49話 「羅針盤」
負けた。自分の考えを、作戦を過信しすぎたのが敗因だ。これ以上無いくらい単純明快な理由。相手の力量を見誤った愚か者には当然の帰結。
悔しい……悔しい悔しい悔しい!! 何よりも相手の策に引っかかった事が、それを見抜けなかった事が怒りとなって胸の辺りに渦巻いている。
「惜しかったなぁ、楠」
椿が話しかけてくる。下卑た笑みを顔全体に広げ、勝者のオーラを纏っていやがる。
「声も出ねぇぐらい悔しいよな。わかるぜ、侑に頭脳戦仕掛けるなんざ、百年速ぇよ」
「自分の力でイキりなさいよ……」
小杉が窘めているが、椿は止まらない。
「まぁ、あのゲームで一番強かったカードは『補修用具』だ。封印札が効かねぇって言えば、理由はわかるよな?」
「……あぁ」
封印札は確かに強い。だけどアレは、『自分以外の対象を選択した時に使えるカード』だ。だから方向だけ選ぶ『熱線』と自分を選ぶ『補修用具』には効果が無い。
今頃気づいたところで、後の祭りだ。
正直、海賊部屋に戻されるよりも、コイツらに負けたことの方が悔しかった。
負け犬の遠吠えでしか無いが、僕はこの言葉を口にせざるを得ない。二人を見据え、怒りを抑えながら告げた。
「……覚えとけよ。この怒りは舞台で返す」
「面白ぇ! そう来なくちゃなぁ、楠ィ!」
「まぁ、期待してないけど頑張って」
二者それぞれの反応が返ってくる。……小杉、流石に椿以外に興味が無さすぎじゃないか?
二人と別れ、ノリ先輩の元へ戻る。……まだこの人、グロッキーじゃないか。
「先輩、すみませんでした」
「し、仕方無い。これからあそこでどう寝るか考え……うっ」
こんな短い言葉も喋るのがキツイのか。申し訳なさを感じつつ、足利先輩の元へ報告へ行かなければ。
「なぁ、楠くん。ちょっといいか?」
呼ばれて後ろを振り返る。そこには先程戦った向井さんが居た。
「何ですか? 部屋でも譲ってくれるんですか?」
「いや、流石に君たちの部屋には行けないよ」
だったら何が言いたいのだろうか。怪訝な顔を見た向井さんはある提案を出してくる。
「大部屋、君たちも来ないか?」
「え?」
「いや、大部屋広いからさ。せっかくだし他校呼んでエチュードでもやろうかなって話になってさ。勿論、君たちが良ければだけど」
こっちからすれば願っても無い提案だ。でも、何でこんなに優しいんだろう。
「……すごく有難いが、理由を聞いてもいいか?」
ノリ先輩が警戒しながら返事する。一応この人、僕の肩に掴まってます。めちゃくちゃカッコつけてるけど、一人で歩けてません。
「それが俺の役割だからさ」
向井さんは綺麗な眼でそう言ってくる。訳が分からないが、嘘は無さそうだ。ノリ先輩と顔を見合わせ、お互いに頷く。
「わかった。足利先輩と相談してそちらへお邪魔させていただく」
「良かった。待ってるよ」
そう言って向井さんは自分の部員が居るところへ戻って行った。
「千尋。どう見る?」
「信じていいんじゃないですかね。そもそも僕は向井さんのこと全く知らないですけど」
ノリ先輩が、少し解説してくれた。向井さんは、青葉北高校の演劇部長で、足利先輩と同年代らしい。
藤林とか足利先輩とかに囲まれて演劇生活を送ってきた事に、同情する。経験も、学校の熱意も異なる所でやり続けるのは、凄い事だと思う。
自分が勝てる確率が低いフィールドで戦うのだ。並々ならぬ精神力じゃやっていけない。
ノリ先輩曰く、足利先輩は向井さんの事をそれなりに凄い奴と認めているらしい。環境が違ったら、相当なライバルになっていたとか。
以外とあの人、周りとか環境とか気にする人だよな。
まぁ、逃げずに自分に立ち向かってくる相手はそう見えるんだと思うけど。
相当上からですね、とノリ先輩に告げる。先輩はため息を吐いて同意を示した。
*
大部屋前 渡り廊下
俺の目の前に、向井吉久が立っている。対するこちら側は俺と京也。先程部員たちは大部屋に入り、中からは楽しそうな話し声が聞こえてきている。
