第30話 野豚迎撃軍の指揮官

 指つめ法反対総決起集会が豚王国史上空前の大虐殺で終了した後、ロンドンは豚王に会えなくなった。大虐殺をきっかけに全国に広がっていた指つめ反対運動が、打倒豚王運動に変化して、さらに熱く展開していったからである。平たく言えば、各地で反乱の火の手が上がり、豚王は旅人にかまっている場合ではなくなってしまったのだ。

 王は自ら王国の危機を招く引き金を引いた格好になった。

 大虐殺翌日に早くもブダペストに隣接するキルプティリ市で、指なし党による豚王軍武器庫襲撃事件が発生した。武器を奪ったおよそ百人の男女は武器庫にいた守備隊六名を縛り付け、その小指を切って逃走した。

 二日後には豚王国第二の大都市ブダシュートでタローズの弟子ジローズと称する男が、二千人を超える反乱軍を組織して蜂起した。彼らは豚王牧場の豚三百匹を略奪し、貧民街で放った。その夜、貧乏人たちは盛大に焼き豚パーティをした。

 その後も大小さまざまな反乱や不穏な事件が続発した。

 豚王は各都市の駐屯部隊に命じて反乱を鎮圧していったが、あちこちで乱が頻発し、手を焼いていた。そのため、ロンドンはラックスマンから早く豚王に野豚対策をさせろとせっつかれながらも、門前払いを食らい続けていたのである。遊子高原で大発生した野豚の群れは北上しているはずで、二人の旅人はじりじりと焦っていたが、王から面会を拒否されてはどうしようもなかった。

 ロンドンは待ち続けた。野豚の大群が遊子高原の北方にある都市を次々とぶっ壊しているというニュースは、ブダペストに到来していた。豚王国第三の大都市ブダノーサが豚津波に直撃されてもろくも沈み、三百万市民の大半が白骨死体と化したとの情報も入ってきた。

 この悲惨な報に接して、ラックスマンは自らの予見の正しさを知った。野豚の群れの威力は恐るべきものである。そして、ブダノーサは遊子高原とブダペストを結ぶ線上にあった。野豚はまちがいなくブダペストに向かって進んでいる。

「ほーら、おれの言ったとおりだろう! 豚の野郎半端じゃねえんだ。さっさとなんとかしろよ!」とラックスマンはわめいた。

 そう言われても、ロンドンになすすべはない。彼も早く豚王に立ち上がってもらいたいと思っているのだが、面会を申し込んでも、無視され続けているのである。

 仕方ないので、彼はラックスマンと酒を飲み、キャベツ姫とこっそりデートし、豚王からお呼びがかかるのを待ち続けた。

 王から呼び出しがあったのは、総決起集会から一週間後のことであった。

 大理石のめのう像がある客間にロンドンは通された。椅子に豚王がふんぞり返り、その背後に五人の豚王親衛隊員たちが控えていた。ロンドンは王の前で立たされた。

「今までなかなか会う機会がつくれなくてな。で、何だ、用件は?」

「私の用件は前と同じです。遊子高原で大発生した野豚がこのブダペストに向かっています。すでにご存じでしょうが、進路上にあったブダノーサは野豚の大群に蹂躙され、壊滅しました。もう一刻の猶予もありません。ただちに大軍を編成し、出征してください!」

 ロンドンは語気鋭く言った。もはや、豚王の機嫌をうかがいながらゆっくりと説得している場合ではない。

「しかしな……」

 豚王の反応は鈍い。

「余もブダノーサがやられたことは知っておる。おまえの言うとおり、野豚の脅威が容易ならざるものであると理解した。しかしなにぶん指なし党どもがやかましくてな。簡単に手が打てる状況ではないのだ」

 のらりくらりとかわされる。

 ロンドンの全身を大量の怒りの血がかけめぐった。もう我慢ならなかった。ついに、彼はキレてしまったのである。

「あ・の・なー、おれが言ってるのはあんたの国のことなんだぜ! わかってんですかっ! あー、もうやってらんねーや。おれ、いちぬけさせてもらいます。短い間でしたが、お世話になりましたっ!」

 抑えに抑えていたものをぶちまけると、彼はくるりと豚王に背を向けてしまった。

「まぁ待て、ロンドン」

 豚王が引き止めたので、ロンドンは再び王の方を向いた。

 彼は、ロンドンが暴言を吐いたのに、ニコニコ笑っていた。

 ロンドンは嫌な予感がした。この人が暴言を笑って許してくれるとは思えない。しまった、言い過ぎた、と彼は瞬時に後悔した。まさか、この場でばっさり首を斬られるのでは?

「怒らせてすまなかった」と豚王は謝りすらした。ロンドンはますますぞっとした。

「しかしそう結論を急ぐな。余も野豚対策のことは考えておる。実はな、おまえに野豚迎撃軍の指揮官になってもらおうと思っているのだ」

「は?」

 ロンドンは凍り付いた。

「今なんておっしゃいました?」

「おまえを野豚迎撃軍の指揮官にすると言ったのだ。おまえに豚王軍少将の階級を与える。そしてブダペスト師団別動隊隊長に任命する。野豚と対決しろ」

 豚王はゆっくりと言い渡し、わかったか、というふうにロンドンの顔をうかがった。

「そんなっ、だって、おれは軍人じゃありませんよ!」

 ロンドンは慌てて両手で拒絶を表した。

「冗談はやめてくださいっ。できるわけがない。おれはいいかげんな旅人で、軍隊を指揮したことなんて一度もないんですからっ!」

 彼は足を踏み鳴らしまでして抗議した。九回裏ノーアウトフルベースのピンチに通行人を捕まえてきてマウンドを任せるようなもんじゃねえかと思って、うろたえまくった。

 しかし、豚王の顔は真剣そのものである。ニコニコ笑いをやめて、凄みのある目でロンドンを睨んでいた。

「野豚対策の専門家は軍人ではなく、生物学者だと余は考えている。さすればロンドン、おまえこそ適任であろう」とうそぶいた。

 滅茶苦茶言ってんじゃねえ! だいいちおれは生物学者じゃねえ、古生物学専門だっ、とロンドンは叫びそうになった。

「これは王命だ。この国の中にいる限り、旅人だろうが外国人だろうが、余の命令に逆らうことは許さん。さぁロンドン受け取れ!」

 豚王は椅子から立ち上がり、彼に少将の階級章を突きつけた。

 こんなものを用意していたのか、とロンドンは思った。おれはわざわざ罠にはまりに来たのか。

 王の背後には親衛隊員が五人もいて、剣に手をかけていた。断れば即座に斬られそうだ。ロンドンは階級章を受け取るしかなかった。

「よし、これでおまえも豚王軍の将校になったわけだ。目的を果たさずに生きて帰るなよ。必ず豚を滅ぼして来い」

 豚王の声は氷のように冷たかった。

 これぞ、豚王のロンドン抹殺計画であった。ていよく彼をブダペストから追い払って、キャベツ姫から引き離す。そして彼が野豚退治に成功すればそれもよし、失敗すればロンドン抹殺の目的は達せられる。野豚はその後に大軍をもって始末すればよい。毒を持って毒を制すだ、と王は考えていた。

「ブタペスト師団別動隊の兵力は?」

 ロンドンが沈痛な面持ちで訊いた。

「一万くれてやろう」

 豚王はまた椅子に座り、ふんぞり返った。

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