38話 「一歳上のガキ」

 五月十七日 月曜日放課後


 少し調べ物があったので、俺は図書館に居た。演劇関係の本を探していたからだ。演出用とか、表現用の本が目当てだったが、探しても探しても台本しか出てこない。


 学校の蔵書じゃ限界があるか。


 そのうち面倒くさくなって、手を止めた。俺の悪い癖だ。すぐに飽きるし、諦める。直したくても、染み付いた泥や汚れのように残り、完全に消えることは無い。そしてまた、汚れと気づくまで生き続けてる。


 ため息を吐いて、俺は図書館を出た。部活には遅れると言ってはいるが、あまり時間を掛けすぎるのも良くない。ただでさえ、俺はチームのリーダーなのだから。


 教室に入り、荷物を回収する。そしてそのままホールに向かう。頭の中で手順を決めながら扉を開けた。


「あれ、慧? 何でいるの?」


 今一番会いたくない相手だった。理由は大方、テスト結果が酷くて補習だからだろう。


 演劇の事を考えたくない時に、否が応でも想起させる相手、つまり演劇部員と会ってしまったのだ。しかも、ご丁寧に同じチームだ。


「……奈緒、お前こそなんでここに?」


「補習」


 だよな。知ってるよ。


 そう言いたかったが、怒り出す奈緒の様子を想像すると、相手にするのが面倒である。俺はそうか。と素っ気ない返事しかできなかった。


「慧は補習じゃなかったんだ」


「まぁな」


 友達に頼み込み、何とか及第点はクリアした。普段なら当たり前のように赤点を取っていたのだが、チームに迷惑は掛けられない。


「じゃ、俺は部活に行くよ」


 これ以上話すこともなかったので、俺は荷物を手に取り、背負った。もう既に遅れている。山川に頼んで一年のシーンを見るように言ってはあるが、二人も不安だろう。早く行かなかければ。


「ねぇ慧」


 扉に向かったところで奈緒が後ろから声を掛けてきた。無視しても良かったが、同じチームのメンバーで軋轢を残すのは良くない。それに……奈緒の様子がどこがおかしいのも引っかかっていた。


 自分と二人に心の中で謝りながら、奈緒の方へと向きを変えた。


「先輩って、これでいいのかな」


 そこにあったのは、今まで見たこともないような思い詰めた顔だった。赤点を取った時も、ミスをした時も、ここまで凹んだことは俺の記憶にはなかった。


 何よりも、その言葉は今の俺に刺さった。


「……慧?」


 返事が無かったことに不安になったのか、奈緒が首を傾げて名前を呼ぶ。


「あ、あぁ。まぁいいんじゃないか? 二人で演技の指導したり、演出面を考えたり、しっかりやってる方だろ?」



「あたし……なんでケイコの役やったと思う?」


 俯きながら尋ねてくる奈緒。俺は率直に思ったことを言うしか無かった。


「新歓のリベンジ、とか」


「半分正解。あの時できなかったから。……もう半分は、悔しかったから」


「悔しい?」


「千尋が出たビデオを見せてもらった。初めてだったのにあたしよりも完全に上だったの。だから……。男の子に向ける意識じゃ無いのにね」


 顔で笑っていても、千尋の退部に反対した時も、実はこいつは相当に悩んでいたのだろうか。


 弱みを見せたい訳じゃなかったが、ここでナオには立ち直って貰わないと俺が困る。恥ずかしさはあったが、言うしかない。


「俺もさ、全然ダメだ」


「慧はしっかりやってるじゃん」


「何も出来てねぇよ。そもそも、俺の役が結構出番あるのに、演出なんか無理だ」


 主観と客観の二つの見方をずっと続けているようなものだ。ここ最近はずっと頭がおかしくなりそうだった。


「俺たちさ、無理してないか?」


「え?」


「ついさっきまで、先輩を追いかけてあれこれ聞いてた立場じゃん。それが急に先輩になって、聞かれるし、追われるようになった」


「……」


「俺たちはあの頃から変わってない。それなのに、先輩ぶっても空回りするだけだ」


「じゃあ……どうすればいいの? 先輩みたいになるにはどうすればいいの?」


「さぁな。時間が解決してくれるんじゃないか」


「何それ、意味わかんない」


「俺たちがやるべき事は、役割を果たすことだけだ。俺は演出。奈緒は新歓のリベンジ。今は、それだけでいいだろ?」


 まだ五月半ば。千尋達と一緒に、俺が伸びない理由なんてどこにもない。先輩になるのは、よく分からなくても良い。五月から完璧にできると思うのは傲慢だ。


 後輩と一緒に学びながら、俺達も成長すればいいだけだ。俺たちと千尋たちは、一歳しか変わらないのだから。


 気が狂いそうだった主観と客観の気持ち悪さも、嘘のようにどこかへ消えていた。


「無理なら、頼ればいいんだよ。後輩だってチームの一員なんだ」


 そうだ。足利先輩だって、俺たちに意見を求めてたじゃないか。


 自分で言いながら、勝手に納得していく。人に話しただけで、疑問が溶けていく。


「奈緒。千尋に聞いてみたらどうだ? アイツがお前のコピーをしてるのは知ってただろ? 自分の演技に何を加えたのか。知りたいだろ?」


「でも、それって……」


 恥ずかしいのか。まだそんな事を気にしているのだろうか。


「格好悪くてもいいじゃないか。間違ったら、この道は通るなって後輩に言えれば、俺達はもう先輩だろ?」


「何それ。慧はすぐ格好つけるのに」


「うるせぇな」


 二人でしばし笑い合う。こんな風に部活の話題で笑ったのも、随分久しぶりだった。


「ありがとう。慧」


「……チームの精神状態を管理するのも、俺の役割をだしな」


 本当は全然違う。救われたのは俺の方だ。早速格好つけてしまった。


 千尋達に、俺みたいになるんじゃないと、一年かけて伝えないとな。


「じゃ、まずは二人に謝罪だね」


「完全に遅刻だからな」


 もう三十分はとっくに過ぎている。行かなければ、烈火のように怒った二人が俺たちを出迎えるだろう。


「許してくれるかな?」


「雨宮は特に怒るだろうな。『気合い入れてください!!』って」


「言えてる!」


 旧校舎に向かう足取りは久しぶりに軽かった。


 ……ホールが近づくと、次第に重くはなったけど。


『遅くなりましたー! すみません!!』


 開けた扉から西日が差し込む。逆光で千尋達の顔も、奈緒の顔も見えなかった。


 俺は自分が人の顔を見ようとしていることに改めて気づいて、おかしくなって笑ってしまった。

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