第6話

 最近話題の「車椅子だからJRに乗車拒否された」も、私は同意できない。

 まず、こんな時期に家族旅行するのかという驚き。そして私が車椅子ユーザーなら移動手段はきっちり調べるだろう。乗降予定の駅に車椅子でも大丈夫か等を聞いて予定を立てる。間違っても「職員を呼んで階段を乗降させろ」とは言えない。

 元々の「人に関わりたくない」という性格からか、そういう部分はできるだけ他人の手を煩わせずに自分で何とかしたいと思う。生まれつき障害のある人──生まれた時から助けられて当たり前だった人との思考の差かもしれない、と障害者相談員には言われた。


 幼い頃から、私の周りには、障害を持つ人はたくさんいた。

 聾唖のおじいさん、歩けるけれど走れないおばあさん。障害ではないが、LGBTの人もいた。彼らを、私の周りは普通に受け入れていたと思う。

 2つ下の従弟は聾唖のおじいさんと仲がよく、2歳くらいの頃からよく子守してもらっていたそうだ。2歳の幼児には、相手が「聞こえない・話せない」はわからない。わからないなりに、自分の言葉が通じないことは理解したのだろう。母達が言うに、「おんぶしてもらって散歩してる時、行きたいところがあればトントンと肩を叩き、おじいさんが振り向いたら「あっち」と指さしていた」そうだ。2歳の子が、誰に教えられるでもなく、聾唖の老人との意思疎通の方法を探していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

差別と障害と私 澤村美雨 @satsuki-kanna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る