第29話 皆殺し
決起集会対策総司令部の緊張は高まっていた。
集会が始まってから、豚王は展望の間の奥にどっかと座り込んだまま動かない。何の指示も出さず、ただギリギリガリガリと耳ざわりな歯ぎしりの音を立てるばかりである。ときどき、ボキバキと王の口からくぐもった音が洩れる。それは激しい歯ぎしりに耐えられず、歯が折れる音であった。
閣僚たちは豚王の歯ぎしりに怯えながら、結論の出ない御前会議を続けていた。
即刻タローズを極刑に処し、集会を強制的に解散させるべしと主張したのは、徴税を担当し、その苛烈な取り立てで有名な財務大臣である。それがもっとも豚王の心にかなっているように思えたので、大勢はその主張に傾いていた。
しかし、意外にも軍務大臣が平和的妥協案を提案し、財務大臣の案に激しく抵抗していた。
これほどまでに民衆の不満が高まっている以上、我々にも妥協が必要である。立ち小便程度は指つめの刑から除外するとか、指つめは前科のある者に限るとか、法律改正をするのもやむを得ないというのが彼の主張であった。ブダペスト師団長ら軍事関係者と警察大臣がこの案を支持した。警察大臣は微罪で小指を切らせなければならない刑の執行に苦しむ警察官も存在すると言った。
両者の主張は平行線をたどり、会議をまとめる立場にある右大臣、左大臣はいっこうに決断できず、結論は出そうになかった。
豚王がのっそり立ち上がったとき、閣僚はびくつき、沈黙した。王は無言でバルコニーまで歩き、抗議集会の様子を見下ろした。歌声はますます高く、小指のない左手を挙げた人々はノリにノッてる感じである。豚王の背中の震えを見て、閣僚たちは恐れおののいた。
眼下に広がる虫けらどもの反抗は、王にとって初めて経験する屈辱であった。彼は穢れたものを見たときのように顔をそむけた。
そして彼は、第三尖塔の窓で寄り添うロンドンとキャベツ姫の姿を見てしまったのだ。
最初、彼は男女の人物を特定できず、この非常時にデートなどしおって許せん、と思っただけだった。しかし、次の瞬間それがロンドンとキャベツ姫だと気づき、彼の血は沸騰した。こめかみの血管がプッツリと切れた。
ロンドンめがぁ、余を裏切りおったなあぁ!
豚王の怒りはすさまじく、バルコニーの手すりを砕いてしまうほどであった。
噴き出す血を止めようともせず、王は命令した。
「こざかしい民衆どもを皆殺しにしろ!」
閣僚たちは「は?」ととまどった。
「ただちにブダペスト師団を動かし、広場に集まる者どもを皆殺しにするのだ! 一人も生かしてかえすな! 余に反抗する指なし党の輩も、物見高く集まってきた人民も区別する必要はない。皆殺しにしてしまえ!」
展望の間を圧して、豚王の声が轟いた。
長い平和に慣れた閣僚たちには、それは過酷すぎる命令に思えた。豚王のきまぐれというには、あまりにも激しすぎる。
「彼らはタローズに扇動されて集まってきているだけです! なにとぞご寛大な処置を! 彼らに改心の機会を与えてやってください!」
軍務大臣が豚王にとりすがった。
「ならん! 余に逆らった者には死あるのみだ!」
指なし党も、ロンドンもな、と豚王は煮えたぎった心の中で吐き捨てた。
これが、豚王国のみならず、世界中を震撼させた指なし党虐殺の決定が下された瞬間であった。
突撃命令は午後三時二十五分、ブダペスト師団長の口から発せられた。
「王城前広場にいる者を全員殺せ! これは王命である! 開門せよ。……突撃!」
ブダペスト師団二万の凶刃は自国民に向かって振り下ろされ、逃げまどう民衆を斬りまくった。
タローズの首は真っ先にすっ飛んだが、彼は首だけになってもしばらく歌い続けていたという。しかし三十分後には広場は巨大な死体置き場と化し、首だけタローズも人々の屍に埋もれてしまった。
死者、およそ五万。皆殺し命令は忠実に履行された。
豚王は、広場中央に集められ、燃やされていく死体の山を、展望の間バルコニーから冷然と見下ろしていた。
ロンドンは気絶したキャベツ姫を抱えて、あぜんとするばかりだった。
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