ブラディーマリーをもう一杯

水原麻以

ブラディーマリーをもう一杯

ブラディーマリーをもう一杯


弥美と戦闘機



弥美と戦闘機

■ これは何?

これはまだ見ぬ未来の叙事詩。

模型マニアが自作ジオラマの前で俺設定ロボのスペックを語るように、

御隠居が頼みもしないのに盆栽の愛を語るように、

小さな子供が僕の考えた凄い召喚獣を語るように、

さまよえる異世界歌姫ミンストレルの吟遊詩。


● 弥美と戦闘機


 死神の咆哮が頭上をよぎった時、弥美の心は打ち震え、体の奥底から熱いものがこみ上げてきた。

 人生の終着点を見つける旅だった。旅行鞄には致死量の眠剤が忍ばせてある。

 ところが、どうだろう。殺意の鉄塊を目の当たりにして、彼女はその存在と、世界じたいの在りようと、自分自身に疑問を感じた。矛盾だらけだ。

 風が焦げたアルコール臭を運んでくる。つづいて、ビリビリと万物を震わせる重低音。

 無意識のうちに弥美は手を振っていた。

「きゃあああ。がんばってくださあああい!」

 自分でも不思議に思う。こんな気力がどこに残っていたのか。こんな大声を出したのはナオヤの不倫相手を引っぱたいた時以来だ。

 異世界間戦闘爆撃機が遠ざかる。若い女性パイロットは弥美を一瞥すると、笑顔を返した。

 翼端のフラップが下がり、機首がぐいっと持ち上がる。

 ブースターパックに点火。みるみるうちに綺羅星となる。それは夜空に複雑なループを描いて観客を大いに沸かせた。

 さらに、会場のアナウンスが畳みかける。

「ジョバンニ中隊長からこんな素敵なメッセージが届いています。『名前もしらぬあなたへ。エールをありがとう。あなたのために、今夜は特別に羽ばたきます』」

 弥美はガツンと電撃を食らった。同時に目頭が熱くなる。たまらず、化粧室に駆け込んだ。

 わたしは何者でもない。

 ようやく、個人と言えるだけだ。

 それなのに、ものみなすべてが、いとおしい。

「こんなの要らないよね」

 弥美は個室に入るなり、汚物入れに錠剤を捨てた。

 彼女は陶器に腰を据えて反芻する。

 こんな旅になるはずじゃなかったのに。

 どうして、こうなった。




 世界が憎らしかった。絆だのつながりだの空虚で鬱陶しいだけの関係を断ち切るために旅に出た。しがらみから解放された、永遠をめざす片道切符。

 弥美を求める者はすべて温もりの仮面を被っている。

 しょぜん、他人なんてそういうものだ。自分の利益になるから彼女に接近するのだ。

 そんなの願い下げだ。

 弥美は心を決めた。

 甘い汁を干上がらせてやる。

 自分一人がいなくなったところで、ハイエナどもは新しいカモをさがすのだけだろう。

 それでも、黒野弥美という利権に群がっていた輩の何人かは前途ある若い女の死に呵責を覚えるはずだ。

 すぐでなくてもいい。いつか、誰かが、暴き立てる。

 人間の本質は性悪説で成り立っているが、百パーセントではない。純粋な悪しか存在しないというのなら、とっくに人類は自滅している。

 弥美は希少な良心という名の一矢で報いる腹積もりだった。


 ああ、それなのに、それなのに、世界は執拗に関係を求めてくる。弥美は戸惑い、いぶかしみ、憤った。私を放っておいてくれ。

『あなたのために、今夜は特別に』

 ウグイス嬢の声が脳裏を駆け巡る。

 物思いから醒めると、ぐしゃぐしゃに丸めた旅行パンフレット。ぽたぽたと滴が落ちる。

 ヨレヨレになった惹句にはこう書いてある。

 枢軸特急トワイライトエクリプスで行くニルヴァーナ・地獄ゲヘナの三日間。



 枢軸特急の名前はうわさに聞いていた。よくある都市伝説だ。弥美は検索してはいけない駅名を検索し、朽ち果てた廃墟で、真夜中に一人、乗ってはいけない列車に乗った。

 生還者の多くはこの世ならざる世界を見聞し、巨大掲示板のスレッドに降臨していた。だが、弥美は生きて帰るつもりはなかった。

 超常的な旅の主催者がどういう意図を持っているのか理解できなかったからだ。

 そして、その意味を破壊することが、弥美を蔑ろにした世界へ抵抗であると彼女は考えた。。

 どうやら、主催者は希死念慮を抱く人間を集め、果てしなく戦乱が続く異世界へ連れて行って、生きる意味を再考させようとしている。

 そんなら死んでやれ。流れ弾に当たって催行中止に追い込んでやる。

 だが、弥美の思惑は裏目に出つつあった。

『……死神を心の友として暗鬱たる毎日を送っているあなた。カッターナイフに手を伸ばす前に本物の地獄を覗いてみませんか。この世では味わえない料理。血沸き肉躍るスペクタクル。戦乱に明け暮れる煉獄ゲヘナの商業都市ニルバーナをたっぷり満喫する三日間。地獄の最前線を肌で感じて、魂を揺さぶろう。そして極めつけは大迫力の航空ショー。

 あなたを再起動リブートしてくれるはず。

「あなた、地獄の一丁目を知ってる? あたしは見てきた。だから、強くなれる」

 そんな中二セリフをサラッと言えるタフなキャラに転生しよう。

 』

 歯の浮くような恥ずかしい文章が見開きに印刷されている。

 まるで決起文だ。いや、挑戦状だ。淘汰圧が弥美を試そうとしている。ならば、迷うことはない。

 弥美は汚物入れをひっくり返した。

「やっぱり、死のう」

 眠剤を開放して口に運ぶ。

 と、その時。

 ビリビリと個室が震えた。

 薄い壁を澄んだ声が透過する。


「……ニルバーナ空軍アクロバット飛行中隊サーベラスの皆さんです。

ジョバンニ中隊長の厳しい指導のもと、休日返上で猛特訓を重ねてきました。

ご覧ください。

紅蓮の嚆矢が真っ赤に染め上げます。

赤々と燃え上がるエキゾーストが真夜中の太陽となって、不安な夜に筋道をつけます」

 サンプリングのパーカッション、フュージョンっぽい旋律。バスドラムとハイハットの掛け合いが疾走感を加速する。

 弥美は不覚にも体を揺らし、リズムをとっている。

 間奏が終わり、オクターブがあがる。主旋律が音階を駆け上がる。

 ナイロンギターの甘い旋律が歯切れのよいカッティングに変わる。

 乾いた砂漠の夜風が心を潤してくれるのは、なぜだろう。ニルバーナ空軍のエースパイロット、ジョバンニ中尉の人となりが答えてくれそうな気がした。

 弥美は手櫛で髪を整え、化粧室を飛び出した。

 滑走路の端でインタビューが始まるころだ。

 大型スクリーンには次々とタッチダウンする戦闘機が大写しになっている。


 最終日の余韻を引きずって、

現世地獄かいしゃに斬り込もう。

 弥美はスカートの乱れを整えると、バーテンダーに声をかけた。

「ねぇ。ブラディーマリーをもう一杯」

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ブラディーマリーをもう一杯 水原麻以 @maimizuhara

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