美し過ぎる時間2

 さあっと風が梢を揺らした。夢のお茶会が霧散していく。私の前には姉の青い瞳。けれどそれは心なしか憂いを含み、切なさを感じさせた。私は思わず口を開いた。


「お姉さまも? お姉さまも失敗したの?」

「いいえ、私は何も」


 姉の言葉にほっとする。けれどそれならばなぜ、そんな悲しそうな顔をするのか。私の心を読んだかのように姉が言葉を重ねた。


 「いいえ……きっと失敗していたでしょうね。だけど許されたのだわ」

「許される? どういうこと?」

「私が……そのお人形にそっくりだからよ」 


 金色の巻き毛、青い瞳、薔薇色の頬、陶器のような肌。自慢の姉は精巧なビスク・ドールのように美しい。だけどそんなことって……。想像もしなかった事実に、私は返す言葉を見つけらない。けれど姉は気にする事なく話を続けた。


「ある日、花柄のドレスを着て行ったら、お人形とお揃いだったの! 町で一番の仕立て屋の、その夏の人気柄よ。色違いで数種類出て……、店に並んだその日に出かけて行って選んだわ。年に一度のお楽しみですもの! そうしたらね、たった一枚しかできない色があってね、迷うことなくそれにしたの」

「……一枚、もしかして! その布が余ったの? お姉さまのドレスを作った後の布……そしてそれはお人形にぴったりだった……」


 姉がうっすらと微笑んだ。


「そう。ジョージは町の仕立て屋でお人形のドレスを作らせていたのよ。色を柄を素材を、吟味して吟味して。たった一着しかできないものなんて、心くすぐられて当たり前よね」


 人と人形が一枚を分け合ったなど、誰が想像できただろう。残り布をジョージに見せた仕立て屋は何を想っていたのだろうか。


「でもお姉さまとお揃いだった……。ジョージさんは怒った?」

「いいえ、笑ったわ。それはそれは嬉しそうに。そして言ったの」

「……なんて?」

「明日から君があの席に座ってくれたら、僕はもっと嬉しいだろうか? って」


 私は息を飲んだ。姉は……なんと答えたのだろうか。またしても、言葉もなく彼女を見つめれば、綺麗な唇がゆっくりと弧を描いた。


「私、お断りしたの。あなたの希望には添えないから、これで失礼するわね、って。それが最後のお茶会よ」


 だってそうでしょう、と姉は微笑みを深めた。


「今はお人形にそっくりでも、私は変わってしまうもの。あの人の求める永遠には決してなれない。彼は、彼が美しいと信じるものを損なってはいけないのよ」

「でも! お姉さまがそうしてあげれば、ジョージさんも変われたかもしれないわ!」


 姉は柔らかくかぶりを振った。金色の後れ毛が木漏れ日に反射する。お人形などではない。もっともっと美しい。こんなにも豊かな表情で……。けれど姉はそっと目を伏せた。


「いいえ、メグ。そう簡単なことではないの。生きることはジョージには辛いことばかり。だから彼には、永遠のお茶会の中だけでも幸せでいてもらいたいの。そこでは何一つ欠けてはいけないのよ」

「……ジョージさんは今も?」

「でしょうね」

「……死ぬまでずっと?」

「ええ。だって、その時間を何よりも愛しているんですもの」


 母親を愛していたからかと私が問えば姉はまた首を横に振った。


「そうじゃないわ。確かにそれも間違いではないけれど……。でも本当の本当はそうじゃない。彼はね、彼が幸せだった日々を愛しているの。喜びを感じていた頃の自分を愛しているのよ。遠い日の自分が何よりも愛おしい。だから、その美しさを壊さないためにも、何一つ間違ってはいけないの」

「……歪んでいるわ」

「ええ、そうね、けれど何よりも純粋で気高いわ」

「……お姉さま……」


 姉はバスケットから小さなスミレのブーケを取り出した。顔を寄せてそっと香りを嗅ぐ。よくできた造花だ。香りなどあるわけもない。多くの花が咲くこの季節にそんな布花、と不思議に思っていたけれど、その謎は解けた。どの春も、テーブルのスミレは甘く香っていたことだろう。


