第32話 資元自刃

この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)


※今回龍造寺家の人物は登場しない


少弐氏 …本拠は勢福寺城 龍造寺家を傘下に置く東肥前の大名。大内氏と敵対

少弐興経おきつね …少弐家当主 家兼を嫌悪している

少弐資元すけもと …興経の父、隠居の身 実権を持つ



大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名 

大内義隆 …大内家当主

すえ道麒どうき …名将と称えられる大内家の有力者 周防国守護代

陶持長 …陶一族で大内家の重臣


大友氏 …本拠は豊後府内、北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある


東千葉家 …肥前小城郡に勢力を持つ千葉家の傍流 西千葉家と対立中 大内に従う



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「大殿、戦備は整っておりまする! いつでも御下知下さりませ!」



 少弐領国の西の端、多久梶峰城。

 その広間にいた資元のところに、突然、従者数人を連れた一人の武者が馳せ参じてきた。

 多久の領主、多久宗利である。


 多久氏と少弐氏には遺恨があった。

 宗利の父、宗時が大内の侵攻に屈し、当地に逃れてきた主の少弐政資を自害に追い詰めた事件である。

 しかし資元は家を再興すると、その傘下に参じた多久氏を許し、再び多久梶峰城の主として認めていたのだった。



 時は天文五年(1536)九月、陶道麒率いる大内勢が多久梶峰城へと侵攻。


 すでに少弐親子は袋の鼠になりつつあった。

 東からは大内、東千葉勢が進軍。北西からは上松浦かみまつらの波多、草野、南西からは塚崎の後藤などの国衆が、大内に加担し多久に迫っていた。


 そんな危機的状況にも宗利は裏切ることなく、戦備を整えてきていた。

 資元は宗利の申し出に笑顔を見せる。


「ご苦労であったな。加えてそなたに頼みたいことがある」



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 この身は滅びようとも名家のとしての意地がある。

 大内の多久侵攻を知った時、少弐親子は話し合って決めていた、この城で共に潔く討死しよう、と。


 そして戦が近づいてきたある日の夜、資元は興経を自分の書斎に誘った。

 二人きりで別れの盃を交わすためである。



「それにしても…… 憎いのは龍造寺のクソじじい! 大内の口車に乗りぃ、我らを欺くとは、百代の後まで祟り殺ひてくれる!」


 別れの盃と言うのは、戦に向けて互いの覚悟を決めたり、言い遺したい事を吐露する場ではないだろうか。


 ところがそこは興経の独演会と化していた。

 泥酔して呂律がうまく回らない中で、彼は感情のおもむくまま言葉を紡いでいる。


 そして相手する資元も止めようとはしなかった。


 これまで少弐の当主を務め、多くの鬱憤が溜まっていたのだろう。

 せめて最期くらい好きに語らせてやろうではないか。

 普段から温和な父が今日特に優しいのは、親心からなのだ。

 そう興経は思い込んでいた。


 すると資元の手にしていた酒瓶が空になっている。それに気付いた彼は書斎の外に向けて叫んだ。


「これ、誰かおらぬか! 酒が切れた。すぐに持って参れ!」


 資元の呼びかけが興経には遠く聞こえる。

 叫び続けた彼はすでに眠気眼ねむけまなこになっていた。

 やがて聞こえてきたのは複数の足音。それに伴う金具の音。

 まるで鎧の金具の擦れる様な音──


(鎧……⁉)


 咄嗟に興経は目を覚まして起き上がる。

 すると突然、書斎の三方向の襖が開かれ、それぞれの方向から鎧姿の家臣数人ずつが姿を現した。


「そなた達、何をしておるのだ?」

「はっ、御館様のお迎えに参上致しました」

「迎え? その様なことわしは頼んだ覚えはない。とっとと──」

「わしが頼んだのじゃ」


 興経の言葉を遮り、真顔の資元が答える。

 資元の呼びかけは合図だったのだ。しかし興経は状況が飲み込めていない。


「父上?」

「言ったであろう、これは別れの盃と。死ぬのはわし一人で充分。そなたはこれから落ち延びるのじゃ」


「な、何を申される⁉ 戦はこれから──」

「戦はせぬ。この期に及んで無用の血が流れるのは、わしの望むところではない」


「では、それがしを騙しておられたのか!」

「そうだ。こうでもせねば、討死するとそなたは暴れていたであろう。この者達に身を潜められる所を伝えておいた。そこで時節を待ち、必ず家を再興させるのだ、よいな!」


「出来る訳ありませぬ! 一人でも多く大内の卑怯者たちを、死出の道連れにするのがそれがしの──」

「取り押さえろ!」


 資元の支持の下、三方から兵達が興経を包囲すると、その体を羽交い絞めにした。

 

