第33話 逆賊

この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆 少弐氏に従う

龍造寺家兼いえかね …主人公。龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の当主 一族の重鎮

龍造寺胤久たねひさ …家兼の甥(兄家和の子) 龍造寺惣領にして本家、村中家の当主

龍造寺家門いえかど …家兼次男



少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く東肥前の大名。大内氏に滅ぼされる

少弐興経おきつね …少弐家当主 家兼を嫌悪している

少弐資元すけもと …興経の父、大内に追い詰められ自刃

馬場頼周よりちか …少弐重臣 興経の後見

小田資光すけみつ …神埼郡蓮池を本拠とする少弐傘下の国衆


大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名 


大友氏 …本拠は豊後府内、北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある



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「亡き骸は専称寺に葬られ、密やかに葬儀が行われたとの事」

「…………」


「大内は占領していた佐嘉、神埼、三根郡を解放し、軍勢を筑前へと撤退させつつありまする」

「そうか……」


 下座にいる者が上座の相手を気遣い、ゆっくりと丁寧に報告する。

 しかし上座の者は心ここにあらずで、ろくに返事をしない。



 ここは神埼郡蓮池にある蓮池城。

 報告しているのはこの辺りを治める国衆、小田資光改め覚派かくはだった。

 資光は近年仏門に入り、そのいみなを改めていたのである。


 そして報告を受けた相手は興経だった。

 多久梶峰城から脱出した彼は、家臣達の手引きにより小田氏の元に身を潜めていた。


 しかし彼は父を失い、御家を滅ぼされた衝撃から未だ立ち直れないまま。

 魂が抜けたその様を見て、覚派は同情せずにはいられない。



「さぞお辛いでしょうが、元気を出されませ。御家を思い自刃なされた大殿のためにも、御館様は前を向かねばなりませぬ」

「…………」


「おそらく旧臣達も、興経様が立ち上がるのを待っておりましょう。もちろん決起の折は、当家も微力ながら助力させて──」


「殺されたのだ……」

「え?」


「父上は大内を信用していなかった。だがあの爺は信頼していた。だから和睦に応じたのだ。その結果がこれだ。父上は大内と、結託していた爺に殺されたのだ……」

「確たる証拠はござりませぬ。思い込むのはお止めなされませ。体に毒でござる」


 穏やかに諫める覚派に対し、興経は返事をしない。

 しかし覚派の言葉は確かに興経に届いていた。彼は項垂うなだれたまま、涙をこらえ、拳を震わせていた。


「どうにも出来ぬ…… 今のわしには大内をどうにも出来ぬ。だがあの爺だけは、あの爺だけは!」

「御館様……」


「頼む覚派、この通りだ! 手を貸してくれ! わしは龍造寺の爺を討ち取り、父上の墓前にその首を供えねばならんのだ!」


 それは覚派が、今まで一度も目にした事の無い姿だった。

 見栄っ張りの興経が、下座にやってきて目の前で土下座をしている。

 

 彼の人生で最も長い時間を共に過ごしてきた相手、父資元。

 その掛け替えのない人を、自刃と言う形で失った悔しさ。

 一人の父親として、覚派も彼の心情はよく理解できた。


 しかし小田家当主として、それに流されるわけにはいかない。

 威勢轟く龍造寺との戦は、家の存亡に関わるのだ。


 覚派はその後も興経の懇願に耳を傾けたものの、ついに首を縦に振る事が出来なかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 それから一月ほど過ぎたある日、興経は覚派を呼び寄せた。

 塞ぎ込んでいた時期を乗り越え、彼は少弐家当主として再起を図ろうと動き出していたのだ。

 

 しかし再起となれば、家兼の処遇については避けて通れない。

 覚派は気が重かったが、案の定興経はその話を切り出してきた。


「今日はお主に聞いてほしい大事な話が二つある。一つはわし自身に関する事、もう一つは龍造寺に関する事だ」

「龍造寺……恐れながら討伐の話は、以前申した通り──」


「黙って聞け。まずわしの事についてだが、これを機にいみなを改めようと思う」

「諱を? それは結構な事かと思いますが、どのように?」

「すでに考えてある。これだ」


 そう言って興経は、諱をしたためた紙を覚派に見せた。


「『冬尚ふゆひさ』だ。かつて大宰府を奪還した八代当主、冬資公にあやかって『冬』の字を頂いた。どうだ、よい名であろう」 



 と、誇らしげに口元を上げ興経は語る。

 が、とんでもない話である。


 冬の字は、そもそも糸の両端を結んだ形を意味し、そこから物事の終わり、転じて一年の終わりの季節を指す字。

 再興を目指す家の当主が、終わりを連想させる字を使って良いわけがない。


 しかも冬資は大宰府を奪還した後、九州探題の今川了俊に謀殺されている。

 その冬資に冬の字を与えた足利直冬も、幕府と争い没落を余儀なくされている。


 さらに当時の将軍義晴に対立していた、異母兄義冬(前名義維よしつな)との繋がりも疑われ、幕府の印象も良くないだろう。


 しかし今の少弐家には、それを諫める人材がいなかった。

 そして文字には、人の運命を左右する力が本当にあるのかもしれない。

 冬の字に相応しい末路が自分にも待っている事を、この時の冬尚は知る由も無かったのだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「それで、次に龍造寺討伐の話だが……」

