がある種の天運のようなものに恵まれていたのは、確からしいことに見えたし、我々不可知論者からすればキリスト者たちの主張するように天地天命を信ずる使徒たちが、彼の運に対し、不幸を叫ぶことで立証を果たそうとしていたのは事実だ――もとい、事実のように見える。

 我々不可知論者的に言えば、彼は死にたいと主張していた。彼は二〇だった。天才ではなかったが、神童も二〇過ぎればただの人、という言葉を本気で信じている手合いだった。彼は未必の故意や、認識ある過失に基づいて、ワンダーフォーゲル部に入っていた。もちろん、熊に遭遇するためだ。槍ヶ岳を二回、北岳に三回登頂したが、けっきょく熊に遭遇することはなかったので、彼は運転免許を取ろうとした。が、これもうまくいかなかった。自身の天運によって、目を悪くつくられていたからだ。この場合の悪いというのは視力の話ではない。視野の話である。

 彼は一年の終わりまでワンダーフォーゲル部にいて、その翌年は廃墟巡りにはまっていた。夏に福島のダーク・ツーリングに参加しようとしたものの、費用が足りず代わりに被災地へのボランティアに参加した。わたしはそこで彼と出会った。

 誤解のないよう言っておくと、わたしは死にたいと思っていないはずだし、ボランティアでなにかを得ようとも考えていなかった。あそこは宗教のるつぼだ。彼らの崇め奉る神や信仰心が毒電波となって襲い掛かってくるかのようだ。それでも参加したのは単位のためだった。あの年のわたしは単位が足りなかった。彼はずっと死にたいと零していた。気味が悪いので、同じボランティアからは敬遠されていた。わたしも敬遠していたが、偶然作業がいっしょになることが多かったので少し話すようになった。

 わたしの知っている限り、彼の死にたいという感情が、もう少し上のステージに達したのは、二年の終わりのことである。彼は二一だった。酒を記憶がなくなるまで飲むのが趣味だった。わたしもときどき彼と一緒に飲んだ。あるとき彼になぜそんなに死にたいのだと訊いた。酔っていたのだ。彼は知らないと答えた。「知らないが死にたい」そう答えてジントニックに手を添え、狂ったように笑いだした。しかしこれは、酒のせいである。彼がほんとうに狂っていたわけではない。

 彼が二二の誕生日を迎えるとき、わたしは彼になにが欲しいかと訊いた。彼は少し悩んでいたようだが、上等な酒が欲しいと言った。このころになると、彼は死にたいと主張しなくなっていた。

 しかしもちろん、彼は上等な酒など欲しがっていなかったわけで、彼が欲しいのは結局のところ死だった。死は終わりであり、死の感覚は絶えず我々のそばに横たわっている。我々不可知論者的には死は経験しえないものなので、別に気にする必要のないものだが、死に対する原始恐怖を持っていないわけではない。死は近づきたくないものだが、絶えず近づいているものでもある。

 それからしばらくして彼はわたしに車を出してほしいと願い出た。どこに行きたいのかと訊くと東中野市に行きたいと言った。みんな覚えてないだろうが、この頃あの辺りで連続通り魔が出ていたのだ。彼はそれに会いたかったのだ。彼は知らなかったが、わたしが了解したのは彼が上等な酒など欲しがっていないと知っていたからだった。遅れた誕生日プレゼントのつもりだった。わたしたちは東中野市に二日滞在し、三日後の二限の時間に帰ってきた。講義には出なかった。

 次の年、彼の誕生日に、わたしたちは再び車で遠出をした。三重の進登市というところだ。もちろん知っているだろうが、失踪事件が続いたところである。わたしはどうせ彼が死なないと思って、就職の話をした。周囲はみんな就活に出ている時期で、わたしも幾つもの社に面接へ行ったりしていた。わたしは彼にどこに就職する気かと訊いた。彼の髪はぼさぼさで、目に生気はなかった。「どこか適当なところに行くことになるんだろう」と彼は言った。「ちょっとは探してるんだ。きっと何か営業とか、小売店とか、とにかくなにかになるんだろう」そういって彼は窓の外へ目を転じた。

 進登市の安ホテルにチェックインすると、彼はわたしになにも言わず外へ出て行った。人が殺されたところを回って、それから帰ってくるのだ。わたしはというと、なにもやることはないが、彼のためにコンビニでおにぎりとコーラを買っていた。それからトルーマン・カポーティの『冷血』を読んで彼を待った。ところが彼は帰ってこなかった。

 信じて欲しい。わたしは二時まで部屋で待ち、二時半には外へ彼を探しに行った。人が殺されているせいか単純に深夜だからか人通りはほとんどなかった。

 わたしは彼が向かうであろう場所を周り、彼が推理したであろう場所も周った。

 わたしは神社の階段の下で人に帰れと言われた。長身痩躯の女で自分をオテサーネクと名乗った。オテサーネクは怪物だ。オテサーネクは「彼は死んだから帰れ」と言った。そしてこちらに紙片を手渡した。そこには彼の字で『僕は死んだ』と書いてあった。

 わたしはオテサーネクに「彼はどのように死んだのか」と訊いた。

 オテサーネクは「彼は眠るように死んだ」と答えた。そして「私が食べた」と付け加えた。

 オテサーネクは詳しくものを話した。「私は彼を食べた。私の肌から分泌される粘液にはたんぱく質を分解し、肉を柔らかくする。それで彼をゲル状にした。それから崩れないように少しずつ食べた。生きたまま食べるのが一番だからな。私はお前たちとほとんど同じ体だから、口が小さい。だから食事には苦労するんだ。ずるずると指先から少しずつ吸い込んで食べるしかない。足は縦に割って食べるが、今日は骨が溶けるのを待ちきれなくて、少し編み砕かないといけなかった。続いてペニスだが、これはもともと柔らかいから、簡単に食べられる。残った部分はやはり細かく割っていった。先に内臓を食べるんだ。消化器官は麺類のようなものだ。肺や心臓は、とっておくことも、ついでに食べてしまうこともある。結局最後に残るのは頭さ。頭はごちそうだ。目は他の器官にはない味と噛み応えだし、脳も不思議な味がする。味噌というから、ディップのように使えると思うかもしれないが、こりこりとして実はちゃんと歯ごたえがある。エナメル質は最後のとっておきだ。溶けづらいからかなり硬い。しかしあれをバリバリとやるのは歯の健康にいい。私は食物にはなるたけの敬意を払っている。だから安心するといい。彼の体はすべて私が食べた。ネクタリンのように柔らかだった」

 食べたのなら仕方ない。「食べたのなら仕方ない」とわたしは言った。

 わたしは家に帰った。

 リクルートスーツを着て就職活動をした。我々不可知論者的にはあり得ないことだが、彼の呪いが祟ったか、ケチな商社に就職した。

 その後、わたしは、一度だけ三重県進登市を訪れた。

 感傷だと思うだろうか、驚くなかれ、わたしも感傷からこうしているのだとそのときは思った。事件の後は根深く残ってなどいなかった。オテサーネクも、彼の死体もなかった。それで結局、わたしはホテルに泊まって、名物の酒まんじゅうを買って地元に戻った。

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