「ぬうぅ、放せ! 放さぬか! わしは死ぬのだ!」


 大の大人数人に抑えられては成す術が無い。

 それでも興経は頑強に抵抗する。直垂がはだけ、まげが大きく曲がり、涎を垂らしながら。


 だがそれも空しく、彼は少しずつ書斎から遠ざかってゆく。

 不憫、ただただ不憫。

 最期の別れがこんな形になってしまって本当にいいのか。

 資元の心に親子の情が沸々と湧き上がってゆく。


 しかし興経の口から洩れる言葉は、「戦って死なせろ」の一点だけ。

 それが資元に覚悟を決めさせた。


 「ぐあっ!」


 瞬間、興経は何が起きたか理解できなかった。

 己の頬が腫れている……

 眼前には鉄拳を振るった父の姿がある……

 その顔は鬼の形相。今まで一度も見た事の無い険しいもの。


 そしてその鬼は興経の胸倉をつかんでいた。


「あのな、御館たる者が軽々死ねると思うな! 道麒の狙いはわしの首。大内を肥前から撤退させるために、わしは死なねばならん! だが家を再興出来るのは、そなたしかおらんのだ! 何故それがわからん!」


 怒声が飛んだ書斎が静寂に包まれる。

 興経は糸の切れた操り人形の様にへたり込んでしまっていた。


「連れてゆけ」

「ははっ」

  

 資元の指示を受け、家臣達が興経を引きずりながら書斎を後にする。

 心中の激しい動揺を抑えようとして、資元はその様子を見ないよう目を閉じ、口を真一文字に結んだまま送り出すのだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 そしてその日の深夜、宗利が戻ってきた。


「興経様並びに御一族、家臣の方々、手はずどおり多久の外へとお連れ致しました」

「そうか……」

「御心中、お察し致しまする」


「いや、これでよい。これでよいのだ。そなたも家臣や兵達を家に帰してやれ。もう戦支度は不要じゃ」

「しかし大殿は如何なされまする?」


「わしは明日専称寺に向かう。そこで果てる覚悟じゃ」



 専称寺は多久の南部に位置する時宗(※現在は浄土宗)の古刹である。

 資元がそこを臨終の場として選んだのには訳があった。

 多久で自害した父政資が、そこに葬られていたのである。



 翌朝──

 僅かな供を連れて資元は多久梶峰城を後にする。

 見送るのは宗利とその僅かな家臣達。

 これまで長年に渡りに城を守備してきた彼らに対し、労いと別れの挨拶を済ませると、資元は踵を返した。


「では逝くか」


 いつもの温和な表情に、飾らず、あっけらかんとした声色。

 それが宗利が聞いた資元最期の言葉だった。



 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 九月五日、陶道麒の軍勢は多久梶峰城へと入城。

 その日のうちに、道麒は家臣達と共に専称寺に向かった。 


 

 寺の中ではすでに首実験の支度が整っていた。

 並んでいる首には、化粧が施され、髪を整えて、誰のものか分かる様に首台の上に札が置かれている。


 その中に一つだけ大きな首台があった。

 安置されている首は、死の間際の苦痛を覚えていないかのように穏やかな表情をしている。



 その才はおよそ凡庸。

 戦の指揮もはかりごとも不得手。


 しかしその人柄に多くの国衆や地侍達が従った。

 治政を司ること約四十年、大内の脅威に晒されながらも、領国はついに内から崩壊する事は無かった。

 

 その治世が終わった。

 それは何度も煮え湯を飲まされた、少弐との戦いの終わり。


 道麒と大内諸将は人柄の良さが見て取れるその首を見て、感慨に更けるのだった。



 天文五年九月四日、少弐家十四代当主、資元は専称寺にて自刃。その一生は夢となった。享年四十八。


 彼は専称寺に葬られ、新たに建てられた墓の中で眠っている。

 それは父政資の墓の右側であった。

 

 政資の晩年は戦に明け暮れていた。

 そのため資元には、幼少の頃に死別した父との思い出が殆ど無い。

 左右に並ぶ墓の中で、親子二人は水入らず、ようやく安らげる時を迎えたのだった。

 


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 やがて資元とその家臣達の首実験は終わった。

 もう多久に留まる理由はない。

 道麒はそう判断し、軍勢を帰国させると布告し、寺を去ろうとする。

 

 だが持長はその後を追ってきた。彼の中にはまだ懸念が残っていたのだ。


「宜しいのでござりますか? 興経の行方はまだ掴めておりませぬが?」

「構わん、現地の者に任せる。城を攻略し資元の首を挙げ、遠征の目的は果たした。長居は無用じゃ」


「されど旧臣共が興経を担ぎ、再び立ち上がったとしたら如何なされます?」


 すると道麒は立ち止まり、余裕の笑みを浮かべて振り向いた。


「その時はいつでも相手になってやる」



 西国の覇者、大内。

 その軍勢を率いた道麒が周防に凱旋を果たしたのは、十月二十九日のことだった。


 天文元年(1532)より続いた長い抗争の中で、局地戦での敗北はあったものの、終わってみれば大友を屈服させ、少弐を滅ぼすという輝かしい戦果。

 彼の戦歴にまた一つ、讃えられるべき功績が加わったのだった。


 そしてこれが彼の最後の遠征となった。

 大内家の歴史に大きな足跡を残し、彼は三年後の天文八年、六十五歳で世を去ることになる。


 

 少弐の滅亡と大内勢の撤退。

 それは肥前における一つの時代の終わり。

 

 少弐に従っていた国衆や地侍は、新たに己の領地を庇護してくれる、現地の有力者を求めるしかなかった。

 だが少弐に替わる程の有力者はもういない。

 

 核を欠いた肥前が迎えたのは、新たな混沌の時代だった。

 家兼もその中で、さらに難しい舵取りを迫られる事になるのである。









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