第2話 家兼の諫言
主な登場人物
龍造寺家兼 …康家の五男 主人公
龍造寺康家 …龍造寺家当主
龍造寺家和 …康家の次男
龍造寺胤家 …康家の長男
少弐政資 …龍造寺家を傘下に置く大名、少弐家の当主。
追放されて流浪の身
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「それでは大内は勝てませぬ」
その一言で上座から足早に去ろうとする、少弐政資の歩みが止まった。
「何じゃと……誰じゃ、今勝てぬと申したのは誰じゃ!」
「それがしにございます。龍造寺康家の五男、家兼と申しまする。政資様の御意向、我らしかと承り申した。されど当地にお越しになられ、すぐに戦を始められるのはいかがなものにございましょう?」
「こ、これ、家兼、控えぬか」
政資の睨む顔に康家は慌て、自分の後ろに控えていた家兼を小声で制止する。しかしその声は家兼の心に届いていなかった。
「将軍の命により追放された身でありながら、乱を企んでいる。そう思われれば将軍の心証はさらに悪化いたしましょう。そして『少弐を討伐せよ』と、親しい大内に仰せになるのは必定にござりまする」
「……乱じゃと⁉」
凍り付いた場の中、平伏したままの家兼の耳に政資の足音が近づいてくる。
やがて足音が止まり顔を上げてみると、目の前には怒気をはらんだ政資の顔があった。
「良い度胸をしておるのう、そなた。大宰府は少弐の本拠じゃ。それを奪還するという、我らの宿願を乱だと断定するとは」
「それがしの意にあらず、将軍の胸中を察したまでにござります」
「そのような言い訳が通じると思うたか! たかが弱小国衆の五男坊の分際で無礼であろう!」
「恐れながら、大内と争ってはなりませぬ。あの家は今や西国最強。戦えば必ずや御身を滅ぼすことになりましょう」
家兼はそこから
将軍に近いだけでなく、四か国の守護職にあり、大陸と貿易をして栄え、将兵は精強であること。
そしてこれに対抗するには、まず将軍からの赦免を待つべきである。その上で大内領内で内乱が起きた時、動き出すのが最良であると。
しかし聞くにつれて政資の口元は歪むばかり。それは諫言を受け入れる度量がない事を示していた。
「赦免? 内乱? そのようなものを呑気に待っておられるか! ぐずぐずしておったら臆病者だ、腰抜けだと世間の
「は、はいっ……」
「今後、この出来損ないの息子の目通りは許さん。次目の前に現れたら、成敗した上で龍造寺との縁を切る。よいな!」
鬼の形相の政資はそう言い残し、広間から去っていった。
ところが怒気を含んだ足音が消えても、しばらく家兼の姿勢は平伏したままだった。政資の顔を直に見た嬉しさから笑みが零れ、顔を上げる事が出来なかったためである。
(顎や頬がだらしなく弛み、その目や口ぶりには驕慢の色が
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そして佐嘉来訪から約半年後の文明十四年(1482)秋、政資はついに兵を挙げた。
宣言通り、大内に味方する九州探題渋川氏の居城、
以後、政資は勢力拡大に躍起になってゆく。
文明十八年(1486)十月三日、肥前東部の
政資はこれに介入し、自分の弟である
これにより西千葉家は以後、少弐に
さらに以下の様に筑前、肥前にて暴れまわった。
・延徳元年(1489)十一月、肥前
・翌年には九州本土の最西端の郡、
・ 明応元年(1492)の夏には博多近くの箱崎にて大内勢と交戦。
・ 明応三年(1494)正月、今度は上松浦に出兵。四月に平戸の松浦氏を降らせると、その最中に軍を返して、筑前
そしてこの政資の積極的な軍事行動は、筑前守護であり、少弐を敵視する大内氏をついに本気にさせた。
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