37話 「傾向と対策」
僕が……男の演技が苦手……だと?
落ち着け。僕は今ものすごく動揺している。男としての存在価値に疑いが掛かってしまったかのようだ。
だが慌てるな。時にはクールに時にはホットに。自分のモットーを思い出して、何とか雨宮の発言をもう一度理解してみる。
「あんたの問題点と課題……つまり弱点は、男の演技は全然上手くない所なの」
……。
「うぁぁぁぁ!! 誰か僕を消してくれぇぇ!!」
「落ち着け千尋、ベランダに出るな! 無意味だぞ!」
駆け出した僕を後ろから羽交い締めにする慧先輩。ジタバタとみっともなく暴れる僕をゴミのような目で見る女子二人。
「奈緒! 雨宮! 引いてないで助けてくれ!」
慧先輩は余り力が強くないのか、もう少し粘れば抜け出せそうだ。その証拠に、二人に助けを求めている。
「え、やだ。怖い」
一瞬正気に戻ったが、あんまりだと思う。
「雨宮! 頼む!」
「そのまま放置でいいと思います」
「雨宮ァ!?」
「……ハァ。全く、このバカは」
雨宮が心底面倒くさそうに僕の前へと歩いてくる。
「楠。アンタは確かにイキってた」
「ごふっ」
「雨宮!? 千尋が血を吐いたぞ!?」
「あたしもだし、部の皆もだけど、アンタが凄いやつなのかもって勘違いしてた」
「おい! しっかりしろ千尋! ……クソ、魂が抜け始めてる!」
「だけど、よく考えてみて。あたしはともかく、アンタは初心者。できないのは当たり前なの」
絶賛作成中の黒歴史をストレートに殴られ、消えかかった意識の中、聞こえてきた優しい声。薄らと目を開け、雨宮を見る。
「今までは、直前だったり、エチュードだったりと切羽詰まってたでしょ? だから形にはなってたけど、本当に演劇で必要なのは、与えられた台本を読み込んで演技する力よ」
少しづつ、意識が戻ってきた。クリアになる視界と、雨宮の姿が鮮明に見え始める。
「千尋! 頑張れ! 戻って来い!」
あ、先輩。耳元で大声を出さないでください。
「僕は……できなくてもいいのか?」
何かに縋るようにしか声が出なかった。多分、雨宮に黒歴史を抉られたせいでもある。
「今はね。まだ五月。これから頑張って、経験を積めば大丈夫よ」
「雨宮……」
「あ、でも痛かったのは痛かったわ」
「ぐぶぅ」
「千尋! 雨宮、今トドメを指す必要無かっただろ!?」
最後の最後に、殴りに来た雨宮。完全に消えようとする意識の中、慧先輩の悲痛な叫びが、やけに記憶に残っていた。
*
あれから、どのように部活が終わったか、僕は覚えていない。帰り際に見た、奈緒先輩の哀れみの目で割と察してしまった。
しかし、これからどうすればよいのか。現状、僕には女装して演技をする力しか無い。認めたくなかったが、あれだけ動画を見れば、嫌でも納得せざるを得ない。
こういう時、相談するべき、頼るべき相手とはあの人しかいない。僕は急いで校舎から出て、駐輪場に向かった。少し足取りが重かったが、そんな事に構っている場合じゃねぇ。
その人は駐輪場に居た。まるで僕を待ち構えているかのように。僕にとって、その光景が有難いものであったからだ。
「足利先輩……」
「おう、千尋。どうした?」
夕日に映える顔で笑う先輩。いつもならムカつくことこの上ないのに、悔しくも見とれてしまった。断じてそういうことではないが、自分の精神状態は光景に対して浮かぶ感情を変化させるのだ。
「……何かあったようだな。少し話すか」
何も言わない僕を見て、先輩は近場のファミレスへと先導した。悩んでいたのもあったが、返答できなかったことに対して勘違いさせてしまったような気がして、少し申し訳なく思った。
「で? 何があった?」
ドリンクバーを人数分頼み、ポテトを摘みながら先輩は聞いてきた。いい頃合いだと僕も思っていたので、これを機に話すことにする。
「実は……僕って男の演技が苦手みたいです」
雨宮に言われたこと。自分に力が無いこと。女装を続けるべきなのか悩んでいること。意を決して話したつもりだったが、先輩は呆けた顔で僕を見ていた。そこから少し考え込み、先輩は口を開く。
「なぁ。俺が出した課題、わかったか?」
「……人に言われて気づいたんですが、多分、台本のある演技に慣れるため。ですか?」
僕の悩みとはあまり関係なさそうな返事。一応言われた通りに考えてみるが、頭に浮かんだのは雨宮の発言だけだった。
「半分正解だな。
千尋。お前の悩みはわかった。とりあえず、女装を続けるかは今は置いておく」
「僕としては早急に片付けたい案件なんですが……」
僕の言うことなど何処吹く風というように、先輩は続ける。
「先に目の前の問題からだ。さて、千尋。お前の武器は何だ?」
「え?」
男の演技ができない僕に、武器? 武器と言われても、新歓で使ったコピー演技しか……。あ!
「コピー……演技?」
その台詞を待ってましたと言わんばかりに、先輩は大きく頷く。
「満点。後は言わなくてもわかるな?」
僕は、見落としていた。ほんの少し経験を積んで、自分に実力があると錯覚していたのだ。今までは状況が違っただけ。偶然の産物だ。
全て、雨宮が言った通りだったのだ。あの時言われたことが、ようやく、理解することができた。
僕がやるべき事は一つ。新歓の時のように、アレを手に入れなければならない。
「先輩、新歓の時の映像を見せてください」
足利先輩は盛大にコケる。どこかの新しい喜劇のようだ。揺れたテーブルの振動がグラスに伝わり、結露が一雫、テーブルの上に流れ落ちた。
「お前な……。せっかくチームなんだから、慧や奈緒に頼ったらどうだ?」
「それはそうですけど……一刻も早くやりたいので」
先輩は一つ息を吐いて、僕に向かって諭すように言う。
「さっき半分って言っただろ? あれは、今の二年と関わっとけって意味だ。お前の向上心は見事だが、二年とも関係性を作っとけ」
「……」
言いたいことはわかる。だけど、僕を選び、部に巻き込んだのは足利先輩だろ。
「あの二人も、凄い情熱を持った演者だぞ。明日、二人が何をやってるか見ながら稽古してみろ」
そう言って席を立ち、伝票を持っていこうとする先輩。自然な流れでは奢らせるわけにはいかない。悩みを聞いてもらったのは僕なんだ。
「先輩、僕が払います」
「あ? いいんだよ。大した額じゃねぇし。格好つけさせろ」
「だけど……」
「じゃあ、お前が発表の日にいい演技見せて返してくれ。それまでツケにしとく」
そのまま僕の返事も待たずに伝票を持って行ってしまったのだった。……まだまだ甘いな、僕は。
家に帰る途中、ずっとセリフを練習した。こういう事も、今までやってこなかった。多分だけど、小さな積み重ねが、いずれ大きくなるんだろうか。
楽して大きな対価は得られないのだ。ましてや、自分が得意で無いなら、もっと、もっと努力しなくてはならない。
家に帰った後、僕は慧先輩に新歓公演の動画を送って貰い、睡眠時間ギリギリまで見続けた。まず最初に、セリフを言う変な節の違和感を無くさないといけないからだ。
もうあまり時間は無い。やるべき事の順序を間違えられないのだ。
暗闇の中で光る携帯電話の液晶で、慧先輩が優しそうに話していた。
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