第36話 金策

「足らん足らん、金が足らんよ」

 ラックスマンが安酒をちびりちびりと飲みながら言った。

「そうだなぁ」

 ロンドンが浮かない顔で答える。

 豚王は一万の軍隊は与えてくれたが、軍資金はろくに用意してくれなかった。一万人の一か月の食費相当分が支給されただけだった。もっと金があれば労働者を雇えて急ピッチで堰き止め工事が進むだろうし、可燃物だって大量に仕入れることができる。

 ロンドンの二段構えの作戦は、限られた時間と人員と金で行うには、あまりにもでかすぎた。いくら奮闘しようが、しょせんは一万の小勢だ。このままでは火攻めも水攻めもどちらも中途半端なまま終わってしまうかもしれない、という焦りが早くも二人の心に忍び寄ってきていた。

「もっと金があればなぁ」とラックスマンがぼやいた。

「金があれば物乞いみたいな真似をしなくても、もっと可燃物を手に入れることができるんだ。略奪でもすれば別だろうが、まさか豚王国内で豚王軍に略奪させるわけにはいかねえ」

「可燃物はそんなに足りないのか?」

「ああ、今の倍はほしいね。金さえあればなぁ……」

 ラックスマンは残り少なくなった杯を空け、おかわりを注ごうとした。しかし、酒瓶は空になっていた。

「くそっ!」

 彼は酒瓶を放り投げた。

「金か。金をつくれば、おれも労働者が雇えるし、上等な酒だって買えるんだよなぁ」

 ロンドンがコップに残った最後のひと口の酒をのどに流し込んだ。

「そうさ! アルコール度数七十度の酒を買って燃料にできるんだ!」

 ラックスマンの思考は可燃物から離れられなくなっていた。

「仕方ねえ。へそくりを出すか……」

 ロンドンが渋々とつぶやいた。

「けっ、おまえのへそくりぐらいじゃ意味ねぇよ」

 ラックスマンが吐き捨てるように言う。

「これでもか?」

 ロンドンはテーブルの上にひとふりの短刀を置いた。それを目にした瞬間、ラックスマンはごくりとつばを飲み込んだ。

 その短刀は、純金製であった。柄には豚王家の家紋である豚鼻マークが刻印され、その周りに何十個もの宝石が埋め込んである。陽光の下で見れば、眩いばかりにきらめいているにちがいない。

「こいつはすげえ! どこで手に入れた?」

「王城からくすねてきたのさ。この程度のもの、あそこには腐るほど飾ってある。おれは少将になったとはいっても、ちんけな階級章をもらったきりで、一銭も豚王の禄は食んじゃいない。これぐらいの報酬はもらってもいいだろう?」

 ロンドンはニッ、と笑った。

「てめえ、これだけのものをこの命懸けの戦いに提供しないで、私腹を肥やすつもりだったのか? このおれに分けようともせずに? ぶっ殺してやる!」

 ラックスマンが激昂した。

「ごっごめん! 許してくれ。いや、おまえには山分けするつもりだったとも。信じてくれ!」

 ロンドンはゲンコツを振り回すラックスマンから逃げまどった。ポカリ、と一発叩いてようやくラックスマンは静まった。

「まぁいい。今この瞬間からこの短刀はおまえのものでもおれのものでもなくなった。おれたちの軍資金だ。いいな?」

「わかってらぁ。だから今見せたんだろ」

 ロンドンは不貞腐れていた。

「よし。で、いくらぐらいの価値があるものなんだ? 一億円ぐらいか?」

「莫迦を言うな。こいつに埋め込まれている宝石は真珠だ。古代生物真珠貝の体内でしか生成できなかったこの世で一番高価な宝石なんだ。時価二十億円ってところかな」

 ロンドンは愛おしそうに真珠に触れた。古代生物学者にとって、それは価格以上の価値を持つものなのだ。軽々しく値段はつけられない古代生物の痕跡だ。

「そいつはすげえや! よーし、豪快に売り払ってやろうぜ!」

 ロンドンの惜しがる気持ちを知らず、ラックスマンは言った。

 翌日、二人は短刀を換金した。宝石商との激烈な駆け引きの末、彼らは十三億円を手に入れた。

 次はこの大金をぱぁーっと使い切るのだ。これまでの人生のほとんどを貧乏な旅人として過ごしてきた二人は、かなりやけくそな気分で、大散財することを決意した。

 ラックスマンは五千人の兵士に十万円ずつ渡し、何でもいいから燃える物を買ってこい、と命令した。その金の一部は着服されたようだったが、それでも兵士たちはキャベツ紙やら豚革やら思い思いの品を両手いっぱいに抱えて帰ってきた。

 十万円という金額には、キャベツが千個は買える価値がある。良心的な兵士は何十往復もして、可燃物を煉獄盆地に運んできた。ラックスマン自身は一億円持って買い物に出かけ、掘り出し物と言えるガソリン満タンのドラム缶五十缶を購入することに成功した。古代遺跡に残っていた珍品だ。

 兵士たちの可燃物買い出しはさらに劇的な効果をもたらした。付近の町や村に、ゴミでもなんでも燃えるものを持って行けば兵隊さんが買ってくれるという噂が流れ、連日煉獄盆地に人々が可燃物を売りに殺到するようになったのだ。

 可燃物山は急速に成長し、巨大化した。大ガラクタ市が開けるほどの雑多な品物と干した豚とキャベツの山は、古代大量消費時代のゴミ処理場もかくやと思わせた。盆地中に異臭を放つようになった可燃物山を前にして、ついにラックスマンは喜色を浮かべた。

 大金はロンドンのレテ川堰き止め工事も飛躍的に進展させた。彼は近隣の町と村から大勢の工事人を呼び込んだ。さすがに彼らはプロだけあって兵士よりも数段手際がよく、ロンドンがボーナスをはずんだこともあって、それから二週間でダムはいちおうの形を整え、人工湖に水が貯まり始めた。

 兵士たちは大歓声をあげ、このぶっ壊されるためにつくられたダムの完成を祝った。彼らの顔に、野豚め、いつでも来い、という気迫がみなぎった。

 そして、ロンドンは最後の金を注ぎ込んで貴重品の爆薬を購入し、ダムの基底部にセットした。

 野豚迎撃の準備が、ここに整ったのである。

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