第35話 野豚迎撃準備

 豚王国の国土の九割は平原である。そのまた九割をキャベツ畑が占めている。つまり、豚王国を訪れる者は豊かだが単調な風景の中を旅することになる。

 ブダペスト郊外はことに、きちんと整備された一大キャベツ地帯であった。

 キャベツ畑の一部は、豚牧場になっている。畑に放牧された家畜豚は、しあわせそうにキャベツをもりもり食べている。

 ロンドン軍はそのキャベツ畑と豚牧場をつらぬく街道を猛烈な速度で行軍していた。全軍が飛脚並みのスピードで移動するという記録的な行軍であった。

 ロンドンの戦略では、野豚と戦端を開く前に、火攻めと水攻めの準備を完了させておく必要がある。一日でも早く煉獄盆地に到着することが勝利への第一歩なのだ。

 急造将軍ロンドンは、事の重大性を全兵士に理解させようと、速豚にまたがって兵士たちの間を駆け回った。

「野豚を粉砕せねば、やつらにキャベツを食い尽くされてしまう。おれたちの食い物がなくなってしまうんだ」

「大変なことになってしまう。国民は飢え死にする」

「野豚の進路上の都市は廃墟と化す。ブダペストも壊滅する」

 彼は兵士に向かって叫びまくり、この強行軍を実現した。そんなことをしなくても「上官には絶対服従」とのモラルが徹底されている豚王軍の兵士は命令に従ったかもしれないが、ロンドンの絶叫演説は兵士たちに「変な将軍だが、あの必死さは買える」との評価を抱かせることになった。

 こうして、ロンドン軍は三日で煉獄盆地に到着した。その日、全軍は死んだように眠りこけた。

 翌日から早速、野豚迎撃準備が始まった。ロンドンは兵を二隊に分け、一隊をラックスマンに指揮させて火攻めの準備をさせ、一隊を自ら率いてレテ川の堰き止め工事に当たった。

 ラックスマンが担当した火攻めの準備は、燃やす物が極端に不足していることがネックになり、困難を極めた。かつて生物が満ちあふれていた時代には、敵が進行してきた野山を焼き払えば、それで火攻めが成立したが、今ではそういうわけにはいかない。

 ラックスマンはまず、大量の可燃物を集めねばならなかった。

 彼は兵士を煉獄盆地周辺の町や村に派遣し、乾燥キャベツや干した豚肉を集めさせた。煉獄盆地に自生していたキャベツはすべてひっこ抜き、葉っぱをちぎって天日で干した。東の遺跡に朽ちた木材があると聞けば取りに行かせ、西の炭坑に石炭が残っていると知ったらたちまち採掘隊を組織した。「燃えるもの燃えるもの」と彼は考え続け、ついに一万人の兵士全員の頭髪すら徴発した。ロンドン軍は、将軍以下全員丸坊主となったのである。

 それでも、野豚を焼き尽くすか、せめてその進路を変えるには、集まった可燃物ではまったく足りなかった。ラックスマンは実際に野豚の大群を見ているだけに、巨大な可燃物の山をつくりあげねば、とてもじゃないが対抗できないとわかっていた。「足らん足らん」が彼の口癖となり、一片の枯れキャベツを求めて視線を地面に彷徨わせるのが習慣化した。

 集めた可燃物は白骨砂漠へ向かう街道の交差点の北に積み上げた。これを燃え上がらせて、野豚の大群が進路を砂漠へ変えてくれれば作戦成功である。ブタペストは守られ、野豚は砂漠で飢えるしかなくなるだろう。ここにでかい可燃物山をつくるのだ、と決意してラックスマンは懸命に働いた。兵士たちを叱咤激励した。しかし集積された可燃物は野豚の進行を阻むにはあまりにも少なかった。ラックスマンは心もとなそうに可燃物の小山を見つめ、ため息をついた。

 一方、ロンドンが担当するレテ川堰き止め工事も難行していた。なにしろ豚の到来までと期限がきびしく決まっている。それまでにレテ川を堰き止めるダムを建設し、水量豊かな人工湖を用意せねばならない。これは、ウルトラ突貫工事となった。

 レテ川はブダペストからブダノーサ方面へ向かって穏やかに流れている河川だ。ロンドンは煉獄盆地手前にダムを建設し、火攻めが失敗したら盆地を洪水にして野豚を溺れさせるつもりだった。

 手抜き工事だろうが、建築基準法違反だろうが、とにかくダムをつくらねばならない。ロンドンは兵士に命じて巨大な岩石を川にどかどか落とさせ、隙間を大量の土砂で埋めるというやり方をした。彼は山をひとつ削り取ってでもダムをつくるつもりであった。

 作業中、毎日数名の兵士が川に落ちたり、巨岩の下敷きになったりして死亡した。しかし、ロンドンは鬼と化して叱咤の声を緩めなかった。なにしろ豚王の命令下、王城前広場で指なし党員を虐殺した軍である。彼らは命令には黙々と従った。このことだけは、ロンドンも豚王に感謝せざるを得なかった。まさしく、豚王軍は地上最強の軍隊であった。

 にもかかわらず、仮設ダムの建設は遅々として進まなかった。慣れない土木工事に、犠牲者は増えるばかりである。

 野営地では、ロンドンもラックスマンも互いの仕事のはかどらなさを反映して不機嫌だった。

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