「御館様!」

「落ち着け。その前にそなたに会わせたい者がいる。これ、入って参れ」


 そう冬尚は広間の外に向かって呼びかけた。

 するとそこから姿を現し、中に入ってきたのは一人の老人。


 かつて黒々としていた髪は、所々白いものが混じるようになり、頬も幾分こけてきたように見える。

 だが彼を印象付ける、眉間の皺の多さと目つきの悪さは相変わらずだった。



「頼周、そなた……」

「勢福寺城開城から二年ぶりか、覚派。息災のようだな」


「わざわざ綾部城から訪ねてきたのか…… 難儀であっただろうに。しかしちょうど良かった。そなたからも御館様に申し上げてくれ。龍造寺と事を構えるのは危険だ」


 覚派は期待を込めて懇願する。

 ところが頼周は表情そのままに返事をしようとしない。

 その替わりとして神妙に頭を下げる。


「何の真似だ? まさかお主も……」

「わしからも頼む。今御老公を討てるのはそなたしかおらぬ」


「本気で申しておるのか、そなた! あの和睦の疑いだけで御老公を討てる訳なかろう! 今までの功績は無視して良いのか⁉」


「多大な功績を残しているのは承知しておる。だがあの方は水ヶ江家の威勢拡大にも打算が働いておる。しかもその策は次々に当たり、もはや家中の脅威でしかないのだ」


「だから殺すのか? 納得出来ん! それに御老公はそなたを買っておられる。だから孫娘とそなたの倅と婚姻を承諾したのであろう? その縁をあっけなく壊してしまうのか!」


「望んでしている訳ではない! だがな、あの方が活躍すればする程、肥前の国衆達は龍造寺になびくだろう。そしてその威勢はいずれ御館様を超えてしまう。今のうちに粛清せねばならんのだ!」


「粛清……だと」

「それがわしと御館様とで導き出した結論だ」


 以前の感情に任せた家兼討伐とは違う。

 これは御家再興のために必要な家中再編の戦略。


 覚派はそれに驚いて上座を見ると、冬尚はすでに頭を下げていた。

 それを見て、覚派と面と向かって話していた、頼周も再び頭を下げる。


 覚派はこの状況に動揺を隠せなくなっていた。


「されど……わしだけでは、到底龍造寺に太刀打ち出来ん。どこかから援軍を送ってもらえないと」


 現状は確かに厳しかった。

 少弐は滅ぼされてしまったため、その旧臣達の力は期待できない。

 そして頼周も大内とその傘下の国衆達の圧迫を受けており、とても軍勢を派遣できそうもない。


 龍造寺と戦う場合、小田は殆ど自力で何とかしなければならなかったのだ。

 しかし頼周はその懸念に対し、顔を上げて僅かに笑みを見せた。


「任せておけ、わしに考えがある。こちらが援軍を望めないのなら、相手の兵を減らせば良いのだ」

「減らす……?」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 どうやら冬尚が小田にかくまわれているらしい。

 そして大友に通じ、小田は冬尚再興を願い出たようだ。


 その情報が肥前各地に知られるようになったのは、同年(天文五年、1536)の冬だった。

 かつて少弐家に従っていた国衆や地侍達は安堵したに違いない。

 冬尚が決起し、その傘下に加われば、以前の様な領国の安定が望めるのだ。


 しかしここに一人、冬尚の行動に疑問を抱く者がいた。家門である。

 彼は水ヶ江城の家兼の元にやって来ると、神妙な面持ちで語り始めた。



「実は先程、村中本家の者から秘密裏に気になる話を聞き申した。大友は本家の胤久殿に宛て、冬尚再興のを持ち掛けたそうでござる」


「再興の話? いつの事だ?」

「もう何日も前だとか。しかしそれがしは知りませぬ」


 家兼も初耳だった。

 少弐再興の話となれば、家中の有力者である家兼に相談しないはずがないのだが、胤久からは連絡がない。

 

 それに冬尚からも小田からも連絡はない。

 自分達の知られたくない所で、再興の話が進んでいるのか?

 そう怪しむ二人の元に、一人の家臣が足早にやってきた。



「申し上げます。小田家より御使者到着。目通りを願っておりまするが、如何いたしましょう?」



 二人は唖然とした。

 普通国衆間の交渉においても大名と同様、一旦家中の有力者に話を持っていき、ある程度話を詰めてから当主に提出するものである。


 ところが今回、小田の使者は、直接水ヶ江城へやって来た。

 

 繋がる少弐、大友、小田、村中本家と、排除される水ヶ江。

 そして小田の使者。おそらくその用向きは、折り合いをつける必要のない事のはずだ。 

 ならばその意図するところは、まさか──


 すぐに家兼は広間に赴くと、一族重臣のいるなかで使者を招き入れる。

 そして差し出された書状を受け取ると、強張った表情で使者を見据え、口を開いた。



「中を見る前に尋ねたい。この書状は決戦の申し出か?」



 場の空気がたちまち凍り付く。

 殆どの者が事情を知らないのだから無理はない。しかも小田家は近隣の国衆として、特に争いも無くこれまで関係を築いてきた間柄なのだ。


 しかし睨む家兼から目を逸らすことなく、小田の使者は「御意にござりまする」と平然と言い放つ。


 そして家兼が書状に目を通すと、そこには決戦に及ぶ理由が記されていた。



 「龍造寺山城守家兼は、大内と手を組み和睦を謀り、御家を滅ぼした逆賊である。ゆえに御館様の命により討伐する」



 御家の功臣から逆賊へ──

 家兼の立場はここに暗転した。

 それは侵入者大内との戦いとは異なる、かつてよしみを結んだ者達との苦闘の始まりであった。

 

 

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