第30話 勢福寺城開城(後) 主従の別れ
この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆 少弐氏に従う
龍造寺
少弐氏 …本拠は勢福寺城 龍造寺家を傘下に置く東肥前の大名。大内氏と敵対
少弐
少弐
馬場
大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名
大内義隆 …大内家当主
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頼周は興経の前に進み出ると、上半身をさらけ出した。
露わになった彼の腕や肩、胸元、背中には、刃物で斬られた跡、殴られて出来た
広間にいた者全ての視線が頼周に集中する。
その中で彼は、傷と己の過去について話し始めた。
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それは三十五年以上前、少弐家の当主政資が多久にて自害し、家が一時的に滅亡した頃のこと。
当時まだ元服前の彼は、
そもそも馬場家は少弐庶流の家。その子孫として生まれた頼周は、忠義心から主家を救いたいと躍起になっていたのである。
とは言え、彼らは食糧難でやせ衰えた敗残兵でしかない。
それは落ち武者狩りを狙う、近くの農民達の格好の的だった。
襲撃は日常茶飯事に起きた。
確か数か月前まで自分達の支配下にいた者達。
それが武具や金目の物をはぎ取ろうと、
時には寝込みを襲われ、時には待ち伏せを喰らい、時には食べ物を分けて貰おうと訪ねた村で包囲された。
その度に頼周は襲ってくる刃を振り払い、逃げるしかなかった。
相手は自分より体格に勝る大人達ばかり。その暴力が不意に、無慈悲に襲い掛かってくる。いくら気概に満ちていた少年頼周でも、かなうものでは無かった。
そしていつも上手く逃げ切れるわけではない。
致命傷を負わなかったのが、
逆に減ってゆくのは頼みとする仲間達。
重ねた修羅場は、青年頼周の脳裏に嫌という程刻まれていった。
しかし頼周も旧臣達も皆へこたれない。再興の芽が少しずつ大きくなっていたからだ。
「近いうち拠城を構え、松法師丸(※資元幼名)を必ずお迎えしよう」
三郡の少弐恩顧の者はそれを合言葉に、連絡を取りあい、さらに仲間を増やしていったのだ。
だが、その希望は大内に木っ端微塵に粉砕される。
大内家臣の
三郡にあった旧臣達の拠点は次々に陥落。
これ以上肥前に留まれなくなった頼周は、他国へと落ち延びるしかなかった。
以後、護郷の厳しい追及を潜り抜け、豊後に赴き大友の庇護を受け、勢福寺城に資元を迎えるまで、数年の歳月が流れることになる。
頼周の青年時代は、再興のために足掻き続けた苦闘の連続だったのだ。
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「分かった、もう良い!」
頼周が心と体に負った傷の記憶。
それは戦場に赴く事がない興経にとって、あまりに生々し過ぎた。
彼は、切実に語る頼周の昔話をいきなり遮ると、そっぽを向いてしまう。
少弐の様な一大勢力の名家であっても、時には呆気なく滅びてしまうのが戦国乱世。家が存続し続けるというのは並大抵の事ではない。
だから武士達は家族や土地を守るため団結する。
やがて代を重ね、その武士団の中心が豪族であったり、国衆であったり、大名へと規模を拡大させてゆく。
そして大名の下、豪族や国衆を含めて形成されたものが家中である。
少弐家中は、興経とその一族家臣だけのものでは無い。
もし滅べば、少弐氏に従う武士達とその家族全てが危機に晒されるのだ。
家中皆の命運を握るのは、主の采配一つ。
その責任の大きさを頼周は説いたのだった。
静寂に包まれた広間の中央。
語り終えた頼周は平伏したまま動こうとしない。
しばし続く沈黙。それを破ったのは資元だった。
彼は頼周の傍まで近づくと、穏やかな口調で諭し始めた。
「面を上げよ、頼周。そなたの諫言、わしも興経もしかと受け取った」
「いささか熱くなり申した。無礼を申し上げたことお許しくださりませ」
「良いのじゃ。そうか、もう三十五年以上前か、早いものじゃ。当時を知る家臣達はもう殆どいなくなったが、今でも鮮やかに思い返す事が出来る。辛過ぎたはずのあの日々が、掛け替えのないものであったと」
「それがしも同じ思いにござる。ゆえに思い出の詰まったこの城を、明け渡して下さりませと申し上げねばならないのは、まことに断腸の思い。力及ばずこの様な事態を迎えた事、お許しくださりませ」
「何を申すか。頭を下げるな、胸を張るのだ頼周! 我らは立派に大業を成したのだぞ! 浮沈は世の常。我等は再び大宰少弐に相応しき勢力になる、なってみせる! それまでそなたとは一時の別れじゃ!」
晴れやかに語る資元は、頼周を気遣いその肩を
対して頼周は顔を上げようとしなかった。いや、上げられなかったのだ。
その頬を落ちる雫が一筋──
これ以上零してなるものかと、必死に堪えていたのだった。
そして彼は家兼の方へ向き直ると、再び深々と頭を下げた。
「御老公、この城を明け渡せば、我らは防衛上の柱を失いまする。大内が好機とばかりに攻めてこないか気掛かりなところ。交渉は御老公の手腕に掛かっておりまする!」
「そなたの懸念、しかと受け取った。安心せい、大内には和睦の順守を強く申し伝えておく」
「何とぞ、何とぞ、宜しくお願い申し上げまする……!」
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開城を少弐親子は承諾。
その意向を受け、家兼は書面を通じて、千葉興常、喜胤親子と波多興との交渉に臨んだ。
だが彼の心中で渦巻いていたのは、頼周と同じ疑惑だった。
(この和睦、大内は本当に順守するのか?)
兵力差は圧倒的。
勢福寺城さえ奪ってしまえば、彼らは悠々と少弐領国を蹂躙できる。
そうなれば和睦で交わした起請文など紙切れ同然だ。
かと言って、どう対処すればよい?
すでに大内先陣は肥前入りし、なお城に向かって進軍中。
熟慮する時間は無いに等しかった。
結局、折衝を重ねる事は殆どなく、両家の和睦は十月中に成立。
拠城を失った少弐親子は、多久梶峰城へと移っていった。
そして和睦に従い、大内も軍勢を撤退させ、義隆自身も長府へと戻っていく。
ようやくこれで肥前に平和が訪れる── 和睦成立に少弐領国の多くの者達はそう思っただろう。
だが家兼の懸念は翌年、現実のものとなった。
十二月十九日、陶道麒率いる大内勢が突如、三根郡に侵攻。
現地の少弐勢を打ち破り占領すると、たちまち神埼郡、佐嘉郡へと侵攻し占領下に置いた。
和睦は最小限の犠牲で、少弐領国を崩壊させるための策でしかなかった。
一年余りで呆気なく反故にされたのである。
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