第22話 失恋の歴史

 それは、豚王の介入による失恋の歴史であった。

 七歳のとき、キャベツ姫は由緒正しい貴族の青年を家庭教師につけられた。けれど遊びたい盛りの彼女は城でじっと家庭教師の授業を受けるのが嫌でたまらず、脱け出して庶民の小学校に紛れ込むことを趣味としていた。同年代の子どもたちは、姫を特別扱いせずに無邪気に遊んでくれる。

 彼女はそこで出会ったガキ大将の男の子に恋をした。いたずらもけんかも二人は一緒になってやり、「よーし、おっきくなったらキャベツ姫をお嫁にするぞ」などと当人たちは至極真面目に初恋していたのである。しかしその情報を入手した豚王は子どもの恋愛ごっこに介入し、彼を転校させ、校長に以後姫を校内に入れないよう厳重注意するという措置を取った。これが、彼女の第一の失恋であった。

 学校に行けなくなったキャベツ姫は、次にハンサムな家庭教師に恋をした。けっこう惚れっぽい性質なのだ。そうなると、彼女は嫌で嫌でたまらなかった勉強も真面目にやるというけなげさを見せた。しかし、彼は姫の初恋の彼氏に豚王がした仕打ちを知っていたし、ロリコンの気もなかったので、彼女は告白直後にあっさりふられるという結末になった。

 姫は泣いたが、家庭教師も悲惨だった。愛娘を悲しませたということで豚王の怒りを買い、彼は家庭教師を首になっただけでなく、一年間の強制労働をさせられたのである。キャベツ姫に惚れられた男は救われないというパターンがすでにできあがりつつあった。

 二度の失恋に懲りて、キャベツ姫の恋愛沙汰はしばらく鳴りをひそめた。しかし、やがて彼女は思春期に入り、男の欲望をそそる究極の美少女に成長した。国民的アイドルだっためのうと瓜二つの彼女を男どもが放っておくわけがない。

 彼女は多くの男たちからアタックを受けるようになった。中でも豚王親衛隊の青年隊長からの熱烈なラブレター攻撃と折に触れての求愛のセリフに姫も夢中になるという、三度めの恋が彼女に訪れたのである。

 豚王は身分ちがいを理由に姫から手を引くよう青年隊長に迫ったが、恋狂いの彼は断固拒否した。その毅然とした態度にキャベツ姫は感激して、恋の炎はさらに燃え盛るという熱烈恋愛ぶりに、豚王はいささか焦った。

 王は親衛隊副隊長に言い含めて青年隊長を拉致し、あくまでも姫とは別れないと叫ぶ彼を去勢の刑に処した。この痛手は大きく、キャベツ姫は父を激しく憎むようになったのである。

 次に、姫は御前武闘会の準優勝者を見初めた。ちなみに彼はイケメンで、優勝者は平凡な顔立ちだった。彼女はこの恋は徹底的に隠し通そうと決意する。

 彼女は侍女を使って彼に想いを打ち明け、お忍びデートに誘い出した。変装してブダペスト郊外で会ったり、ドナウ川に浮かべた船で落ち合って食事したり、と二人は密やかに交際した。しかしそれでも豚王情報網の察知するところとなり、王の魔の手が伸びる。

 豚王は急遽臨時の武闘会を開催し、強力な刺客を放って、キャベツ姫の新しい恋人を武闘会中に合法的に殺してしまった。

 ここに至って、キャベツ姫は生半可な相手では豚王につぶされてしまうと気づき、王でも簡単には手出しできない名家の御曹司とつきあうことを思いついた。すでに半ば意地である。

 おとうさんなんかに負けないわ。絶対に彼氏をつくってみせる。

 愛の神キューピッドの像に毎朝祈りをささげるのが彼女の習慣になった。

 彼女は美形と評判のマルクスクス家の長男に白羽の矢を立てた。マルクスクス家は建国の功臣の家系であり、名家中の名家である。キャベツ姫は彼女の誕生パーティの席で彼を誘惑した。

 この交際は将来の結婚相手としても申し分なく、ダイヤモンドカップルと多くの人に祝福された。しかしまたしても豚王は、このカップルをぶっつぶすべく画策した。

 王はマルクスクス家と並ぶ有力貴族に働きかけ、うちの息子にもぜひチャンスを、とキャベツ姫の婿候補を立てさせた。頃合いを見計らって、豚王は姫の結婚は時期尚早であり、有力家同士の争いを誘発する怖れがある、と御託を並べて強引に二人を別れさせた。マルクスクス家の長男は隣国に留学に出された。

 キャベツ姫はまた泣いた。しかしあくなき恋人獲得への執念は消えず、彼女はその後も騎豚仲間、王室のコック、中年の将軍、鍛冶屋の息子、友達の恋人等々と恋をしようとした。だが、豚王にことごとく邪魔され、ついには姫に声をかける若い男はいなくなるという事態を招いてしまったのである。

「ひどいでしょ、ひどすぎるよね」

 語り終わったとき、キャベツ姫は怒りを通り越してぽろぽろ涙をこぼしていた。

 ロンドンは恐るべき父娘の戦いに慄然としていた。わがままなだけの姫かと思っていたのに、これほど過酷な運命にさいなまれていたとは!

 涙にくれるキャベツ姫を前に、彼は「守ってあげたい!」という感情がこみ上げてくるのを抑えられなかった。ロンドンは、右手を彼女の肩に伸ばしかけた。

 が。

 たった今キャベツ姫が実例を並び立てたように、彼女とつきあうことは、豚王の標的になることを意味する。

 そいつはごめんだ。親衛隊隊長も、御前武闘会準優勝者も、マルクスクス家の御曹司すらも手にできなかった彼女と、おれみたいな旅人が結ばれるわけがない!

 ロンドンは、懸命に衝動を抑えつけた。彼女に触れるぎりぎりで、彼の手はかろうじて止まった。

 キャベツ姫が涙を拭って彼を見た。

「あたし、もう恋を成就させるには駆け落ちしかないって思ってるの。プリンセスなんて地位はいらない。いろんなところを旦那さまと旅して生きるなんて、いいなぁ……」

 意味深にロンドンを見つめる。

「あたし、誰かいい人が現れるのを待ってたの。ねぇロンドン、あたしのことキライ?」

 ロンドンはくらっときた。

 まずい!

 彼女に惚れちゃだめだ、と彼の理性が抵抗した。

 しかしそれは無駄な抵抗だった。ロンドンの心臓は早鐘を打ち、彼はキャベツ姫と見つめ合ったまま目をそらせなくなっていた。

 だめだぁ! もう好きになっちまってる!

 彼の頭も目も心臓もそれを認めてしまっている。

 しょせん美少女の誘惑に勝てるほど真に硬派なロンドンではない。「駆け落ち」とまで言って迫ってくる月光姫にはかなわないのだ。

 ロンドンは彼女を抱きしめた。彼が地獄の門をくぐった瞬間であった。

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