「自分がお人形のように、年を取らなければどんなに良いだろうと思ったこともあるわ。そうしたらジョージの時間の中にいられて、永遠に愛してもらえるんですものね。だけどそんなこと、誰にも無理だわ」 


 私ははっとした。ドレスを作るのが楽しみの姉、毎日のように髪型を変えている姉。けれどこうして湖畔のピクニックに来るときの茶器もクッキーもケーキも茶葉も、ティータオルや読む本まで、何一つ変わることはなかった……。

 これはお茶会の再現なのだ。姉がジョージと過ごした日々の。姉もまた、6月の薔薇咲くテーブルに囚われたままなのだと私は知った。


 バロックパールは、ジョージから贈られたものに違いない。すべてが過去の中にある彼の、唯一外に向かった気持ちを表すもの。もしかしたら、それをきっかけに違う未来を作れたかもしれなかったもの。けれど姉が決断し、ジョージがそれを受け入れた以上、二人の間に私が立ち入ることなどできるはずがない。


 湖畔のピクニックが雨で中止になった日。二人で静かに刺繍をしているとドアチャイムがなった。姉が嬉しそうに立ち上がる。


「できあがったのかも!」

「何が?」

「お人形よ。ジョージと同じ瞳の色のお人形。春に愛されしスミレ色。夏のドレスを作らずに、予算を全部つぎ込んだのよ。さあ、明日は一緒にピクニックに行かないとね」


 それはそれは艶やかに姉が笑った。心から嬉しそうだった。その瞬間、私は理解した。姉は彼を、彼の過去を愛したのだ。だからこそ、それを壊してしまう自分が許せなかった。けれどまた、手放すこともやはりできなかったのだ。

 6月のお茶会と7月のピクニックはきっと同じ夢。6月が美しすぎて、7月に姿を変えたとしても、それは、自分が美しいと思うものを永遠にそばに置くという、二人が選んだ愛の形なのだ。姉にはスミレとお茶会を、ジョージには薔薇と人形を。


「誰かの愛を歪んだものとしてさげすむなんて、つくづく下品な話ね。愛は人に理解されるためにあるんじゃない。それは自分のためにあるのに」


 湖を渡る風の中でそう言った姉。あの言葉は、甘い薔薇の香りの中で、姉への想いを綴ったジョージのものだ。私の幻のお茶会は、煙るようなスミレ色に抱かれ、彼の優しい優しい言葉の中で永遠に閉ざされた。


 『エレノア、あぁ、エレノア……。僕の綺麗な綺麗なエリー。君の微笑みをずっと夢見るだろう。春の終わりの、香る薔薇のような、君の微笑み。それでいいんだ。それが何よりも美しい。僕にふさわしいもの。ねえ、エリー。僕の愛が、きっと僕らの時間を守っていくよ。だけど忘れないで。僕は……、君の愛が君を輝かせ続けることを、心から祈っているのだからね』


 ドアに向かう姉の背を見ながら、気がつけば私も「自分のための愛」と口にしていた。二人はきっと誰よりも何よりも幸せなのだ。あのバロックパールが歪であっても魅力的なように、その愛はあまりにも美しくてあまりにも残酷で、そして何ものにもかえられない、二つとないもの。それこそが彼らにとっての真実の形。そしてそれが奪われることは……永遠にないだろう。

 

 美しいリボンがかけられた箱を嬉しそうに抱きしめる姉は、今まで見たどんな姉よりもまばゆく美しかった。

 いつしか雨は上がり、雲の切れ間から降り注ぐ光が、まるで夏の喜びをうたっているかのようだ。季節を超えていく、二人の終わらないお茶会を想って、私の胸は甘く甘く疼いた。

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この世界に唯ひとつのもの クララ @cciel

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