第13話 さらば兄上
主な勢力、登場人物
龍造寺氏 …肥前佐賀郡を中心に勢力を張る弱小国衆。少弐氏に従う
龍造寺
龍造寺家和 …家兼の兄 村中龍造寺の前当主
龍造寺
西千葉家 …肥前東部の
少弐氏に味方していたが、大内に寝返り討伐される
千葉
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おお、よく来たな」
「お加減が良くないと伺いましたが、今日は起きててよいのでござるか、兄上?」
「よいよい。伏せっておると気が滅入るばかりだ。今日はそなたが来ると聞いて待っておった、ほれ」
「え、兄上……⁉」
西千葉討伐を終えてから暫くして、家兼は本家である村中城を訪れていた。
体調を崩し伏せていた、兄の家和を見舞うためである。
若い頃から家和は大病に縁が無い。だがこの頃すでに七十を優に超え、寄る年波には勝てず、病に伏せる事が増えていたのだった。
しかしこの時、居間で家兼を迎えた家和は、手元に置いてあった酒瓶と盃をそれぞれ片手に持って、笑みを浮かべていた。
「さあ、前祝いじゃ」
「まさか病床の兄上から酒を勧められるとは。分かっていればこちらから酒を用意して出向いたものを」
「そんな気遣いは無用じゃ。こちらから頼んた縁談なのだから」
実はこれより少し前、水ケ江家は村中家から縁談の申し出を受けていた。
家純の妻に家和の長女を迎えてほしい、という話である。
家純にはすでに正室がいた。龍造寺家臣の
しかし彼女が若くして世を去ってしまったため、家和はすでに結婚適齢期を過ぎていた長女を、彼の継室に迎えるよう頼んでいたのだった。
「そなたから見ると、家純はあれこれ至らぬ所が目に付くかもしれぬが、わしも娘も彼ならばと、大いに安堵しておる」
「なんの、倅はまだまだ。若気の至りが少し抜けたぐらいの三十四十は、洟垂れ小僧同然にござる」
「ふふっ、洟垂れ小僧か、七十余年生きた今から思えばそうじゃな。父上も長く隠居されなかったが、我らを同じ様に考えていたのやもしれん」
家和は家兼と乾杯した後、さらに侍女に注いでもらった盃を二度続けて飲み干す。
久々の酒なのだ。美味しくない訳がない。
さらに家兼ともう一杯盃をくみ交わし、満足したかと思えば、突然うつむいて笑みを零した。
「良かった。これで思い残すことは何もない」
「これは何を仰せられる。兄上らしくもない」
「一つだけ、胤久が惣領としての務めを全う出来るか、を除いてだがな」
「それは我ら分家の者達も支えるゆえ、懸念無用にござる。この度の縁組もそのためにござりましょう?」
三家体制になった龍造寺家だったが、二人には懸念があった。
子々孫々、代を重ねれば、やがて家同士の血縁は薄れ、結束が無くなってしまう点である。
そこで、二人は三家の間で何人かを通婚させて、一族の結束が緩まないように図っていた。
具体的には以下のとおりである。
・与賀家当主の盛家に家兼の娘を嫁がせる
・村中家当主の胤和に、胤家(家和、家兼の兄)の娘を嫁がせる
胤和逝去の後は、新当主となった胤久に嫁ぐ
・家兼の孫(家純嫡男)周家に胤和の長女(後の慶誾)を嫁がせる
それに加えて今回、新たに家純の継室に家和の娘を嫁がせる事になったのであった。
「支える……か。だが今後はそうもいくまい」
そう言うと家和は盃を置いて、侍女たちに下がるよう命じた。
病のせいなのか兄の様子がおかしい、穏やかさがない。そう察した家兼を横目に、数人の侍女が居間から去っていく。
そして静寂に包まれた居間には二人だけとなった。
「いかがなされたのです?」
「遺言と言う訳ではないが、今から言う事をよく聞いておけ。今後の当家の体制についてだ」
「ですから我ら分家の一族が惣領を支える。これに変わりはありますまい」
「建前を申すな。そなたもすでに気づいているであろう。三家の力関係は崩れ始めていると。違うか?」
家和の真剣な眼差しに家兼は口をつぐんだ。
「西千葉討伐で、当家の名声はいや応無しに上がった。中でも作戦を立てたそなたの評判は抜群じゃ。聞いた話では、評判を聞きつけた与賀本庄の鍋島や、
「確かに傘下に加えましたが、それらの者達の力は小さきものにござる」
「それだけではない。そなたの子や孫達の事もある。あの者達が成長すれば、水ケ江の影響力は本家を超えてゆくだろう、間違いなくな」
家和が指摘したのは子や孫の数である。
水ケ江はとにかく子沢山の家系であった。
家兼には二男六女の子がおり、嫡男である家純には四男四女、次男家門も二男四女の子を設けていた。
この数は当時の村中家と与賀家、つまり胤家と家和の子と孫を合わせても及ばない。
しかも驚くことに幼児死亡率の高い戦国時代にあって、一人も夭折することなく、すくすくと成人していたのである。
そして娘が多かった。当然年頃になれば政略結婚の話が持ち上がる。
嫁ぎ先の候補になるのは佐嘉、小城郡の豪族とか、東肥前の国衆の当主達。
婚姻を通じてそれらの家々と繋がる事が出来る水ケ江家が、龍造寺家中での影響力をさらに増していくのは間違いないだろう。
家兼は盃を何度か重ねたが、酔いから完全に冷めていた。
家和は水ケ江を危険視しているのではないか、いずれ村中本家を押しのけて惣領の座を狙うのではないか、と。
自分にその意思は毛頭無い。しかし確かに子や孫の代については、明確に否定できるはずがない。
僅かな時間でそう察した家兼は、たちまち俯いて無言になった。
それを自分の意見に対すると肯定と受け取ったのだろう。家和はふと笑みを零して家兼を見据えて告げた。
「けどな、そなたを疑っている訳ではない。むしろ今後はそなたが意のままにすればよいのだ。胤久が惣領として務まりそうなら支えてやってほしいが、頼りにならぬのなら、そなたが替わって家の舵取りをやってくれ」
「兄上……」
「全く、胤久が家純や家門のようにひとかどの武将であればな。この様な事言わずに済むのだが」
「それは褒めすぎにござる。倅どもが「ひとかど」の武将ならば、兄上は「ふたかど」と評されてもおかしくはござりますまい」
家兼の言葉に家和の動きが一瞬止まる。
そしてそれが珍しい家兼の駄洒落だと分かった途端、彼の表情は硬さが消え、再び笑みが零れた。
「何を申すか、わしは「ふたかど」どころか、「みつかど」ぐらい優れておったわ」
「ほう言いますな、兄上。でも「ふたかど」までになされませ」
「ん?」
「みつかど(満門)までいくと、頼周の手に掛かって命を落としてしまいます」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
後年、家和の読みは現実のものとなる。しかし家兼、家純、家門達は自ら惣領となることなく、終生村中本家を支え続けたのだった。
戦国前期の荒波を超えて、龍造寺三家体制の確立に貢献した家和は、西千葉討伐から四年後の享禄元年(1528)、大往生を遂げた。
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