「……足利はわかるんだけど、藤林は何の用かな?」
数分何も喋らない俺たちに痺れを切らしたのか、向井は尋ねてきた。
「向井……何かあったのか?」
京也が答える。聞きたくなるのも最もだ。向井の奴、明らかな自己犠牲の精神でここに居る。
「別に何も無いよ。……ただ、俺は俺の役割に気づいただけだ」
「役割?」
思わず口に出してしまった、『役割』という言葉。俺は、その言葉に余り良い意味を持ち合わせていない。
「俺はさ、正直な所を言えば、悔しかったんだよ」
悔しかった、その言葉とは裏腹に向井の口調はひどく穏やかだった。
「総会が終わった後、お前らに全く及ばない自分。一年のエチュードを見せられて、当時の俺と比べて絶望した自分を自覚した」
総会の記憶は俺の中にもある。京也の奴が、向井をダシにしていた。
「俺はどうしようもない凡人だ。でも、このままお前らが進む先の通過点にだけはなりたくない」
向井は、俺たちに目線をしっかりと合わせて、届けるように言葉を紡ぐ。
「俺は、俺の中で決して揺るがない、羅針盤を得た」
誇らしげに、それが絶対の正義で、万が一にも間違いとは思わない顔で向井はそう言い切った。
「俺たちは全国に行ける力は無い、死ぬほどのやる気に溢れた奴も居なければ、脚本が書ける顧問も居ない普通の学校だ。お前らみたいにはなれないよ」
それは、何度も俺が感じていた事。向井には演劇が向いている。だが、環境が、奴を演劇人とする事を許さなかった。
持てる力を発揮できない場所に居ること。それは俺が絶対に許しておけない、行動条件の一つだ。
「だけど、だけどな。俺は、俺自身はお前たちと競い合いたい。張り合いたい。だから、俺はお前たちが越えるべき壁でありたいんだ」
その目には一点の曇りもなく、静かな闘志を備えていた。俺がここで何かを言うのは、向井の選択を、覚悟を台無しにすることに他ならない。
俺たちは、受け入れるしか無かった。
「貴文、これも策のうちか?」
京也が呆れたように、だが確かに嬉しさを含んだ声で俺に振ってくる。
「いや、まさか。……お前からそんな言葉が出てくるなんてな」
俺は合宿のプログラムを思い出す。正直、この覚醒のような宣言は全く予知して居なかった。
だが、これから先に起こる活動そのものは、向井の覚悟を見越したものになっているのだ。
……俺はもしかしたら、どこかで向井が覚悟を決めることを信じていたのかもしれない。
乾いた笑いが少し零れる。『信じる』などと軽々しく口にした自分へ向けたものだった。
「なんだよ足利?」
だが目の前の男は、自分に向けた物だと勘違いしたようだった。
「……お前の笑った顔、久々に見た気がするよ」
「馬鹿言え、俺は元からよく笑う」
京也がうんうんと頷く。流石にこいつはわかってるな。
「まぁ、そういう事にしておこうか」
向井は含みがあるような言い方を残して、大部屋の扉を開けた。中の部員たちの話し声がダイレクトに聞こえてくる。
「二人とも。今年の青葉北は本気で優勝を狙うぞ。覚悟しておけよ」
自分の作戦は、上手くいかない。当たり前だ。どこまで行っても机上の空論に過ぎない。事実は小説よりも奇なり。だからこそ、第二、第三の策が必要になるのだ。
「これから忙しくなるな、貴文」
「あぁ。名簿と振り分け用紙を準備して置かないとな。後は……」
「雪尚と神園の説得だ。……俺は何故か神園から嫌われてるから、貴文に頼む」
「そりゃ総会であれだけやったらそうなるだろ」
まだまだ合宿は始まったばかり。島にも着いていない。この合宿で、全員のレベルを一気に引き上げる。
決意新たに、俺たちはエレベーターへと向かう。一人は下の雪尚の元へ。俺は上へ。
花園附属の神園六花部長を説得する為だ。先に俺のエレベーターが来た。ドアを挟んで、京也と向かい合う形になる。
俺たちは何も言葉を交わさなかった。今はそれぞれがやるべき事を、ただやるだけだ。
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