第29話 勢福寺城開城(前) 和睦勧告

この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る有力国衆。少弐氏に従う

龍造寺家兼いえかね …主人公。龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の当主 一族の重鎮


少弐氏 …本拠は勢福寺城 龍造寺家を傘下に置く東肥前の大名。大内氏と敵対

少弐興経おきつね …少弐家当主 家兼を嫌悪している

少弐資元すけもと …興経の父、隠居の身 実権を持つ

馬場頼周よりちか …少弐重臣 興経の後見



大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名 

大内義隆 …大内家当主

すえ道麒どうき …名将と称えられる大内家の有力者 周防国守護代


大友氏 …本拠は豊後府内、北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある



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 大雨をもたらした雨雲。

 侵攻してきた大内と言う名の暗雲。

 少弐を覆っていた二つの雲は去っていった。



 天文三年(1534)七月十六日、三津山夜襲の翌日、陶道麒率いる軍勢の撤退を以て、大内の少弐討伐は終わりを迎えた。


 まさか道麒が敗れるとは──

 まさか浸水した佐嘉からやってくるとは──

 まさか三百という小勢で夜襲を仕掛けるとは──


 大内家中に衝撃が走った事は想像に難くないだろう。

 しかしその名声が落ちる事は無かった。


 九月十八日、筑後において大内勢は大友方の国衆、星野親忠とその一族を生葉郡いくはぐん大生寺だいしょうじにて討ち取る。

 これにより、筑後は概ね大内と菊池、並びに両家に従う国衆達が治めるところとなったのだ。


 もはや大友家の勢力は豊後のみ。戦闘続行は不可能であった。

 

「本拠府内を落とされてから降伏するのは、この上ない屈辱。その前に何としても和睦しないと」


 そう考えた大友家は将軍、足利義晴に使者を遣わし、両家の仲裁を依頼。

 以後、両家は一時的な休戦状態に入り、水面下において和睦交渉が開始されたのだった。


 それは大友攻略に派遣された大内勢の手が空き、他方面に回せるようになったことを意味していた。つまり──



「先の敗北の恥をすすげ」



 十月上旬、大内義隆はそう号令をかけると、軍勢を招集して少弐討伐へと向かわせた。その数三万。


 先陣には自ら志願した陶道麒とその嫡男隆房(後の晴賢)。

 そして義隆自身も大宰府へと向かい、本気で少弐を滅ぼすつもりである事を世間に知らしめたのだった。


 早くも訪れた大内の逆襲。

 対して少弐親子は先の戦同様に、各々の城に籠るよう傘下の国衆達に指示すると、有力家臣、国衆を勢福寺城に集め、評議を始めたのであった。



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「まず御一読いただきたい書状がござる」

 

 評定が始まった直後、そう前置きした家兼から、一通の書状が少弐親子に差し出された。


 資元、興経の順に少弐親子は目を通してゆく。

 その間、家兼は何が書かれているか知らない諸将に、かいつまんで説明を始めた。


「差出人は東千葉家の興常、喜胤親子。そして松浦党(※松浦地方の豪族連合)の有力者、波多はた下野守こう。ありていに申せば大内からの和睦勧告でござる」



 大内と少弐の書状のやりとりに、なぜ東千葉家や家兼が関わっているのか?

 それについて少々説明させていただきたい。


 戦国大名間の交渉には一定の手順があった。

 何故なら交渉する家同士がいきなり要求を突きつけ合うと、物別れにつながりかねないためである。


 そこで一旦、大名の家臣や家中の有力者同士が交渉の細部を詰め、それを踏まえて大名同士が直接やり取りする、という手順を踏んでいた。


 現在日本の外交において、外交官が事前に予備交渉を行い、大筋の合意を得た上で、外務大臣や総理大臣が会談するのと同じことである。



 今回の場合、大内家からの「少弐に対し和睦勧告を申し込みたい」という意向を肥前守護代の千葉興常、嘉胤と波多興が受ける。

 三人は意向に沿った上で、少弐家中の有力者である家兼に接触。

 そして家兼が三人からの書状を少弐親子に披露する、という流れであった。



 しかし家兼が説明している最中、書状に目を通していた興経は、いきなり遮って怒声をあげた。


「勢福寺城を明け渡せ……? 何だこれは、話にならん!」


 読み終わっていないのにも関わらず、投げ出された書状が下座に転がってゆく。

 

「奴らの目はどこについておるのだ? 先の戦で勝ったのは我等だぞ? それに膝を屈しろとは、よくもほざけたものだ!」

「恐れながら、これは渡りに舟にござる。粗略に扱うべきではござりませぬ」


「一戦も交えずに降れと申すか? そなた、この書状をよく我等に提出しようと思ったな。ついに大内のいぬになり下がったか」


「今までの兵数とは桁が違いまする。これはかつての政資様の御最期と似た状況。なれば抗戦という同じ轍を踏む訳には参りますまい」



 家兼の返答は自分の意に沿わない言葉ばかり。

 興経が脇息(※肘掛け)に手を置き、指で苛立ち交じりに叩く音が、広間に響き渡る。

 そこに割って入ったのは頼周だった。



「御館様、御老公の申された事、何一つ間違ってはおりませぬ。ここは我慢にござる」

「敵兵三万は明らかに偽りであろう。大友の他に、出雲尼子、安芸武田、伊予河野に村上水軍。大内は巨大な包囲網の中だ。とてもそれだけの兵を送り込める訳がない」


「仮に三万に誇張であったとしても奴らの優位は動きませぬ。なぜなら包囲網の中に陥っているのは、むしろ我等だからでござる」

「何ぃ?」


「大内が命を下せば、東千葉家、松浦党、菊池、さらに西肥前の有馬も動き出しましょう。筑後を失い、大友との連携が出来なくなった今、我らの味方は西千葉ぐらいのもの。これでは手の打ちようがござりませぬ」


「どうした頼周? そなた、随分と爺に物言いが似てきたのう。子の政員まさかずに爺の孫娘が嫁いだと聞いたが、そなたも水ヶ江の色に染まったのか?」


「縁組は関係ござりませぬ。戦を挑むこと、これ即ち御家を滅ぼす事になりましょう」

「断る! 大内は先祖代々の仇敵! もしわしが討死し家が滅んでも、義隆めを討ち取れるなら本望じゃ!」



 興経の悲壮な決意が広間に響き渡る。

 列席していた家臣や国衆達はそれを聴いてうつむいたまま。誰一人言葉を発しようとしなかった。


 だがこのまま開戦に踏み切らせるわけにはいかない。

 家兼はすぐに制止しようとしたが、それは一足早かった頼周の諫言に遮られた。



「ならば御館様ご自身と近臣のみで出陣なされませ」

「何だと……?」


「恐れながら、家が滅んでもなどと軽々しく口になされますな! この御家は大殿とそれがし旧臣達が必死に再興し、存続を図って参った血と汗の結晶! それを無下に扱う事は、たとえ御館様であっても見過ごす訳には参りませぬ! 」


「頼周…… 貴様、わしに逆らうか!」

「処分は覚悟の上! 手打ちでも何でもなされるがよい! すでに五十を過ぎた身なれば、何も惜しむ物はござらん! されどその前に──」


 そう言って頼周は興経の前に進み出ると、「御免!」と腹に据わった声で告げ、着ていた直垂ひたたれ、その下の小袖と脱ぎ、上半身をさらけ出した。 


 そしてその体を見た途端、興経は絶句した。

 およそ重臣の地位に長くあった者の体ではない。


 露わになった彼の腕や肩、胸元、背中には、刃物で斬られた跡、殴られて出来たあざが無数にあったのだ。


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